2021年3月4日 木曜日/晴れ
『私はパスタファリアン 空飛ぶスパゲッティ・モンスター教のお話』をPrime Videoで観た。空飛ぶスパゲッティ・モンスター教は「メタ宗教」。宗教は、生命現象が原因で、知性現象に発生した「悪性腫瘍」。メタ宗教としての空飛ぶスパゲッティ・モンスター教は、その悪性腫瘍のための「抗がん剤」。
喩えるとこうなる。知性現象=身体、生命現象=発癌物質、宗教=癌(悪性腫瘍)、空飛ぶスパゲッティモンスター教=抗癌剤。
既存の宗教に対して、様々な特例を設け、譲歩しまくっていながら、空飛ぶスパゲッティモンスター教を「宗教」として認めない国家や社会は、要するに、ヤクザにみかじめ料を払い続けている商店組合と同じ。
知性現象という観点から見ると、サルからヒトへの進化は「進歩」である。同様に、宗教から科学への進化も「進歩」である。宗教と科学との関係は、進化の文脈でいうところのサルとヒトとの関係に対応する。サルとヒトはどちらも生物のある。宗教と科学はどちも世界認識の方法である。
人類の不幸は二つある。一つは、ヒトが生命現象であるせいで、人類がどれだけ歴史を重ねても、個々のヒトの知性現象は、生まれたての「バカ」から始めなければならない(だから必死になって教育しなければならない)ことであり、さらに一つは、人が生命現象であるせいで、そもそもの知能に個体差が生じざるを得ないことである。
少し言い換えると、人類はどれほど歴史を重ねても、「サル=宗教」レベルの世界認識で納得しきってしまう人間や、そもそも「サル=宗教」レベルの世界認識しかできない人間が、次から次へと生まれて来て、人口の大半を占めてしまうので、いつまで経っても、生命現象としてのヒトの問題で時間を食われ続け、純粋な知性現象としての発展に集中できない。
生命現象を相対化できないのが、宗教という世界認識の方法である(何千回でもいうが、あらゆる宗教は、生命教の[亜種=云い替え]である。ちなみに、だから、原始仏教は宗教ではない。生命教からの脱却を説くものだからだ)。反対向きから言えば、生命現象を相対化できるのが科学という世界認識の方法。
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昨日届いた「イタリア職人が作るチーズ」のリコッタチーズを、イタリアのリモーネジャムと一緒に食った。旨い!