2020年12月31日木曜日

Philip K. Dick’s Electric Dreamsのエピソード2「自動工場」を観た

 2020年12月31日 木曜日/晴れ


Philip K. Dick’s Electric Dreamsのエピソード2「自動工場」を観た。

(ネタバレあり)


主人公(ロボットのエミリー)が「自動工場」を破壊しなければならない「公明正大」な理由が思いつかない。原理主義者が、自分たちの理想とは違う生き方をしている社会の破壊を仕掛けているようにしか見えない。実際、主人公たちは、工場が生産して送りつけてくるものを自分たちは消費したくないというただそれだけの理由で、世界中にいる彼ら以外のロボット(人間だと思いこんでいる)の生活基盤を破壊したことになる。ちょうどそれは、添加物の入ったものを食べたくない連中が、世界中の[オーガニックでない食料]の工場を破壊して、世界中の貧乏人の飢餓の危機に追い込むようなものだ。


主人公の彼氏は、自分たちがロボットであることを知っている様子。何度も主人公に対して「もう話したのか?」と尋ねるのはそのことだろう。


読んではいないが、おそらく原作のモチーフは、いまや世界中の人間が[大量生産される工場製品の消費者に「成り下がっている」という社会風刺だろう。


このテレビドラマの流れはこう。

1)天才科学者エミリーが「自動工場(Autofac)」を完成させる。

2)核戦争で人類が滅びる

3)人類に生産物を供給して奉仕することがレゾンデートル(存在意義)の「自動工場」は、自分の生産物を消費してくれる「消費者(自分を人間だと思いこんでいるロボット)」自体の生産供給を始める。

4)人工の「消費者」の中に、「自動工場」の生産物を消費しようとしない、「欠陥品(統計学的に発生するエラーのせい)」が現れる。

5)「欠陥品の消費者」すなわち主人公たちが「自動工場」を破壊する。


物語の中で、主人公のエミリー(ロボット)は、「本物」が紛れ込んだと言う。つまり、「人間のようにふるまう」人工の心ではなく、本物の人間、もっと言えば、たとえばエミリーの場合、モデルになった女性科学者自身が、ロボットの「体内」に再現もしくは復活したという意味合いのことを言う。それを一言で言えば、かつて生きていたエミリー博士が蘇ったということ。


だからこれは、核戦争を生き残った「自動工場」のおかげで、絶滅したはずの人間たちが(体は機械ではあるが)ついに蘇った、バンザーイ、という話。あとは、「人間ではない」知性を全て排除・破壊して、「人間」が世界を支配できればこんなめでたいことはない、という話。


ここでもまた「生命教」の呪縛が姿を表している。すなわち、[知性体は何よりもまず生命体でなければならないし、生命体の「教義」や「流儀」に従う知性体だけが「本物」の知性体である]という狂信が、実は、知性の無限の可能性の邪魔立てしているのだが、その「邪魔立て」が「善」や「希望」として描かれてしまっているのだ。まあ、物語が「生命教」に呪われてしまうのは、現時点での人類は、物語の製作者も、そして多くの視聴者も皆「生命教」の「狂信者」なのだから、やむを得ない。


古今東西あらゆる宗教物語(教典、聖典等)は、「邪教」を退け、異教徒を「改宗」させることを奨励し喜ぶものである。現在語られる思想・哲学・物語の背後にはほぼ必ず、生命教に対する狂信が隠れている。狂信が言わせることは、所詮全てただの戯言である。


現の虚 2014-5-4 副作用

部屋の中では煙草を吸うなと云われていたのでベランダに出た。雪は降り続いていた。遠くの空の、青紫に光っている雲の前を龍のようなものがうねうね飛んで行くのが見える。

それにしても19階はものすごく高い。19階でこんなに高いんだから、最上階の60階は恐ろしいことになっているはずだ。大体こんな高層なら、普通、窓は全部ハメゴロシじゃないのか。それとも住宅は違うのか。19階から落ちたら下に着くまでしばらくかかるだろう。60階から飛び降りたら、空気との摩擦で途中から燃え出すんじゃないか。

などと思いながら、ベランダに積もった雪の中に突っ立って煙草を吹かしていたら、部屋に灯りが付いた。バイク乗りのような格好をした小さい女子が両手で抱えて運び込んだ買い物袋をテーブルに置くのが見えた。この部屋を盗んで家主になりすましているコビ(偽名?)が帰って来たのだ。俺はベランダのガラス越しに手を振った。

盗んだわけじゃないわ、と自分の小皿で餃子のタレを作りながらコビが云った。死んだ人間に所有権なんてないもの。所有権のないものを使ってるんだから、空気を吸ってるのと同じでしょ。

なるほど。俺はそう云って、大皿に盛られて湯気を立てている餃子の山に箸をのばした。俺は、コビの手作り餃子を30個と白米を茶碗に1杯、ビールの中瓶を1本半飲んですっかり満足した。それで気が大きくなって、訊かれてもないのに、今の自分には変なものが見えるのだ、と話した。

逆の立場で、俺がもし、前日に道で拾った女子から、通行人が箒や鶴嘴に見えるとか、空に龍が飛んでるのが見えるとか聞かされたら、きっとメンドクセエと思うだろう。だからコーユーコトは黙ってる方がいいのは分かっていた。けど、多分、手作り餃子とビールをごちそうしてくれる相手に対して、人間は誰でも、遠慮や警戒心をなくすのだ。

俺のメンドクセエ話を聞いたコビは、澄ました顔で最後の餃子を箸で摘むと、クスリのせいよ、と云った。

副作用ね。クスリが効いてる間はいろんなものがいろんなふうに見えるけど、クスリがキレたらアンタ死んじゃうんだから仕方がないわ。この部屋にいれば副作用は現れないから、変なものが見えてイヤなら外に出なければいいのよ。

いや、変なものが見えても構わないんだけど、変なものが見えても何とも思わないのがブキミなのさ。

どっちにしろ、アタシには関係ないから。

コビはそう云って最後の餃子を口に入れた。

現の虚 2014-5-3 電話ボックスで

 凍死しかかってまだ本調子じゃないんだからしばらく出歩かない方がいいわよ、と云われていたが、俺は外に出た。知らない街でも少し歩けばコンビニくらいは見つかるだろうし、コンビニが見つかれば煙草も買えると思ったからだ。

予想どおりコンビニはすぐに見つかった。中に入って、週刊誌の「一家五人惨殺事件」の記事を立ち読みし、缶珈琲の新製品がないかを確かめ、何も持たずにレジに向かい、煙草を買おうとして驚いた。

店員の頭がスゴく小さい。

遺伝病や怪我の後遺症のレベルの小ささではない。握りこぶしくらいしかない。ただ、オカシイのはサイズだけで造形は普通の人間の頭部。遠慮がちに染めた髪の毛を遠慮がちに立てた若い男。

ラッキーストライクを。

俺は煙草を買った。頭のスゴく小さい店員は、応対も普通。声も普通。言葉も通じた。ただし、出してきたレシートは紙ではなく濡れたワカメだった。もちろん受け取らなかった。

店を出ると、曇り空から雪が落ちて来た。頭に雪を積もらせながら歩いていると、最近はあまり見ない公衆電話ボックスがあった。しかも電話機の上には灰皿が。

俺は迷わず中に入り、今買った煙草を取り出し火をつけた。電話ボックスの中で電話もせずに煙草だけ吸っていると、通行人がチラチラ見ているような気になる。俺は受話器を取って耳に当て、電話しているフリをして、煙草を吸った。

煙草の煙越しに電話ボックスの中から通りを見ていてあることに気付いた。行き交う通行人の半分がマネキン人形だ。脚を全く動かさず、道の上を滑っている。頭も変な角度に傾いたままだ。そして通行人のもう半分は人間のカタチすらしていない。人間の服は着ている。けど、中身はスコップや鶴嘴や竹箒。ああ、あの太ったヤツはコンクリートミキサーじゃないか。

俺は電話しているフリを続けながら、人間の服を着た人間でないものたちが通り過ぎる様子をしばらく眺めた。それから灰皿でタバコを消し、少し考えてから、ヤッパリオカシイと思ってゾッとした。目の前の光景にではない。俺は、非現実的な光景を目の当たりにしても、特にどうとも思えない俺自身にゾッとしたのだ。アカラサマな不思議を理詰めでしか不思議だと思えないのは、俺の中のナニカが重篤な機能不全を起こしているからに違いない。

その時、フリをするのに耳に当てていた受話器から声が聞こえた。

そこから人工衛星は見えるか?

