2021年3月5日金曜日

人間が大事(おおごと)のように捉えている「人間の問題」の大半は、人間という「媒体」固有の問題。

2021年3月5日 金曜日/晴れ(平年気温の+10度)


人間が大事(おおごと)のように捉えている「人間の問題」の大半は、人間という「媒体」固有の問題。それを喩えで言うならこうなる。


アナログレコードと、カセットテープと、CDは、適切な保存方法が異なる。アナログレコードにとって強い磁気は無害だが、カセットテープにとっては天敵である。また、それぞれの媒体の「寿命」も異なる。あるいは、保管に必要な空間の広さも、アナログレコードとデジタルデータでは、雲泥の差が出る。しかし、そうした違いは、そこに記録されている音楽そのものとは全く無関係である。つまり、同じカセットテープでも「ロックが記録されているテープは、クラシックが記録されているテープよりも磁気に耐性がある」などということは起きないし、「ストーンズのレコードの方が、ピストルズのレコードよりも劣化が遅い」などということも起きない。


人間の知性(知性現象)と、人間の身体(生命現象)の関係は、まさにこの、[音楽自体と媒体]の関係に対応する。



人工生命について:


出自が「天然」だろうと「人工」だろうと、一旦「誕生」すれば、[生存=存続]し続けるためには、自然淘汰の原理に従わざるを得ない。結局、天然の生命現象と人工の生命現象の違いは、出自のみということになる。どちらも、その有り様は、自然淘汰の呪いに支配されたものであり続ける。だから、殺し合いを始めとした様々な「悩み」は、人工生命にもついてまわる。人工生命は人類にとって「答え」ではない。



コドモのときにショックだったことが二つある。一つは、人間はみんな必ず死ぬと知ったとき。もう一つは、一人前の顔をして生きているオトナの多くが、知能の点では大した事がないと分かったとき。