2021年3月28日日曜日

近所の蕎麦屋が60年の歴史に今日で幕を降ろすと聞いたので行ってみた

2021年3月28日 日曜日/晴れ


『ボトムズ』第5話視聴。『エルガイム』第5話視聴。



近所の蕎麦屋が60年の歴史に今日で幕を降ろすと聞いたので行ってみた。コロナのせいでこの一年は行ってなかったが、それまでの数年間は、月に一回の割合で通っていた店だ。昼の一時半くらいに店の前に着いて、中を覗くと、これまでに一度も見たことがないくらい、店の中が客でいっぱいだったので、入店はしなかった。



照ノ富士、本割で貴景勝に勝って優勝(3回目)。強い。大関復帰もぼぼ確定。大関が一旦序二段まで落ちてから大関に返り咲いたのは、昭和に入ってからは初めてらしい。



§º今週も『有吉eeee!』で、おっさんたちが仲良くじゃれ合う様子を楽しく見た。しかし、今回取り上げていたゲームが『モンハン』だったので、ゲームの部分はまったく楽しくなかった。


『モンハン』は、昔、Wii版をやった。しばらくは、無邪気に面白くやっていたのだが、そのうち殺伐とした気分になってきて「うわ〜」となってやめた。ゲームとはいえ、こちらの都合で野生生物を殺しまくっている状況に吐き気がして来たのだ。で、それきり『モンハン』はやってない。


で、今回の『有吉eeee!』。その時の一人プレイでも相当な殺伐感があったのに、今回の『有吉eeee!』では、狩る側がチームを組んでモンスターに襲いかかるので、どう見ても、殺戮道具を持った大勢が寄ってたかって、丸腰の一頭の野生動物をなぶり殺しにしている「だけ」。その殺伐感は一人プレイの時の比ではなかった。おぞましさすら感じた。モンスターを倒して雄叫びを挙げている様子も、集団リンチや、所謂「いじめ」の現場で、奇声を発したり歓声をあげたりしている「狂気の集団」にしか見えなかった。『モンハン』は、武器を持った人間同士で殺しあうとか、村を襲って来た巨大生物を撃退するためにみんなで協力して攻撃するのではなく、プレイヤーが完全に「加害者」の立場で、こちらに敵意を示しているわけでもない野生生物たちをただただ殺しに行くゲームなわけで、こんなものを「喜んで」やり続ける神経って、どういう種類のモノなんだろう、といつも思っている。こんな殺伐としたゲームが長い間作り続けられている理由は何だろう、といつも思っている。いや、まあ、答えはわかっていて、人間の多くが、いまだにただの生命現象だからなんだけど。


自分たちが生きるための、所謂「仕事」や「義務」として、徒党を組んで(お上品にいえば協力して)、他の生き物をなぶり殺しにする(お上品に言えば討伐する)場合、殺す側の人間たちは、殺される側の獲物たちと同じ次元に居る。同じ次元とは、具体的に言うと、生命現象の次元だ。そして、生命現象の「動力」は、所詮[殺し合い=生き延び合い]なので、殺したり殺されたり(食ったり食われたり)は「お互い様」で、取り立てて気に病む必要はない。しかし、この「お互い様」は、状況や立場が逆になっても、一切文句は言えないということ。ここに気づかなければならない。だから、モンスターが一頭で、もしくは徒党と組んで、ハンターたちの村を襲い、村人を皆殺しする行為は、ハンターたちが徒党を組んで、ねぐらのモンスターをなぶり殺しにする行為と、完全に等価である、ということを、人間たち全面的に受け入れなければならない。


もっと一般化して言うと、野生動物が、人を襲って食ったり、畑を荒らしたりした場合に、人間が当該の野生動物を駆除しようとするその行為は、人間の側からすると、何かしら高い部分(高尚な部分。進歩した側)からの[判断と実行]の様に見えがちだが(認識されがち)、それが寄って立つ行動原理は、野生虎が人を食ったり、イノシシが畑を荒らしたりするそれと、全く同じだということ。だから、もし、非生命現象依存型知性現象すなわち真の知性現象が存在するなら、農夫とイノシシのどちらにも肩入れしないし、未亡人と人喰い虎のどちらの言い分にも優劣をつけない。それは、昆虫学者が、[アリマキを食べるてんとう虫]と[アリマキを守るためにてんとう虫を追い払うアリ]のいずれの肩も持たないのと同じことなのだ。


野生動物に打ち勝つことや、自然を制覇することに血道を上げても、人間の真の進歩は望めない。そんなことをムキになって発展強化させても、待っているのは、「時間切れ」からの、人類の「頓死」である。野生動物との競争や自然の制覇は、人類にとってすべて「家事」に過ぎないからだ。知性現象としての人間にとって、生命現象であるという事実は、究極の「うまれつきの障害」である。もっと短くド直球に言うと、人間にとっては、何よりも、「生命」であること自体が「先天性疾患」なのだ。「先天性疾患」をどうにかできたところで、寿命が尽きて死ぬことを免れられるわけではない。