俺は受話器を耳に当てたまま、空を見上げた。

現の虚 2014-5-2 不凍糖タンパクと肉うどん

 小柄の女は「コビ」と名乗った。

寒い場所の生き物の体液が凍らないのは、不凍タンパク質とか不凍糖タンパク質とか不凍糖脂質のオカゲよ、とコビは云った。体液に含まれるそういうタンパク質が氷結晶化の邪魔する。だから凍らない。
つまり、俺が凍死せずに済んだのもそのフトートーのオカゲ?
アンタはアタシが助けたから死なずに済んだのよ。

俺は、つけたばかりで少しも暖かくないストーブの前に陣取る。
コビは対面式キッチンの奥に入った。

いいマンションだ、と俺は云ってみた。
アタシのじゃないけどね。
ああ、そうなの?

コビは冷蔵庫から野菜だの肉だのを取り出して料理を始めた。

赤の他人の家。ある年寄夫婦の遺産。真冬の北陸をドライブ中に車ごと崖から落ちて二人揃って海の藻くずよ。事故のことはアタシ以外誰も知らないから、この家にはまだその年寄夫婦が住んでいることになってるんだけど、本当は空き家。だから勝手に使ってる。いろいろな支払いは全部引き落としになっているから、そういう方面からバレることもないし。
なんで、君だけが事故のことを知ってるのさ?
二人の幽霊に直に聞いたのよ。
そうなんだ。
そうよ。
警察に知らせようとは思わなかった?
逆に訊くけど、なぜ知らせなきゃいけないの?
子供とか親戚とか知り合いとかに教えてやらないと。
意味が分からないわ。

全ての材料を切り終えるコビ。包丁を洗う。

いつからさ、と俺。
なにが?
いつからここに?
半年前。

コビは、鍋に、切った材料を入れ、出汁の粉末を入れ、醤油を入れ、軽くかき混ぜて蓋をした。適当。料理は適当。愛情じゃない。

今、引き落とし口座にお金を入れてるのはアタシだから、もう実質アタシの家みたいなものなんだけど、名義は死んだ年寄夫婦のままだから、マンションの管理人も町内会も役所も交番も、みんな、今もここにその年寄夫婦が住んでると思ってるのよ。面白いでしょ?
なにが?
だって、死んだかどうかを決めるのは死んだ当人じゃないってことだもの。人間は、まだ生きている周りの人間に気付いてもらえなければ、死ねないのよ。現に、世間的にも書類上も、その年寄夫婦はまだ生きてる。

コビは冷凍庫から冷凍うどんを取り出した。

こういう冷凍食品にさっきの不凍タンパク質の知識が生かされてるわけ。

鍋の蓋を開け、湯気の中に凍ったうどんを放り込む。

何が出来るんだろう?
肉うどん。

死んだのに死んでない年寄夫婦の家で、俺は肉うどんをごちそうになった。

2020年12月30日水曜日

「キャンド・ハンティング」飼育場で繁殖させたライオンを、フェンスに囲まれた敷地内でハンターに射殺させる狩り

 2020年12月30日 水曜日/晴れ



『Philip K. Dick’s ELECTRIC DREAMS』の第一話「TRUE LIFE」を観た。

Amazon prime video originalの1話完結のドラマシリーズ。タイトルから分かる通り、Philip K. Dickの短編を映像化したもの。CG技術が発達した今だと、もう、Dickの世界イメージを作り出すことなんて簡単だね。『Blade Runner』制作の「苦労/工夫」が微笑ましくなる。



【メモ】「キャンド・ハンティング」飼育場で繁殖させたライオンを、フェンスに囲まれた敷地内でハンターに射殺させる狩り。南アフリカでは、年間約1000頭のライオンが「キャンド・ハンティング」で殺されているという。

(「クーリエ」December 2020 p38)


@前にも言ったが、いわゆる「トロフィー・ハンター」たちは、お互いが敷地内で撃ち合う「狩り」をするのが一番いい。スリル満点だろうし、誰からも文句は出ない。動物愛護団体に非難されることもないどころか、「トロフィー・ハンティング」すなわち「自身の娯楽のために動物を殺すこと」を喜ぶような輩が一人でも減って、その分、人類の[知性体としての洗練度]も増すはずなので、心ある人々は皆、諸手を挙げて歓迎するだろう。ついでに言えば、[趣味の釣り人]なんてものにも一切共感しない。ああいうのは、みんな、意味もなく虫を潰して喜んでいるガキと同じ。


@しかし、上の「クーリエ」の「キャンド・ハンティング」の記事で言及されているのは、中国の漢方薬の存在。もっと具体的に言うと、漢方薬の原料として[トラの骨]が国際的に高値で取引されているのだが、ライオンの骨は、そのトラの骨の「代用品」(厳密には「トラの骨と偽って売る品物」)として高い需要があるという話。漢方薬の全てがインチキや迷信とは言わない。しかし、少なくとも、猛獣の骨を酒に漬けたところで、猛獣の生命力は抽出されない。せいぜい、カルシウムが溶け出すくらいだろう。カルシウムなら牛乳でも煮干しでも摂れる。


@トラやクマの体の一部(骨や手のひら)を体内に取り込むことで、彼らの生命力や強靭さが手に入ると考えるのは、敵部族の戦士を殺してそのキンタマを食えば、彼らの生命力なり精力なりを自分に取り込める(さらに自分は強さや精力を増す)と考えるそれと、知能レベル的には同等のバカ。



NHKのドラマ『岸辺露伴は動かない』第3話「DNA」を楽しく観た。「アクトンベイビー」発動。


2020年12月29日火曜日

小津安二郎監督・佐分利信主演『お茶漬けの味』を観た

 2020年12月29日 火曜日/曇り



小津安二郎監督・佐分利信主演『お茶漬けの味』をprime videoで観た。ヒトにものを勧めるとき、よく「騙されたと思って」というが、この映画こそ「騙されたと思って最後まで観てくれ」と言いたくなる映画。ネタバレ的なことを書くと、映画が始まって100分くらいは、小津映画にもこんな「不快」な作品があるのか、と思い続けるが、最後まで見れば、ああ、やっぱりいつもの小津映画だと、スッとできるし、静かな「感動」もある。つまり、ものすごーく長い「溜め」の映画。最初の100分は、最後の15分を描くためのながーいながーい「溜め」(あるいは「前フリ・ネタフリ」)。あと、老人役ではない笠智衆が観れるのもいい。40代くらいのパチンコ屋の親父を演じている。戦地では、主人公(佐分利信)の部下だった男。主人公が勤める会社の社長のセリフの「棒読み」感が凄まじい。誰だろう? 


描かれている当時の風俗で言うと、パチンコというものが出始めで、プロ野球があって、競輪もあり、ラーメンも出始め。主要な女の登場人物がみんなタバコを吸っているのも興味深い。



【メモ】トリアージという概念は、ナポレオン時代、フランス軍の軍医長ドミニク=ジャン・ラレー男爵が、「看護兵は身分や勲章の有無に関係なく重傷者から治療すべきである」と判断したことに端を発する。

(クーリエ June 2020 p65)


@prime readingで、専用再編集版と言え、クーリエを読めるのは大きい(嬉しい)。昔、3年ほど定期購読していたくらいの雑誌だから。



録画してあった香川照之主演のドラマ『当確師』(テレビ朝日)を面白く観た。当確師とは、選挙当選請負人。選挙当選コンサルタント。内容はやや薄っぺらい気もしなくもないが、香川照之の「策士ぶり」をたっぷり楽しむためのドラマなのだろう。『半沢直樹』では、どうこう言っても脇役だから、たっぷり楽しむことはできないからね。といっても、『半沢』は観たことないんだけど。『当確師』、評判が良ければシリーズ化しようと目論んでいるのが丸わかり。



NHKドラマ『岸辺露伴は動かない』第2話「くしゃがら」を楽しんだ。今回のゲスト俳優は森山未來。同じ「少年ジャンボ」に連載する漫画家の志士十五(ししじゅうご)役。



【メモ】イタリアの医療ビジネスを牛耳る”スマート”マフィア「ンドランゲタ」。イタリアの「4大マフィア」の一つ。「ンドランゲタ」とは「勇気」を意味するギリシャ語に由来する。

(クーリエ December 2020 p30)







2020年12月28日月曜日

NHKの実写ドラマ『岸辺露伴は動かない』第一話「富豪村」を楽しく観た。

 2020年12月28日 月曜日/曇り



ヒッチコックの『見知らぬ乗客』をprime videoで観た。ガイ・ヘインズはテニスの試合にわざと負ければもっと早く現場に行けたのでは?/刑事の撃った流れ弾で殺されてしまうメリーゴーラウンド係のおじいさんは気の毒。/ブルーノ・アンソニーのお母さんが一番怖い。/アンの妹バーバラ(バーブス)は、『めまい』で主人公に片思いしている女子とキャラの雰囲気がそっくり。同じ女優なのかどうかはわからない。/ガイの妻の「ヤな感じ」はなかなかのもの。演出におかげで、誰もが殺したくなるような嫌な女の典型になっている。逆に、ブルーノ・アンソニーは、「恐ろしくアタマのキレる男」というより「ただのノータリン」という印象になってしまっている。



『ガンダム』視聴メモ:

第31話「ザンジバル、追撃!」


「全将兵」に対して、ゴップ提督の演説がある(放送)。ホワイトベースのみんなもブリッジに整列して聞いている。あるいは、ホワイトベースに乗組員に対してだけの演説か?

