2020年8月29日 土曜日/曇り。昨日とは打って変わって涼しい。しかし、やや湿気があり鬱陶しい。
わかった。来週の『私の家政夫ナギサさん』の最終回で、もう一度、飯尾(ずん)がメロンパン号にメロンパンを買いに来る。今回は『ナギサさん』の中の役で。「あんた、前にも来たでしょ?」「いいえ、はじめてですよ」みたいな。知らんけど。
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『浦安鉄筋家族』で、男の子の霊に取り憑かれた水野美紀が「にぎりっ屁」の準備動作で、股間に入れる腕を前から潜らせて尻の穴に手を当てていたが、「男の子」なので、後ろから尻に手を当てるべきだった。なんであれ「肛門の始末」をするときに、前から手を入れる男子はいない。
あと、「稲川ジューン」役で出た稲川淳二は、どちらかというと稲川淳二本人役だった。
アホの坂田がおじいちゃん役で姿を見せたのも良かった。
というか、この回は、[コロナ中断からの再開後の初回]だった前回の話よりも「前」に撮影されていたことは、大沢木家が「旧型」なことからも分かる。なぜ、放送の順番を変えたのだろう? コロナ中断中に「家」が取り壊されたことそれ自体を、再開後の一発目の「大ネタ」にしたたかったのか。まあ、そうだろう。
もうひとつ、今回のおハナシもそうだが、最後は「イイ話」的なところに持っていくのが、気に入らない。このテレビドラマ版は、全体として、そんなところがある。即ち家族の絆とか。原作漫画は、もっと圧倒的にドライだったはずで、そこが浦安鉄筋家族なのにね、と思う。だから、原作のファンは、やっぱりちょっと「オモシロクネエ」と思ってる思う。
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「岡田斗司夫のYouTube」の有料版(メンバーシップ)に登録して、『火垂るの墓』の「清太の物語冒頭と最後のカメラ目線問題」の「回答」その他を聞いた。面白かった。『火垂るの墓』は実は、「あなたの知らない世界」的なお話ということ。あれは清太と節子の「心中話」だということも、これは岡田斗司夫の説ではなく、高畑勲と原作者野坂昭如の間で「見解」が一致したものらしい。先に死んだ妹が、お兄ちゃんがちゃんと死んでくれるかどうか、「近くで」幽霊になって待ち続けているという構造。
しかし、岡田斗司夫に言われるまで、物語のオープニングが映画公開当時の「現代(1988年)」だということには気付かなかった。最後が「現代」なのは誰が見ても分かるが。一回しか鑑賞していないとこんなことになる。