2020年8月22日 土曜日/晴。朝は寒いくらい。
2019年11月1日に岡田斗司夫が配信した『「ブレードランナー」超解説』の動画を観た。『メイキング・オブ・ブレードランナー』は持っているし、読んでもいるが、そこにはない知らない情報がいろいろ紹介されて、2時間近くあったが、最後まで面白く「聴講」できた。
一番印象に残ったのは、「なぜ、ロイ・バティは最後にデッカードを助けたのか」という「謎」について、監督のリドリー・スコットが、ルトガー・ハウアーに話した「答え」。即ち「反射的にそうしただけ」と。レプリカントに組み込まれたプログラム通り、死にそうになっている人間を「ついうっかり」助けてしまった、というのがリドリー・スコットの答え。「人間のように」自らの自由意志で人間たちを殺してきたつもりのロイも、土壇場になって、仲間の直接の仇であるデッカードをさえ、「機械的」に助けてしまうただの「ロボット」だということを、彼自身が「最後に思い知らされた」ので、その直後に照れ笑いをする、という説明。
で、これには続きがあって、監督のその時のこの説明にルトガー・ハウアーも「ナルホド」とすっかり納得したのに、後になって、リドリー・スコット自身が、「ロイ・バティも最後の最後に人間らしい心に目覚めたのだ」」と陳腐なこと(浪花節なこと)を、公の意見として言い出して、ひっくり返ってしまった。この陳腐性などは、リドリー・スコットが、「映像」の作り手としては一流ではあっても、人間洞察や人間描写という点では三流止まりな作家である証拠。
岡田斗司夫の「超解説」はいろいろと面白かったが、本質的な部分で、まだ「生命教」の内側でモノを言っている点では不満。と言っても、「生命教」を乗り越えた思索や発言ができる人間は、今のところ、この地上に何人もいないだろうから、それはまあしょうがない。
ついでだからアナトー説をひとつ披露すると、リドリー・スコットの設定に従って、デッカードもまたレプリカントだったとすると、ロイ・バティは、どこかの時点で、デッカードがレプリカントだと気づいて、だから最後に助けたのだ、という解釈もできる。最後の照れ笑いだって、「お前は自分のことを人間だと思っているけどさあ」という感じ。終幕時には、ご当人(デッカード)もまた、デッカードがレプリカントだと知っているガフの「折り紙」のおかげで、自らの「真実」に気づく。