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セイラのGブルイージーはビグロの爪に捕まる。しかし「引っ掛け方が悪かった」ので、その体勢のままセイラがビーム砲を発射すれば、その瞬間にビグロは撃破できた。しかし、引き金に手をかけた瞬間、セイラは「まさか、このモビルアーマー、兄さんがパイロットだなんて…」と躊躇してしまい、その隙を突かれて、地球にむかって「放り投げられてしまう」。

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ブライト「総員、艦隊砲撃戦、用意!」


シャア「 Jタイプのミサイルが使えんのはやむを得んな。砲撃戦用意。回避運動を行いつつである!よーく、狙え!(木馬の射程距離とどちらが長いか、神のみぞ知るというところか。アルテイシア、乗っていないだろうな)」


シャア「よーし、木馬にぶつかるつもりで突っ込め!」

ジオン兵「はあ、しかし」

シャア「うろうろ逃げるより当たらんものだ。私が保証する!」


オスカー(マーカー)「ザンジバル、避けません。突っ込んできます!」

ブライト「なんだとお! ミライ、右へ逃げろ! シャアだ。こんな戦い方をする奴はシャア以外にいないはずだ。セイラの言った通りだ、シャアが来たんだ!」



今日の晩飯は、とんでんの「天ぷら弁当」(1200円)を食べた。



NHKの実写ドラマ『岸辺露伴は動かない』第一話「富豪村」を楽しく観た。高橋一生の岸辺露伴は、イメージよりも、やや声が甲高い気もするが、まあ、実際に居たらあんな感じかも。あと、ヘブンズドアーで人間の顔が本のページになってる「特撮(?)」はとても好かった。



【メモ】APD:聴覚情報処理障害:聞こえるが、聞き取れない。具体的に言うと、うるさい環境で、人の話している言葉がうまく聞き取れない。所謂「カクテルパーティ効果」が、うまく機能しない障害だろう。








2020年12月27日日曜日

小林聡美主演『パンとスープとネコ日和』を面白く観た。描きすぎないところが好い。

 2020年12月27日 日曜日/晴れ


小林聡美主演『パンとスープとネコ日和』をprime videoで面白く観た。描きすぎないところが好い。たとえば、主人公(小林聡美)が、若い住職(加瀬亮)に、自分たちは腹違いの姉弟だとか、打ち明けたりしないまま、お互いに行き来しているところとか。



岡田斗司夫ゼミ・ライブの『ナウシカ』解説視聴:


映画版のエンディング解説。ナウシカはアスベルの子供を宿しているので、ユパとアスベルの冒険の旅たちを見送っている説。なるほどと思った。あと、この妊娠は「公式」のもので、これによって、国土を失ったペジテが、「風の谷」と統合され、ペジテの住人もすんなり「風の谷」に「移住」することができた説。あと、ナウシカが指揮をとって新しく作っている風車は、地下深くにある清浄な水を組みだすための装置で、この風車の建設には、ペジテの工業技術が貢献している説(何と言ってもペジテは地下深くに眠る巨神兵を掘り出すほどの「穴掘り技術」を持っている)。


来週のライブは1月3日で正月休み。




蜜柑は腐り始めると、皮の表面にナントカいう物質が出てくる。これは肉眼では見えないが、ブラックライトを当てると光って見える。この技術のよって、効率的に腐った蜜柑を仕分けることができる。

(「カネオくん」)



『Room to Dream』読書メモ:


旅先でのLynchには色々と助けが要る。ホテル滞在中に、ルームサービスに電話することも、コーヒーを注文することも、あるいは、ホテルの従業員と顔をあわせることも嫌がるので、全て代わりにやってあげなれけばならない。Lynchはハッピーな人間だが、同時に、たくさんの不安(anxiety)も抱えている。



JRAのCMに出ている男女6人(柳楽優弥、土屋太鳳、高畑充希、松坂桃李、中川大志、葵わかな)が、CMの設定のままの役で、今流れている有馬記念のCMの舞台である喫茶店に集まって、それぞれが体験した「怖い話」をするという「設定」の4話オムニバスドラマを観た。どのドラマも展開が読めてしまうアリガチな代物なのはご愛嬌。最後の柳楽優弥の「不思議なお守り」が、『岸辺露伴は動かない』的な話で一番気に入った。そういえば、次の月曜から三夜連続で実写ドラマ『岸辺露伴は動かない』(主演・高橋一生)がNHKで放送される。楽しみだ。



四つ葉の濃厚ヨーグルトと黒豆の甘煮を混ぜて食べると極旨い。


2020年12月26日土曜日

NHKスペシャルの『患者が”命を終えたい”と言ったとき』を観た

 2020年12月26日 土曜日/大雪


NHKスペシャルの『患者が”命を終えたい”と言ったとき』を観た。「鎮静」処置をやるやらないで登場した医者の振る舞いについては、特に違和感は感じなかったが、ALS患者に呼吸器をつけるつけないで登場した医者の振る舞いには違和感しか感じなかった。違和感というか、まあ、恐怖だよね。アレを見て、医者がどうやって、人工呼吸器を望んでないALS患者に人工呼吸器をつけさせるのか、その「手口・やり口」がよく分かった。


放送されたものを見る限り、件の医者は、担当しているそのALS患者に人工呼吸器をつけたくてしかたがない。医者は自分からは、人工呼吸器をつけるべきだとは絶対言わないし言えないが、その振る舞いから、どうにかして患者の気を変えて、人工呼吸器をつけさせたいと思っている本心は丸わかり。何度も何度も意思確認をしたり、実際に呼吸器をつけたALS患者と話をさせようとしたり。


これは、「生命教」の狂信者の典型的な振る舞い(@一応言っておくと、「生命教」とは生命を存在宇宙の最上位に置く信仰で、所謂「無神論者」でも「生命教」信者であることから免れている者は少ない。なぜならこれは、人間という生命現象依存型知性現象の「持病」あるいは「呪い」のようなものだから)。


件の医者が、治療法もないALS患者に人工呼吸器を「つけたがる」のは、「医の倫理」や所属している医療機関の「方針」といった「上っ面の理由」以前に、その医者が「生命教」を「狂信」しているからだ。生命教狂信者にとっての生命は、一神教にとっての神と同じなので、「生きること」が「絶対の善」。だから、生きられる手段・選択がまだ存在するのに、それを放棄してむざむざ死ぬのは「異教徒の無知ゆえの愚かな振る舞い」でしかない。ちょうど、キリストを信じれば天国に行けると信じているキリスト教徒が、異教徒や無神論者の「キリストを信じない」という選択を、「無知ゆえの愚かな振る舞い」と見なすのと全く同じ感覚。


だから、件の医者は、入会を勧めて熱心に喋り続ける新興宗教の信者よろしく、「全くの善意」で、患者には人工呼吸器をつけてもらいたいと思っている。垂れ流しで、まぶた一つ動かせなくなっても、そうした全ての苦痛を帳消しにするだけの価値や意味が、「生命=生きている状態」にはある、と信じて疑わないからだ。


しかしそれは幻想である。知性としての人間にとって、生きている自分自身の身体は、地球や太陽と変わらないからだ。それらはすべて「媒体= medium」に過ぎない(と、この話は前にも書いたのでこれ以上は深入りしない)。



人工呼吸器をつけて「生き続け」させてたくて仕方がない件の医者は、あの手この手を使って、患者自身から、人工呼吸器装着希望の言質を取ろうとするわけだが、最後に、緊急入院(だっけ?)した患者と二人きりになった「チャンス」を「利用」して、患者の妻の「夫が人工呼吸器の装着を望むなら、私は夫の意思に従います」的な発言を持ち出し、ついに、患者自身から、人工呼吸器装着の承諾を取る。これなんか、テレビやネットや週刊誌が、芸能人や政治家の発言の一部を全体の文脈から抜き出して、その発言に別の印象や意味を与えるというやり口そのまま。


