2021年3月25日木曜日

創作物語は全て、「長い譬え話」

2021年3月25日 木曜日/晴れのち小雨


『Twin Peaks The Return』がウマくいったのは、25年経って、かつてのキャラクターたちが「身も心もすっかり変わってしまったこと」を積極的に描いてみせたから。逆に『時効警察始めました』がウマくいかなかったのは、12年経って「見た目は少し老けたけど、心はみんな昔のまま」と「取り繕った」から。若いつもりのおじさんおばさんがハシャイデるのが痛々しく見えてしまった。特に、吉岡里帆のように本当に若い人をレギュラーに入れてしまったので、余計、昔からのキャラクターの「若作り」感が辛かった。だから、むしろ、12年前から見てかなり「病態が悪化した」十文字疾風(じゅうもんじはやて)の、精神の「壊れっぷり」が一番よかった。



§º小説でも映画でも漫画でも、創作物語は全て、「長い譬え話」。直に抽象的な話をしても伝わらない場合とか、そもそも語り手自身が、直に抽象的な話ができるほど、語るべき内容の本質を理解しきれてない場合に、この「長い譬え話」が語られる。


だから、「主題」が完全に理解できているなら、その語り手が用いる手段は、小説や映画や漫画ではなく、エッセイ、随筆、小論文、批評文になる。逆にいうと、小説や映画や漫画の作者は、自分でも何が言いたいのか全然理解してないか、ちゃんとは理解してない(非難しているわけではない)。抱えた思想を「見切り発車」したものが、そういう創作物語の正体(繰り返すが、非難しているわけではない)。



§ºどんなにやめさせようとしても、スズメバチは民家の軒下に巣を作るし、アリは花壇に巣を作るし、クマは庭の柿を食べに裏山から降りて来る。人間の戦争や、様々な差別や、いがみ合いも、これと同じ。つまりは、生命現象ゆえの振る舞い。だから、生命現象としての人間は(人間の生命現象としての部分は)、自らの戦争や差別を悩んだり悔やんだりしない。上手くいけば自己の利益になることばかりだからだ。そういうものを「いやだ」「やめたい」と思っているのは、知性現象としての人間。知性現象しての人間は、自らの生命現象として[振る舞い/言動]に有史以来「悩まされて」いる。戦争だの差別だとのいう「大問題」に限らない。排泄や睡眠や摂食に関する「悩み」は、全て、生命現象の範疇で起きる。その「悩み」は、言い換えれば「生命現象としての煩わしさ」となる。知性現象としての人間は、生命現象としての人間を、ずっと「どうにかしたい」と思い続けてきた。「不老不死」や「無病」や「食べなくていい=食べなくても飢えない」「眠らなくていい」「排泄しなくていい」「疲れない」は、どれも「人類の夢」である。つまり、あまり自覚はないようだが、人間は昔から、生き物を「やめたくて」仕方がないのだ。そう、あまり自覚はないようだが、「人類の夢」とは結局どれも「生き物をやめること」なのだ。