2020年12月18日金曜日

山崎努が認知症を発症した元国語教師を演じる『長いお別れ』をで観た


2020年12月18日 金曜日/曇り

山崎努が認知症を発症した元国語教師、東(ひがし)を演じる『長いお別れ』をprime videoで観た。70歳で発症し、72歳、74歳(2011年)、76歳(2013年)と物語は進む。しかし、モチーフは認知症ではない。「認知症になった父を持った家族」の苦労話でもない。その妻と、娘二人と、娘の家族の話。だから、所謂「痴呆老人映画」のような、どんより感は皆無。むしろ、ほのぼのとしている。この映画で「認知症の父」はタロットカードの「愚者」のような役回り。


物語の中で2011年3月11日直後も描かれている。夫と息子と三人でアメリカに住んでいる長女(竹内結子)が、セシウムを恐れて、日本の両親(山崎努と松原智恵子)に外出を控えるよう、特に雨に打たれないようにしろと電話する場面がある。トイレットペーパーが切れたので止むを得ず近所のスーパーに出かけた二人。雨に降られる前に家に帰れそうだったのだが、認知症の東が、ポケットに商品を入れて出てきてしまい、スーパーの事務所であれこれして時間を取られているうちに、結局、雨の中を帰ることになる。これは切ない場面。


病気が進行した父親(東)は失恋した次女を慰めるときに、もう、何か意味の分からないことを言い出す。「そんなにクリマルな」とか「ゆーっとする」とか。


網膜剥離の手術を受けた後、ずっとうつ伏せ担っている母親(妻)の説明。

手術で、今、目の中にガスが入っている。うつ伏せにすることでそのガスが上(つまりは目の奥)に上がり、ガスの圧力によって、網膜を抑えて貼り付けている。


ちなみに、題名の「長いお別れ」は、認知症dementiaのこと。物語の一番最後に、アメリカで暮らす孫の崇が通う学校の校長先生が、崇に、アメリカでは認知症のことを「long goodbye」という教えてくれる。しかし、日本語の「長いお別れ」には、「永遠のお別れ」のニュアンスがある。英語がdementiaをlong goodbyeと呼ぶのは、認知症が「ゆっくりと記憶や人格などが失われていき、徐々にその人が存在しなくなる」からで、dementiaの別名として「long goodbye」を正確に日本語に訳すなら「長い別れの挨拶」とすべきだ。


あと、この映画は2019年公開。竹内結子はこの映画に「迷惑」をかけないために、自殺するのを一年間我慢したなかな、とか思った。