まあ、おそらく、生命教信者である件の医者には、患者の妻の発言は、「本当は妻も夫(患者)に人工呼吸器をつけてもらいたいと思っているのだ」というふうに聞こえたのだろうが、生命教に毒されていなければ、妻は単に、人工呼吸器に対する夫の判断はどんなものであろうと受け入れる、と言ってるだけ。


しかし、あの切羽詰まった入院のタイミングで、しかも周りに家族がいない(だから妻に真意を確かめられない)状態で、いかにも「本当はあなたの奥さんも、あなたに人工呼吸器をつけてもらいたいと思ってる」というニュアンスを込めて「誘導」されれば、患者も「諦める」しかない。


そう、患者は諦めたのだ。なにを? 患者は、この医者が本心では人工呼吸器をつけたくてしょうがないのは、随分前からはっきりと分かっていただろうが、自分の妻までがそれを望んでいたのなら、もうしょうがない、と「諦めた」のだ。つまり、安らかに死ぬことを諦め、猿ぐつわをされた上から、頭からすっぽりストッキングを被せられ、体は拘束衣に縛られた状態で床に転がされて生きるような数年間を受け入れることにしたのだ。


自分を担当した医者が生命教の狂信者の場合(しかもそれは高い確率で起こる。なにしろ生命教は人間の「持病」である)、こんな悲惨な・不本意な・医者のおもちゃにされる「晩年」を送る羽目になってしまう。


ついでに言うなら、終末医療の医者の葛藤のほとんど全ては、生命教の「教義」あるいは生命教に対する「信仰」と、知性現象としての人間の本質との対立。



2020年12月25日金曜日

キアヌ・リーブス主演『ジョン・ウィック』(2014年)を観た。

 2020年12月25日 金曜日/晴れ


キアヌ・リーブス主演『ジョン・ウィック』(2014年)をprime video で観た。主人公のジョン・ウィックは引退した凄腕の殺し屋。かつて属していたロシア系マフィアは、ジョンのおかげで、今、その地域を牛耳れている。マフィアの親分ヴィゴ曰く、「引退」の交換条件に「絶対に不可能」のはずの仕事をジョンに命じたが、ジョンはそれを不屈の精神でやり遂げた。ところが、ヴィゴの息子が、ジョンを襲撃し、ジョンの車を盗み、ジョンの飼い犬を(ジョンの目の前で)殺してしまう。その飼い犬は、ジョンの病死した妻ヘレンが、ジョンの生きる希望として贈ったもの。無論、ヴィゴのバカ息子は、ジョンがナニモノなのかは全く知らなかった。


この映画で一番面白いキャラは、ロシア系マフィアの親分ヴィゴ。最初は、息子がジョンに殺されないように一応ジョンに電話をかけて交渉してみたりするのに、いざとなったら自分の命惜しさに息子の居場所をジョンに教えたりもする。ついに息子がジョンに殺されたときには「苦しませないで殺してくれてありがとう」とジョンに礼を言う一方で、裏切ったスナイパーのマーカスに死の制裁を加えたり、やってることが支離滅裂。で、最後、やっぱり殺されずに生きていたジョンが、高跳びしようとしている自分たちを追いかけてきたときに、とても嬉しそうにしていて、それがなんと言っても好い。


つまり、ヴィゴは、コトここに至り、自分自身が、最強の殺し屋の標的になっていることを楽しんでいる。伝説のジョン・ウィックの「仕事ぶり」を「特等席」で堪能できることを喜んでいる。例えば、ヴィゴの側近が車の中で自分の銃を探し回っているときに、先に銃を見つけたヴィゴが、楽しそうに側近に銃を渡す。その顔はこう言ってる。「お前、銃を持ってどうしようってんだ? その銃であのジョン・ウィックに勝つつもりなのか? 馬鹿だねえ。まあ、やりたきゃ、やってみなよ。どうせ殺されるだけだから」。こんなイカれた(イカした)悪党キャラはあまりない。


あと、全編通じて殺しまくるジョン・ウィックだが、なぜか女は殺さない。教会の金庫の中に居た女事務員二人を見逃すのはまだしも(よく見ると教会の席の老婆も殺してない)、自分を殺しに来た女殺し屋ミス・パーキンズさえ「生かして放流」する。この辺は、なんか、ああ、ハリウッド映画ですね、と少し興ざめした。



2020年12月24日木曜日

墓荒らしのルールと麻酔が登場する前の外科医の心得

 2020年12月24日 木曜日/晴れ


▼墓荒らしのルール

1)貧乏人の墓を狙うこと。墓掘り人に払うカネが少ないので、穴が浅くて棺も脆いから。

2)盗むのは死体だけ。死体以外は、ハンカチ一枚、指輪一個として持ち出さない。そうした品物には所有者がいるので窃盗罪になる。この時代(18世紀のイギリス)では、窃盗はおろかスリでも死刑になった。しかし死体に所収者はいないのでバレても窃盗罪にはならない。

3)新しい墓を狙う。3日もすると死体が腐り始め、内蔵も溶けてしまって、せっかく盗んでも解剖実験には使えないから。更に、この時代、墓荒らし=死体泥棒は一種の産業と化していたので、同業者が多数おり、日数が経ってから墓を暴いても、既に同業者が死体を持って行ったあとで墓はカラ、ということがママあったから。

4)墓荒らしには縄張りがある。


▼死刑囚の死体が解剖実演・実験に回されたのは、死刑囚はふつう健康体のまま死ぬから。逆に、病死した死体は、せっかく解剖して内臓を観察しても、それが健康な状態のものか、何らかの異常が起きているのかが分からない。


▼麻酔が登場する前の外科医の心得

1)他の患者に悲鳴が聞こえない場所に手術室を作ること。

2)患者が暴れまわらないようにしっかり縛り付けること。

3)患者が死んでしまわないうちに手術を終えること。

4)外科医がいつも持っている杖を、「つらくなったらこれを握りなさい」と言って患者に渡すこと。


以上、岡田斗司夫ゼミUG動画『世にも奇妙な人体実験の歴史』の解説から。



「ゴチになります」の今季の最終回をたまたま観た。すなわち、クビになるメンバーが確定する回である。料理を食べるところは収録で、クビメンバーが決まる最後の「結果発表」の部分だけが(「去年と同じ」と羽鳥)の生放送だった。結果、クビになったのは、今回ビリになった田中圭と、クビレースで断トツビリを走っていた本田翼の二人(クビルーレットの結果で、クビになる人数は二人に決まった)。で、田中圭のクビが確定して以降は、とても「楽しいバラエティ」とは呼べない辛気臭い空気の番組なっていて、逆に、笑った。あれが、出演者たちの演技(演出)なのか、素なのかは分からない。可能性は五分五分だろう。とにかく、結果としてノブが土壇場で生き残ったので、また、ネットで色々と面白がって書かれるだろう。本田翼の代わりにノブがクビなればよかったのにとかナントカ。




2020年12月23日水曜日

18世紀(19世紀も?)のイギリスでは、妊娠している女は死刑にならなかった

 2020年12月23日 水曜日/晴れ


小林聡美主演の『パンとスープと猫びより』の第二話を観た(prime video)。第一話は、まだ、主人公が編集者からサンドイッチ屋に転職するまでの話だったからそうでもなかったが、第二話は本格的に店の営業の様子が描かれたので、いわゆる「食テロ」状態になってしまった。店で出されるサンドイッチが旨そう、ということ。あと、喫茶店のママの変化球の優しさ。



18世紀(19世紀も?)のイギリスでは、妊娠している女は死刑にならなかった。だから、犯罪を犯して捕まった女は、その辺にいる守衛でもなんでも捕まえてsexし、とにかく急いで妊娠しようとした。また当時は、スリでもドロボーでも何でもすぐに死刑判決が出た。

(岡田斗司夫ゼミ/『世にも奇妙な人体実験の歴史』解説より)



「旅するためのイタリア語」の12回で、また「旅するイタリア語/ナポリ編」の伝説の神回「山の上のジェンマばあちゃん」の放送があった。前回やった「名場面」の放送の時に、マッテオの「なぜだろう涙が止まらないや」が丸々カットされていたから、きっと視聴者から「苦情」があったのだろう(いや、知らんけど)。「山の上のジェンマばあちゃん」の「展開」はもはや語学番組の枠を超えているからね。



