2021年3月31日 水曜日/晴れ
§º原作版『ナウシカ』で、ナウシカが最後にやったことは、『純情パイン』で、巨大化したみちよに対してパイン(みちる)がやったことと、根っこは同じ。チーター側に立つか、インパラ側に立つかの違いで、そのこと自体は問題でも課題でもない、語るべき本質を持たない題材。
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実践ビジネス英語が最終回を迎えた。聴き始めたのは3年ほど前だが、調べてみると、なんと1987年からやっていた。つまり、33年の歴史に幕を閉じたわけである。ありがとう杉田敏先生、さようなら杉田敏先生。あと、ヘザーさん。
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§º都会では立ち小便も野糞も、とても無理。結果、都会に住む人間は「出かけた先で急に大小便をモヨオシたらどうしよう」という不安や気苦労を当たり前のことと思っている。しかし、当たり前ではない。人間以外の全ての生き物は「出かけた先で大小便をしたくなったらどうしよう」などという発想そのものがない。「その辺ですればいい」からだ。人間にしても、ど田舎や山奥に住み続けている人間は、やはり、都会人が持っているような「便所の心配」とは無縁のような気がする。
「下(しも)の問題」が「問題」になる度合い、「純粋な生命現象」から遊離する度合いに比例している。遊離してどこに行くのか?「純粋な知性現象」に近づくのだ。野生動物にしても、一般に、草食動物は「垂れ流し」だが、肉食動物は「時と場所を選ぶ」。それは、肉食動物が、草食動物という「自分ではない知性現象」の振る舞いを「追跡」するだけの「知世現象の段階」に達しているからだ。つまり、草食動物よりも肉食動物の方が「純粋な生命現象から遊離している度合い」が大きいのだ。