2020年12月4日金曜日

『帰って来たヒトラー』(吹き替え版)をPrime Videoで面白く視聴した


2020年12月4日 金曜日/曇り



『帰って来たヒトラー』(吹き替え版)をPrime Videoで面白く視聴した。


第二次大戦末期に自殺し、その遺体はガソリンで燃やされたはずのヒトラーが、無傷で2014年のベルリンにタイムスリップしてくる話。強烈な風刺映画。コメディではなく風刺。非常に多層的で、伝えようとしているメッセージを受け取るには、ある程度の知能レベルが必要。知能レベルが低いと、ヒトラーを賞賛している映画だと勘違いしたり、ヒトラーは素晴らしいと思ってしまったりする可能性がある。この映画が伝えようとしているのは、ヒトラーのようなタイプの人間の「本質」を見極めることのむづかしさ。当事者には、その見極めはほとんど不可能とさえ言っていい。「恐ろしいこと」をする人間は「身内」にとっては、英雄や聖人のように見えてしまうもので、むしろ、熱狂的に支持してしまいがち。


映画の中でヒトラー自身も言っていたが、ドイツ国民はヒトラーに騙されたのではない。ヒトラーに共感したのだ。人々の心の中にヒトラーが生きている限り、ヒトラーは決して死なない。これを「無灯火」式に言えば、ヒトラーとは、生命原理(自然淘汰)に基づく行動原理が具現化した一つの実例なので、人間が生命現象である限り、「ヒトラー」は決して消えはしない。すなわち、自分が死ぬくらいなら、相手を殺した方がずっとマシ。自分の血縁が助かるなら、血縁関係にないものが死ぬのはしかたがない。それが、生命原理のに基づく行動原理、すなわち「ヒトラー」である。


「生き返った」ヒトラーが、2014年当時の「ヒトラーの後継者」を自称する政治団体の「ポンコツぶり」をコテンパンにやっつけるのは、なかなかに複雑な風刺。


結末は、どこか『未来世紀ブラジル』を思わせる。


エンドロールの歌で、徹底的にヒトラーを否定しているのが、この映画の制作者たちの、ともかくのexcuseか。


ヒトラーの「インテルネッツ!」「ヴィキペディア!」(ドイツ語式発音)には笑った。



岡田斗司夫が2006年5月に喋って泣いた「オタク・イズ・デッド」の動画(2時間45分)をようやく観た。幼少期から、周囲からの偏見や攻撃や妨害 を、自身の知性と精神力ではねつけながら、 「自分の好き」を追究し続けてきた存在が、 岡田斗司夫がいうところの 「強いオタク」な ら、水木サンこそはまさに、その強いオタク(妖怪オタク)。