日清のチャルメラの復刻版(しょうゆ味で、ちゃんと、粉末スープと何かもう一種類の粉末が、仕切りはあるが一つにつながった袋に入ってるアレが入ってた)を食べてみたら案外旨くない。今、普通に売っている、今のチャルメラしょうゆ味の方が断然旨い。試しに一日あけて今日また食べてみたが、やっぱり同じで、意外に旨くない。改めて「味の記憶(思い出の中の味)」ってアテにならんなあ。と思った。



『コロンボ』視聴メモ

「別れのワイン」


兄のAdrianはカネを、弟のRicはワイン工場を、父親から遺産として譲り受けた。まもなく、兄は譲り受けたカネを使い切り(おそらく高級ワインの収集に消えたのだろう)、ワインにも商売にも興味のない弟は、ワイン工場の経営等一切合財を兄に任せることにした。つまり、事件が発生した当時も、ワイン工場のオーナーは弟のRicだということ。だから、「うがい薬にもならない」安売りワインで商売をしているマリノ酒造(Marino Brothers)に工場を売ると決めた弟に対して、兄は「無力」だったのだ。AdrianとRicは腹違いの兄弟。



2020年12月22日火曜日

宮沢りえ主演『グーグーだって猫である』全4話を観た

 2020年12月22日 火曜日/晴れ


『フード・インク』をprime videoで観た。アメリカの食料産業(農業と食品産業)の実態を追ったドキュメンタリ/2011年の映画。



宮沢りえ主演『グーグーだって猫である』全4話を、一日一話ずつ4日かけてprime videoで観た。結構いろいろな知った顔が出た。黒木華(アシスタント)、長塚圭史(出版社の担当)がレギュラー。第1話のゲストは田中泯(グーグーをくれるホームレス)。第2話のゲストは岩松了とロッチの中岡(居酒屋の父子)。第3話のゲストは市川実和子(同級生)。最終回のゲストは菊地凛子(喫茶店で紫色のバラをつけてくれる)。あと、ゲストレベルではないが、市川紗椰が新しい担当役で出ていた(今、ウィキペディアを調べたら載ってなかった。というか、テレビドラマのカテゴリーはカラだった)。あと、菊地凛子の場面の喫茶店は、この前までやってた『極主夫道』の喫茶店にそっくりだった。猫はあんまり関係なくて、まずは、宮沢りえを楽しむドラマ。というと、変に聞こえるが、まあ、そう。でも、第3話の終わりに女子校時代の自分たちが隣の席に座ってこっちを観てるとか、第4話の授賞式に、子供の自分と、女子校の自分と、15年前の自分とかが居て、一緒に拍手するとか、なかなかいい感じだった。



『Twin Peaks』第3章視聴:

クーパーが「昨夜の夢」について話す、モルグでのすったもんだ、ローラの葬式と色々あるが、実は、この第3章の一番の場面は、感極まったリーランドがローラの棺に抱きついて、棺が上がったり下がったりしていた様子を、その夜、ダイナーに来ていた二人の老人客にシェリーが面白おかしく話して聞かせ、三人でゲラゲラ笑うところ。しかも、その「不謹慎さ」は特に問題にされることもなく、スーッと本題(ブックハウスボーイズの打ち合わせ)に入る。実にすばらしい。人間の真実というものがよく分かってらっしゃる。他人の葬式なんて、所詮喜劇でしかないからね。



久しぶりにラーレの「ケバブサンド」を食べた。相変わらず旨い。鯖丼も半分食べた。これも旨かった。



NHKプラスで『クロ現+・認知症の私が認知症の相談にのってみたら』を観た。認知症と言っても原因も症状も様々なのだから、相談にのってもらっても気休めにしかならないのだが、その気休めこそが認知症患者にとってはもっとも必要なのかもしれない。


2020年12月21日月曜日

録画してあった「M1 2020」を観た。今回は「見取り図」だったろう。

 2020年12月21日 月曜日/曇り


『ルパン三世』「7番目の橋が落ちるとき」をprime videoで観た。このエピソードが一番好きかもしれない。見ず知らずの美少女のために、悪党の「いいなり」になって現金輸送車を襲うルパンと次元。五右衛門、不二子が出て来ないのもいい。さらに、最後はルパンが自ら、愛用のワルサーP38で悪党を撃ち殺すのもいい。見ればわかるが、のちの『カリオストロの城』のプロトタイプ的な話(美少女と銭形が、逃走するルパンを「見送る」場面など)。因みに「7番目」の橋は、ルパンが悪党を狙撃した橋桁のこと。悪党が当初爆破を予定していた7番目の橋(複数)の爆破は、死傷者がたくさん出ることを嫌ったルパンがやめさせた(「たかが現金輸送車一台、ピストル一丁で片がつく。粋にやろうぜ」)



『ガンダム』視聴メモ

第30話「小さな防衛戦」


この回の作画は、ちゃんとしている。というか、登場キャラクターが全員、ちゃんと安彦さんの顔になっている。というか、演出(コミカルな表情や動き=アムロにビンタを避けられる上官とか)が、いかにも阿っていて、安彦さん的なのが印象に残る。

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アッガイ初登場。シャアのズゴックとアッガイたちがジャブローに潜り込む場面。モビルスーツに比べて、背景のジャングルの木の背がやたら高い。というか、モビルスーツが普通の人間くらい位の大きさにしか見えない。

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「ガンダム工場」の仕掛けられた爆弾を外したキッカたちと、アムロたちが出会う理由がテレビ版と劇場版では違う。テレビ版では、アムロたちは「ガンダム工場」の見学に向かっていたので、必然的にキッカたちと出会うことになる。劇場版では、アムロたちは最初からキッカたちを探している。

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セイラとシャア二度目の再会。ここにも、テレビ版と劇場版で少し違いがある。テレビ版では、先にシャアが気づいて「アルテイシア」と呼びかけ、振り返ったセイラの顔をみて「やはり」とつぶやきニヤリとする。劇場版では、シャアはセイラが気づくまで黙っていて、目が合ってから「やあ」と挨拶する。劇場版のシャアの振る舞いの方が、生きている人間として深みがある。

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シャア「アッガイと雖も一瞬のうちに4機も仕留めたのか。腕を上げた…」

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ブライト「第13独立部隊というのは、囮専門ということなのですか?」



録画してあった「M1 2020」を観た。今回は「見取り図」だったろう。


2020年12月20日日曜日

木曜日に配信で観た志らくの「芝浜」は、晩年のマイケル・ジャクソンの顔

 2020年12月20日 日曜日/曇り


木曜日に配信で観た志らくの「芝浜」は、晩年のマイケル・ジャクソンの顔。



『MS IGLOO』視聴

第3話「軌道上に幻影は疾る」


Zimad(ツィーマッド)社の試作モビルスーツZudah(ヅダ)登場。型式番号はEMS-10。しかし、実はこれ、かつて、採用コンペで、Zionic社のMS-05に破れたEMS-04を、型式番号だけを変えてそのまま持ってきたシロモノ。コンペに破れた最大の原因は、搭載したエンジンが制御不能に陥って機体が「空中分解」するパイロットの死亡事故が起きたため。


ジオン軍上層部は、この「欠陥品」を「期待の新兵器」として偽って、戦意高揚の宣伝につかったわけである。このような兵器を「ゴーストファイター」というらしい。


しかし、今回のエピソードでは、オデッサで破れて宇宙に逃げてきた友軍(地上仕様のせいで、ボールごときにいいようにされ、宇宙で『溺れる」ザクたち)を助け、連邦のジム部隊とボール部隊を撃破する。撃破と言っても、ジムをスピード合戦に誘い込んで、ジムのエンジンが暴走して自爆するように仕向けただけ。ジムが全て爆発したあとで、ヅダも爆発するわけだが、このエピソードから「わかる」のは、ヅダが特に欠陥モビルスーツだったわけではないということ。というのは、同じ条件になったとき、先に爆発してしまったのは連邦軍の4機のジムの方だからだ。逆に言えば、ジムのように「無理をさせずに」乗りこなせば、ヅダは、少なくともジム並には活躍できた。と言いたいらしい。



「オッドマン仮説」:自分の命だけでなく、国全体の命が関わることに対する判断は、結婚している者よりも独身者の方が7%多く正しい。

(岡田斗司夫ゼミ/マイケル・クライトン『アンドロメダ病原体』についての解説)因みに、マイケル・クライトンは所謂天才少年だったらしい。天才少年は生涯生き辛さの中で生き、普通の天才は途中はずっとバカにされ、相手にされないが、最後に「あいつは天才だったのか」と尊敬される。



