2021年3月2日火曜日

現の虚 2014-9-3 世界最高齢のタクシー運転手と古い水源地の女の幽霊

死神Bは世界最高齢のタクシー運転手が運転する個人タクシーを愛用している。電話で呼ぶと孫悟空のキントウンのようにすぐにやって来るのが便利だからだ。ただし車種は黒いアルファロメオ・ブレラで、客が二人以上の場合、車内はものすごく狭い。死神Bは「いつもの席」だという後部座席を独り占めにして、俺を助手席に座らせた。死神Bが世界最高齢の運転手に行き先を耳打ちすると、ジイさんは、アハーと大声で頷き、車を発進させた。

後部座席でとぐろを巻いた死神Bが云う。

僕ら死神は死を司ってるわけじゃないよ。生き物は勝手に生まれて勝手に死ぬ。どの生き物がいつ死ぬかが書き込まれた死神手帳なんてものはない。そんなものあるわけないよ。宇宙は計画じゃないから。僕ら死神はただ死なないんだ。つまり、その点で死を超越してる。だから人間に死神と呼ばれる。死なないんだから生きてるとも云えない。つまり僕らは純粋な存在なのさ。大気や岩石や水のような。

僕らって云うことは、つまり死神は一人じゃないってことか?

俺の質問に死神Bは煙草に火をつけながら笑う。喫煙可能な点も死神Bがこの個人タクシーを愛用する理由の一つだ。

当り前だよ。「唯一無二の存在」ってのは、人間のアタマの中でしか成立しない破綻概念だからね。「時間を遡る」とか「1を3で割った数」と同じ、実体のない、言葉だけの言葉だよ。

そうなんだ、と俺。
どうだろ、と死神B。

タクシーは街を出て山に入り、舗装されてない道を登って、今は使われてない古い水源地に着いた。タクシーを道に待たせて、俺たちは下に降りた。

古い水源地の水は殆ど枯れていた。殆ど枯れてはいたが小さい池くらいの水たまりがあって、その中にだれか女がひとり立っていた。

ひとりでひっそりと死ぬのはいいけど、あんまり寂しすぎるところを選ぶと、死んだことにさえ気付いてもらえない、と死神B。で、あんなふうになる。ひどい汚染に、スゴいニオイ。

俺には、ひどい汚染もスゴいニオイも、意味が分からない。山奥のきれいな空気の中で、水に浸かった女の幽霊がじっとこちらを見ているだけだ。一つだけ気付いたトクベツなコトと云えば、女の幽霊の服装が、俺にでも分かるくらい時代遅れのシロモノだということ。

死神Bはドライアイスのような塊を水たまりに投げ込んで煙を発生させた。煙に包まれた女の幽霊の頭の上に光の輪が現れて、時代遅れの服を着た女の幽霊は青い空の果てに消えた。