2020年12月2日水曜日

映画版『64』の前編後編を観たが、茶番感がひどかった


2020年12月2日 水曜日 晴れ


14時に郵便局から荷物が来ていたが、映画を見ていて気づかなかった。朝に聞いていた「お菓子の詰め合わせ」は、夕方来るはずなのに、オカシイナと思ったが、再配達を依頼して、夕方受け取った。それから一時間ばかりして、またインターホンが鳴った。今度はクロネコヤマト。渡された箱に「お菓子」と書いてある。先に郵便局から受け取った箱を見直したら「蕎麦」と書いてあった。昼間に来たのは、予定に入ってない別の荷物だったのだ。




映画版『64』の前編後編を観たが、茶番感がひどかった。綺麗に盛り付けた皿をテーブルの上に大量に並べているが、料理自体は、コンビニ弁当みたいなレベル。無駄なカットが多いのは、たっぷり集めすぎた「大物俳優」「有名俳優」に気兼ねして、カットできなかったからか? つまり、「ウチの事務所の俳優の出番」を削れなかったのか?


長編映像作品として、何か決定的にダメ。それは「誰にでもわかるレベル」のダメさ。各場面場面の俳優の演技はガンバっているのだが、そういう各場面の「寄せ集め」にしかなっていない印象。断片的で、言いたいことがわからない。話し下手は、一旦頭の中で整理してきちんと喋ればいいのに、思いつくに任せてベラベラ喋るから、お話全体としての面白さがまるでない。それと同じ。つまり、「すべらない話」の逆パターン(「すべらない」理由は、実は「話し方=構成力」。モチーフは他愛のないもの)。


もうひとつ。どのキャラクターも言ってることが、やっすい浪花節。


全ての登場人物が、まるで重度の自閉症者が作り上げたような人物造形。表面的には、大いに、泣いたり怒鳴ったりしているのだけれど、それは全てが、学習された[状況に対する反応]という印象。感情表現が一本調子で、作り物っぽいのだ。つまり、俳優の演技ではなく、[演出の付け方]が一本調子ということ。全ての俳優が「同じ怒り方」をして「同じ泣き方」になっているので、一人のキャラクターを総勢数十人の俳優で演じている印象。登場人物はたくさん出てくるが、実は[存在している人格はひとつきり]ということ。これは、近年稀に見る駄作。


振り返ってみれば、ピエール瀧が主演したNHKドラマはずいぶん好かった。テレビ版と映画版のどちらが原作に「忠実」なのかは知らない。



岡田斗司夫のUG動画(#150)の「リア充・非モテ考察」(限定部分)を面白く聞いた。