九谷焼の黄色に黒い点々が打ってあるのには意味がある。黄色は最も溶けて流れやすい。それを防ぐために昔から黒い点が打たれてきた。即ち、技術的要請。

(「日曜美術館」)



ライアン・ノース著『ゼロから作る科学文明 タイムトラベラーのためのサバイバルガイド』のサンプルを読んでいる。ドライな笑いが面白い。買うかもしれない。




2020年12月19日土曜日

『All You Need is Kill』(吹替版)を観た

 

2020年12月19日 土曜日/雪

『All You Need is Kill』(吹替版)を、prime videoで観た。アクションビデオゲームの主人公が無敵の理由は、何十回も何百回も死んで(ゲームオーバーになって)、どこで何が起きるかのパターンを予め知っているからだ。その「無敵」条件を、「実際」の戦争という舞台でやってみたという映画。だから、この映画の主人公(トム・クルーズ)は、いろいろな場面で死にまくる。死にまくって、「ゲームスタート時」に戻って、失敗したところをうまくクリアする方法を見つけて、少しずつ「前進」していく。


途中色々あるが、最終的に敵の本体である「オメガ」の潜む場所を見つけて、そいつを破壊してゲームクリア。


主人公は、仲間全員を犠牲にし、自分自身の命も犠牲にして最終的に「オメガ」の破壊に成功するのだが、その際に「オメガ」もしくは「アルファ」の血液を浴びて(体内に取り込んで)またしても時間を戻ってしまう。で、最後の最後は、将軍と会見をする前(ロンドンに降りる前のヘリコプターの中)に戻ってくる。ここで、もし、「戻ってきた」世界が「元のまま」なら、まあまだ良かった。つまり、この「ゲーム」を真にクリアするためには、そもそも、主人公は、将軍の命令を拒絶して脱走兵の二等兵として戦争に参加していてはダメで、少佐として、英雄「ヴェルダンの女神/戦場の牝犬」リタ(もうひとりのタイムルーパー)を伴って将軍を説得し、全軍を率いて「オメガ」が潜んでいるルーブル美術館に攻撃を仕掛ければいい、ということにあるからだ。そうすれば、主人公の仲間たちは誰も死なず、ギタイも殲滅できる、という「完全攻略」になる。


これでも、いかにもハリウッド映画な「ハッピーエンド」で、ゲンナリするのだが、実際の映画はこれにすらなってない。


「オメガ」を破壊した主人公が「戻ってきた」世界で、将軍は「今朝早く、パリの中心分で謎の大爆発があり、ギタイの戦闘力は完全に失われた」「我々は西部戦線に進行を開始する」と演説しているからだ。つまり、ここは、主人公がロンドンに着いた時点ですでにオメガが破壊されている世界なのだ。主人公は「自らが引き起こした」パラレルワールドに移動したわけでもない。


破綻している。


途中は面白かった。最後でぶち壊し。でもまあ、この「ぶち壊し」のおかげで『アルマゲドン』的な浪花節映画にはならずに済んだ。



2020年12月18日金曜日

山崎努が認知症を発症した元国語教師を演じる『長いお別れ』をで観た


2020年12月18日 金曜日/曇り

山崎努が認知症を発症した元国語教師、東(ひがし)を演じる『長いお別れ』をprime videoで観た。70歳で発症し、72歳、74歳(2011年)、76歳(2013年)と物語は進む。しかし、モチーフは認知症ではない。「認知症になった父を持った家族」の苦労話でもない。その妻と、娘二人と、娘の家族の話。だから、所謂「痴呆老人映画」のような、どんより感は皆無。むしろ、ほのぼのとしている。この映画で「認知症の父」はタロットカードの「愚者」のような役回り。


物語の中で2011年3月11日直後も描かれている。夫と息子と三人でアメリカに住んでいる長女(竹内結子)が、セシウムを恐れて、日本の両親(山崎努と松原智恵子)に外出を控えるよう、特に雨に打たれないようにしろと電話する場面がある。トイレットペーパーが切れたので止むを得ず近所のスーパーに出かけた二人。雨に降られる前に家に帰れそうだったのだが、認知症の東が、ポケットに商品を入れて出てきてしまい、スーパーの事務所であれこれして時間を取られているうちに、結局、雨の中を帰ることになる。これは切ない場面。


病気が進行した父親(東)は失恋した次女を慰めるときに、もう、何か意味の分からないことを言い出す。「そんなにクリマルな」とか「ゆーっとする」とか。


網膜剥離の手術を受けた後、ずっとうつ伏せ担っている母親(妻)の説明。

手術で、今、目の中にガスが入っている。うつ伏せにすることでそのガスが上(つまりは目の奥)に上がり、ガスの圧力によって、網膜を抑えて貼り付けている。


ちなみに、題名の「長いお別れ」は、認知症dementiaのこと。物語の一番最後に、アメリカで暮らす孫の崇が通う学校の校長先生が、崇に、アメリカでは認知症のことを「long goodbye」という教えてくれる。しかし、日本語の「長いお別れ」には、「永遠のお別れ」のニュアンスがある。英語がdementiaをlong goodbyeと呼ぶのは、認知症が「ゆっくりと記憶や人格などが失われていき、徐々にその人が存在しなくなる」からで、dementiaの別名として「long goodbye」を正確に日本語に訳すなら「長い別れの挨拶」とすべきだ。


あと、この映画は2019年公開。竹内結子はこの映画に「迷惑」をかけないために、自殺するのを一年間我慢したなかな、とか思った。



2020年12月17日木曜日

「質問をしても答えない人間というのは、非常に興味深いものだ」


 2020年12月17日 木曜日/雪

ヒッチコックの『ロープ』をPrime Videoで観た。吹き替え版。いきなり冒頭からの20分間、フィルム一巻が終わるまでの(右上にパンチが出るまで)超長回し(オープニングのスタッフスクロールがあるから、正味の長さは15分ほどか?)。その15分後(全体の35分ごろ)に2回目のパンチが出たあと(ブランドンが、フィリップが鶏を絞め殺す話をした直後)、窓の外の空の色が変わっている(夕焼けになっている)。51分頃に3回目のパンチ。59分に、ブラントンの背中のアップで画面が真っ暗になる。そこでカットしているはず。このときパンチは出ない。69分頃にパンチ。73分頃に、ルパート(ジェイムス・スチュアート)がチェスト(デビッドの死体が隠されている)の天板を開けた時に画面が真っ暗になる。ここでまたカットしたはず。


とにかく長回し長回しの変な映画。というか、これが一つの「売り」なのかもしれないし、もしかしたら、元は一幕もの舞台劇だったのかもしれない。そういう雰囲気はある。割と面白かったが、作品の思想は軽め。最後のルパートがブランドンに向かってする「演説」が全て。殺す権利を持つ「優れた」人間が誰で、殺されても仕方がない「劣った」人間が誰かを、個人としての人間が勝手に決めることなど許されないし、できない、というハナシ。


「質問をしても答えない人間というのは、非常に興味深いものだ」パーティの最中、ピアノを引いているフィリップにルパートがいろいろと訊く場面)



岡田斗司夫ゼミのアップグレード動画のハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』の解説に触発されて、kindle版の『月は無慈悲は夜の女王』を買った。ポイントがあったから、200円ちょっとで手に入った。


冒頭部分でいきなりやられた。50年近く前に、もう、知性もしくは自意識を持っているとしか思えない機械(コンピュータ)がどーんと出てきて、一人称の語り手と語り合う。そこで提示される、知性は「有機生物の専売特許ではない」という考え方。その通り。これだから、自己慰安以外にフィクションなど書く理由はないのだ。あなたの思いつくフィクションのための「とびっきりの」アイディアは、50年も100年も前にもう誰かが思いついている。ついでに言うなら。あなたが思いつく思想/哲学の「革新的」アイディアは、何千年も前にとっくに語り尽くされている。






2020年12月16日水曜日

岡田斗司夫によれば、電子書籍が今の値段の3分の1くらいになると、逆に紙の本は今の値段の3倍くらいになる


2020年12月16日 水曜日/曇り冷える


You Tubeにどこかの誰かがアップしてあった、中井貴一が金田一耕助を演じたテレビ朝日の新春ドラマスペシャル『犬神家の一族』を観た(1990年頃の作品)。何か、もしかしたら、いちばん有名な石坂浩二版金田一の『犬神家』よりも、こっちのほうが好いかもしれない。中井貴一版の方が、登場人物たちの人物造形に厚み、すなわち説得力がある。そもそも原作の人物造形が薄っぺらのペラッペラだし、石坂浩二版のも相当薄っぺらいから、深いと言ってもまあ「ふつう」のレベルなんだけど、それでも、金田一耕助モノでは、この「ふつう」のレベルの人物造形ができてるものはほぼ皆無なので(みんな、連続殺人事件を成立させるためのつじつま合わせの人形でしかないので)、この中井貴一版がとても「好い」もののように感じるのだろう。


