2020年8月17日 月曜日/晴。暑い。
Lynchの謎のjarの使い道が判明した(『Jar Final』)。中に10個のボールを入れる。ボールには1から10までの通し番号が書き込んである。jarに手を入れて、無作為にボールを取り出す。取り出したボールに書かれた数字が「Today's number」である。
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宗教と科学の違い。宗教はいろいろな種類が世界中に無数に存在するが、科学は一つしかない。聖水や護符や干し首は、それらを便利に利用できる人がそれぞれに異なるが、自動車やスマホや電子レンジは、世界中の人間が分け隔てなく便利に使う。そして何より、宗教は、信じている人たちだけを「救う」が、科学は、信じていようといまいと「救う」。
違いの理由は単純で、全ての宗教が、一皮むけば「生命教」という単一物であり、その「御本尊」が「利己的な遺伝子」だからだ。「利己的」であることを成立させるのは「私と私以外」という認識であり、その認識を突き詰めれば、「私という存在に対する執着」ということになる(これはかつて、ゴータマが看破した迷妄でもある)。どのような宗教もすべて、「私にとっての私のためのもの」である一方で、科学に「私」が入り込む余地はない。
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一つはっきりと言えるのは、トランプが大統領になって以降、アメリカ大統領という職業もしくは地位のプレミア感は著しく減退した(あるいは、一層の事、消滅したと言ってもいいかもしれない)。
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「信心」や「勇気」は、「身贔屓された邪悪さや残忍さ」に過ぎないことがよくあるので気をつけろ。
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インターネットのイヤなところは、バカが大声を出して、他の大勢のバカの賛同を集めてしまえる点。即ち、中学校の教室と全く同じという点。
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たくさんの種類がある時点で、どれを食っても大して旨くはないことは、ほぼ確定。
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宗教も科学も究極の目的は同じ。「世界の終わり」の克服だ(言うまでもなく、自分自身の死も「世界の終わり」の一つである)。違いは、宗教は「他力」、科学は「自力」ということ。
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『沢村貞子の365日の献立』の特別編(25分。ちなみに通常は5分の番組)が8/19に放送されると知って喜んでいる。
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毎年のこの時期のテレビを観ていると、焼夷弾での皆殺しよりガス室での皆殺しの方が非人道的で、原爆での皆殺しは、他のどんな皆殺しよりも非人道的だという「空気」に満ち満ちていて、違和感だらけになる。