2020年8月23日日曜日

〔昨日の「岡田斗司夫の『ブレードランナー』超解説」の続き〕

 

2020年8月23日 日曜日/晴。今日は清々しいと言う言葉が一番ピッタリくる陽気。


〔昨日の「岡田斗司夫の『ブレードランナー』超解説」の続き〕


あと、ファイナルカット版で付け足された、とってつけたようなユニコーンの夢(デッカードが見る/そして、監督以外の全員が付け足すことを反対した)は、物語の最後にガフがアパートの廊下に残したユニコーンの折り紙の「説明」になっているのだということを、今回の岡田斗司夫の話で理解した。すなわち、誰も知らないはずのデッカードの夢の中身をガフが知っているということは、デッカードの記憶もまた、ちょうどデッカードがレイチェルの「記憶」を閲覧できたようのと同じで、誰か別の人間の記憶を移植されたものだということの示唆。というか明言。


あと、そもそも全編にデッカードの「ダサイ」ナレーションが入る予定だったのが、リドリー・スコットがその場その場で展開を変えて撮影していくので、最初に入れたナレーションと実際の整合性がとれなくなって「止むを得ず」ナレーションをなしにした、というのも、初めて知った(と言って、実は例の本に書いてあるのかもしれないけど)。で、試写をやってみたら「とにかくわかりにくい」という「苦情」が多くて、大慌てで、冒頭のナレーションを録り直して入れたらしい。


もうひとつ、「見た目重視の映画監督は俳優の演技に期待してない」という岡田斗司夫の説も面白かった。タイレル役を演じた大根役者やショーン・ヤングを「平気で」使ったリドリー・スコットの他に、スタンリー・キューブリックや黒澤明の名前を挙げていた。黒澤明は有名な『七人の侍』の冒頭場面で、とにかくNGを出し続けて、俳優たちを6時間も歩かせ、実際に俳優たちが草臥れきってしまったときのその歩き方に「OK」を出したという。即ち、俳優たちに演技指導をして、くたびれた浪人の歩き方をしろとは言わないらしいのだ。これは、David Lynchが一番嫌っているやり方で、オレも嫌い。あと、『天国と地獄』で大勢の刑事が動き回りながらセリフを交互に言う場面も、全部、床に導線と目貼りがしてあったという。


最後に、ブレードランナーの大ファンである岡田斗司夫の新説「ブレードランナーはおもしろくない」説には大いに同意する。あれは、やっぱり、「印象が全て」の「長いCM」。というか、リドリー・スコットの作品はどれも、物語としてはひたすら陳腐。