あと、昨日も書いたが、やっぱりフィルムの質感が美しい。それも「説得力」が増す要因。石黒賢は棒読み。



岡田斗司夫によれば、電子書籍が今の値段の3分の1くらいになると、逆に紙の本は今の値段の3倍くらいになる(おそらく、出版社が経営を維持するために、電子書籍分の減収を、紙書籍分に上乗せするからだろう)。で、たとえば、今、電子も紙も600円の漫画の電子版が200円になると、紙の方は1800円になる。これはざっと見て、200円と2000円で10倍の差。もちろん、この価格差は漫画本に限らない。全てのジャンルの出版物で起きる。そうなった場合に、電子書籍だけで出版される本と、紙だけで出版される本が生まれ始める。大衆車に対する高級車、「かっぱ寿司」に対する「すきやばし次郎」みたいなことが起きる。すると、電子書籍ばかり読む貧乏人と、紙の本を読む金持ちとの間に「格差」が生まれ、格差社会になる。岡田斗司夫によれば、金持ちと貧乏人が存在するだけでは格差社会ではない。金持ちと貧乏人が、互いの価値感を理解できなくなった社会が格差社会である。岡田斗司夫が中世ヨーロッパを野蛮人の社会と呼ぶのは、彼らが格差社会を形成していたからだ。一方、日本は室町以降ずっと、農民から武士までが互いの価値観を理解はしていたので格差社会ではなかった。つまり洗練された社会だった(『タモリ倶楽部』のような?)。電子書籍には安くなってほしいが、そうした洗練された社会を失うのも惜しい、というのが岡田斗司夫の意見。


2020年12月15日火曜日

Lynchの『Rabbits』のウサギたちは「speaking in mannered haikus」つまり「俳句の形式で喋っている」

 

2020年12月15日 火曜日/晴れ時々雪


『Twin Peaks』視聴メモ

第2章:

ベンは、ローラが殺害され、ノルウェー人との契約が失敗に終わったことをジェリーに知らせる。ただし、ノルウェー人と契約の失敗の原因が、娘のオードリーであること(オードリーがローラの殺人事件をノルウェー人たちにわざと伝えたこと)には一切触れない。前回、オードリーに対して「私の娘はローラよりもずっと前に死んだ」的なことを言ったベンだが、ちゃんと娘のことを庇っていることが分かる。



『共演NG』の最終回をTVerで観た。あるいは配信されてないかも思ったが大丈夫だった。というのも、最終回がテレビ放送される直前に、2.5次元俳優役で出ていた俳優のDVが週刊誌に出て、現実の世界でも「出演俳優の不祥事」が発生してしまったからだ。こんなことってあるんだねえ、と関係者も視聴者もみんな思ったはず。


で、最終回の内容は、まあ、『ナギサさん』のときと同じで、映像ソフトを売らんがための「総集編兼宣伝」という感じ。でも、その中で、斎藤工演じる市原龍が主張していたことに責任を持つなら、出演俳優のDV報道ごときで、放送を中止にしたり映像を差し替えたりするわけにはいかないわけで、だから『共演NG』の最終回はそのまま放送されたのだろう。



アップしたのが何者かは全然知らないし分からないのだが(所謂「違法」じゃないのか? それとも関係者か何かなのか?)、金田一耕助を中井貴一が演じている1990年頃の新春スペシャルドラマの『犬神家の一族』をたまたま見つけて少し観た。短髪・メガネ・三つ揃いの金田一耕助も悪くない(おまけに松本伊代演じる助手までいる)。他のキャストも(パッと見ただけだが)犬神佐兵衛翁が若山富三郎、珠代さんが財前直見、佐清が石黒賢、猿蔵が丹古母鬼馬二、地元の警部が荒井注と、なかなかな顔ぶれ。あと、フィルムで撮影された映像がとても美しい。テレビとは思えない。



Lynchの『Rabbits』のウサギたちは「speaking in mannered haikus」つまり「俳句の形式で喋っている」と『Room to Dream』に書いてあった。アイロンがけをしているウサギに入っていたのがナオミ・ワッツで、カウチにずっと座ってるウサギに入っていたのが、閉所恐怖症で「目を閉じているしかなかった」ローラ・ハウリングだということも分かった。



2020年12月14日月曜日

『細かすぎて伝わらないモノマネ2020』を観た


 2020年12月14日 月曜日/晴れ

『ガンダム』視聴メモ

第29話[ジャブローに散る!」


オープニングで前回のミハルの死について、ナレーションが「それは素人ゆえの悲しい出来事であったかもしれない」と言う。

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ホワイトベースが蝶の群れに遭遇するタイミングが違う。テレビ版では、ジャブローのドッグに向かっている最中(未だジャブローには到着していない)に遭遇する。劇場版では、ジャブローでの修理と戦闘が終わって宇宙に上がる時に遭遇する。

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ウッディ「自惚れるんじゃない、アムロくん! ガンダム1機の働きで、マチルダが助けられたり戦争が勝てるなどというほど、甘いものではないのだぞ!」

アムロ「で、でも」

ウッディ「パイロットはその時の戦いに全力を尽くして、後悔するような戦い方をしなければそれでいい」

アムロ「はい」

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GM(ジム)走って初登場。

セイラ「ガンダム?」

アムロ「いえ、あれは GM(ジム)です。ガンダムの生産タイプです」

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ウッディ大尉は、ガンダムの戦闘に割って入って、乗っていたホバークラフトのコクピットをシャアのズゴックの「手」で叩き潰されて戦死する。図らずも(というかフィクションなんだから「図ってる」けど)、許嫁のマチルダと全く同じ死に方! しかし、刺し違えた形で発射したミサイルが、ズゴックの目(メインカメラ)を破壊する。

シャア「ええい、メインカメラをやられたか。ボラスキニフ(ゾックのパイロット)援護を頼む!」

ちなみに、劇場版のシャアは「バランサーが狂ったか」というだけ。そもそも劇場版にはゾックが登場しないので、援護を頼む仲間もいない。




録画してあった『細かすぎて伝わらないモノマネ2020』を観た。優勝は「普段女子力ゼロなのに、なにかの拍子に女が出てしまう」というネタをやった、13回連続落選後に初出場した岡田直子という吉本芸人に違いないと思ったら、やっぱりそうだった。


あと、ダミー人形を吉田沙保里に見立てて、吉田沙保里の圧倒的強さを表現したアマレス兄弟のネタは、発明(発見?)だと思った。


懐かしのエレキテル連合の片割れ(名前忘れた)がやっていた、番組にゲストで来ていた吉岡里帆のモノマネは、(当人は熱烈な吉岡里帆ファンだと言っているが)、最初は「悪意」くらいだったのが、最後は「敵意」を感じるものにすらなっていて、笑った。あれは間違いなく、「悪意」ではなく、既に「敵意」である。


2020年12月13日日曜日

「久保みねヒャダ」の配信ライブ#7を観た。これからはこういうイベントは配信がいいね。

 

2020年12月13日 日曜日/曇り

ガンダム人形浄瑠璃「Ms igLoo」の第2話「遠吠えは落日に染まった」を視聴した。試作モビルタンク「ヒルドルブ」対、連邦軍に鹵獲された「MS06J」6機。



14時から「久保みねヒャダ」の配信ライブ#7を観た。これからはこういうイベントは配信がいいね。というか、大抵のライブイベントは配信がいいかも。なにより、交通費、移動時間、トイレ待ちなどの「問題/煩わしさ」が全て解消される。しかも主催者側にはちゃんとカネが入る。


ライブ配信は、チケットを売る側からすると、デメリットとメリットの両方がある。例えば、5人家族がみんな揃って一つのイベントに行く場合、今まで5枚のチケットを売ることができたのが、配信だと1枚しか売れない。これがデメリット。一方で、ネット環境があれば、原理的に地球上の誰にでもチケットを売ることができる。別の言い方をすると、原理的に地球上のすべての人間(70億人)が潜在的な客となるイベントを売り出すことができる。これがメリット。デメリットとメリットを比べてみると、やっぱり、メリットの方が圧倒的に大きい。



19時から「岡田斗司夫のガンダムゼミ」を視聴した。今回は第24話「迫撃!トリプル・ドム」と第25話「オデッサの激戦」。実は、「水爆」を交渉の手段に持ち出したマ・クベの方が「人間を信じて」いて、それをスルーしたレビルの方が「アタマがイカレてる=軍人アタマ」という指摘には激しく同意する。



今日見た「有吉eeee!」の「桃鉄」でまた思った。「桃鉄」にはあらかじめいくつかの「ゲーム展開のシナリオ」が用意されているような気がする。プレイヤーが普通にプレイすれば、ゲームはあらかじめ用意されたシナリオ通りの「盛り上がる」「二転三転する」展開になる。そういう風にできているゲームなのだと思った。何か具体的な証拠があるのではない。プレイしている様子を見ていると、印象はそうなる。で、プレイしていても、きっと「シナリオ」があるという印象を持つはず。すると、前にも書いた通り、これは「純粋な」すごろくゲームではなく、ある程度のストーリーゲームだと「納得」した上で、調子を合わせて「盛り上がる」というのが、「正しい」遊び方のゲームなのだろう。なにしろ、全てが「確率」で決められるので、ゲームがどう展開しても、シナリオに沿わせることは簡単。で、これは面白いのか?




2020年12月12日土曜日

一之輔の「夏泥」は面白いね


 2020年12月12日 土曜日/晴れ

春風亭一之輔の「夏泥」は面白いね。NHKプラスの「間も無く配信終了」の枠でたまたま見つけた(『演芸図鑑』)。30分の番組で、落語2席に、対談ひとつなので、1席の時間は短いだろうから、きっとかなり短縮されているはずなのだが、なんか、そんな端折った感もなく、ちゃんと楽しめた。あのトボけた感じは、修練じゃ出せないからねえ。談志にはあのトボけた感じがなかった。談志はどうしても才気走っていて、それが自分でもどうしても抑えられないから、かわりに才気走ったところに毛布をかぶせて、その上でワーワーやるかしんみりやるかで誤魔化していた。一之輔の雰囲気(落語では確か「フラがある」という)は、志ん生に通じるものがある。つまり、「情けないのにドライ」。十人並みの噺家はみんな「情けない」=「ウェット」になってしまう。




晩飯は、「くるみ澤」という割烹料理屋のミニオードブルで酒を飲んだ。



今日から全2回で始まったNHKの土曜ドラマ『ノースライト』の第1回を観た。ノースライト(north light)とは、北側から差し込む光。安定していて、画家のアトリエなどは、この光を取り込むために北側に窓が作られるらしい。西島秀俊演じる一級建築士が主人公。原作は『64』の横山秀夫。脚本は2つ前の土曜ドラマ『天使にリクエストを』もやっていた大森寿美男。裏のフジテレビが土曜プレミアムの枠で『細かすぎて伝わらない』をやっていたのでテレビの録画はそちらにして(チューナーが一台しか搭載されてないので)、ドラマの方の視聴は、NHKプラスのライブ配信を初めて試してみた。何のモンダイもなく視聴する事ができた。


あと、このドラマでは、ブルーノ・タウトの作と思われる椅子が、一つの重要なアイテムになっているのだが、ブルーノ・タウトと言えば、宮崎駿の『風立ちぬ』に出て来た謎の亡命ドイツ人。いや、『風立ちぬ』は一回しか見てないから、「謎」なのか、ちゃんと名前が出ているのかは、全然覚えていないのだけど。



玄武洞の岩だから玄武岩。(『ブラタモリ/城崎・岡崎』)



珈琲店の乱立の理由の一つは焙煎機の低価格化。一台、300万円→60万円。

ブラック・アイボリー:象の糞から採集した珈琲豆。採集した珈琲の実を餌に混ぜて象に食べさせる。象の腸内で自然発酵することで果物や野菜の風味がつく。一杯7000円。(『カネオくん』)



2020年12月11日金曜日

にしても、エジソンって大概なやつだよね。実は、トランプとかと同じタイプじゃないかなと思う

 

2020年12月11日 金曜日/曇り

岡田斗司夫の『オタク・イズ・デッド』の同人誌を読み終えた。先に動画の方を見ていたので、いつも以上にスラスラ読めた。動画の方にはあった休憩時間のときに宮崎吾朗の話の話は、同人誌の方では割愛されていた。当り前か。「強いオタク」が死に、守ってくれる存在も場所もなくなった元オタクたちは、これからは個々人で「自分の好き」を貫かねばならんという話。



久しぶりに『チコちゃん』を観た(たまたま)。最後に岡村と一緒に変な踊りを踊ったりして、ますます「なんだかなあ」感がひどくなっている。言い方を変えると、調子に乗ってる感がひどい。その踊りを視聴者の子どもたちが真似て踊る動画を、番組内で紹介したりして、まあ、ちょっとヤな感じ。


それはともかく、今日観ておもしろかったのは「なぜハリウッドは映画の都になったのか」というお題。「晴れの日が多いから(映画撮影に向いていた)」というのは、実は「あとから分かったこと」で、本当は、エジソンの「嫌がらせ」から逃げるためというのがキッカケだったらしい。当時、映画の本場はニューヨークだったが、映画の撮影装置の「発明者」であったエジソが、特許料だの使用料だのを、エジソンが「発明した」装置のユーザーにいちいち要求し、そんなものを払えない弱小映画会社が西へ西へと逃げ続けて行き着いた先がカリフォルニア即ちハリウッドだったというお話。で、着いてから、「ああ、こっちは晴れの日が多くて撮影に向いてるよ」という評判になり、皆がハリウッドに行くようになった。


にしても、エジソンって大概なやつだよね。実は、トランプとかと同じタイプじゃないかなと思う。「学校に普通に通えない」ってのは、天才少年云々という以前に、やはり、人格にモンダイがあったのだろう。そういうハタ迷惑な性格/行動は、成長してからも威力を発揮したわけだ。まあ、今で言うところの「発達障害」なんだろうけど、「発達障害」って、何かいろいろなことが面倒になったヤツの思いつきそうな呼び名だよね。



ローチケストリーミングという配信サービスで志らくの落語会のチケット(1500円)を買った。以前のチケットぴあの配信サービスもそうだったけど、今回も、実際に配信サービスをしている会社は別会社。ZAIKOという名前。試験動画にアクセスしたらvimeoに行ったので関係があるのかもしれない。ないのかもしれない。






2020年12月10日木曜日

新しく手に入れたChromebookは、ヒューレットパッカードの「x360」というやつ


2020年12月10日 木曜日/曇り

Prime Videoで宮沢りえ主演のWOWOWのドラマ『グーグーだって猫である』の第一話を見た。2016年頃のドラマ。グーグー役の子猫がホームレス(?)役の田中泯にものすごく懐いているのが、本編とは関係なしに面白かった。あと、「サバ」なのに茶トラだった。



新しく手に入れたChromebookは、ヒューレットパッカードの「x360」というやつ。いわゆるコンパチなので、ノートパソコンとしても使えるし、ディスプレイをぐるっと反り曲げると、タブレットとしても使える。その際、背後に回ったキーボードなどが反応したらとても使いにくいので、タブレットモードのときはキーボードとトラックパッドの機能が自動でオフになる。それはいい。問題は、タブレットモードからノートパソコンモードに戻したときに、このキーボードとトラックパッドの機能が復帰しないこと。つまり、オフになったままウンともスンとも言わない。タッチパネルは生きているので[全く操作できなくて困る]ということはない。


今のところの対処法は再起動。再起動をするとまたキーボード関係が使えるようになる。ただし、これまでのところは、ノートパソコン状態に戻してから再起動しているので、もしかしたら、タブレット状態のままの再起動だと、キーボードとトラックパッドの機能は回復しないかもしれない。試してないので何とも言えない。もうひとつ。動画の視聴でも、無理にタブレットモードにする理由は今のところ見つかってない。タブレットモードにするとスピーカーも背後に回ってしまうし。更にもう一つ。スクリーンへの映り込みはかなりある。明るい部屋で暗い場面を見ていると、まるで鏡状態。これはいただけない。Lynchの映画などは部屋を暗くして見る必要があるだろう。



で、このトラブルがきっかけで、ネットで少しトラブルシューティングを検索しているときに、Chromebookの強制再起動(リセット)方法を見つけた。曰く、キーボードのファンクションキーのところにある、時計回りの矢印(再読み込みボタン)と電源ボタンを一緒に押すと、iPodなどの「menuボタンと真ん中ボタンを一緒に押す」と同じ機能が発動する。つまり、強制リセットボタン。もちろん、記録されているデータ自体がリセットされるのではなく、ハードウェア的な部分の「ちょっとした勘違い」が解消される。