2020年8月31日月曜日

水中に沈めた樽の中の火薬は酸素不足で爆発しないんじゃないかと心配していたら

 

2020年8月31日 月曜日/曇り。涼しい


『未来少年コナン』第18回「ガンボート」:メモ


コナンは、オーロの足元に投げつけたモリを「今のはわざと外したんだ!」と言っている。つまり、前話で、ラナのすぐ横に落ちたコナンのモリは「狙って」あの場所にピンポイントで刺したことがわかった。


水中に沈めた樽の中の火薬は酸素不足で爆発しないんじゃないかと心配していたら、ガンボートの乗組員がご丁寧に、樽を船上にあげて、蓋まで開けてくれたおかげで、消えかかっていた導火線の火が生き返って、きっちり大爆発した。ちゃんとしてる。しかし、ガンボートが沈没する様は痛快だったなあ。



生物を考えるときに、たとえば繁殖なんかで、メスが優位とか、いやオスの方が条件がいいとか、いろいろ言うけど、全てのメスはオスの子供だし、全てのオスはメスの子供。この意味をちゃんと理解した方がいい。ウカウカしていると、なんとなく、オスはオスから生まれてきて、メスはメスから生まれてくるみたいに思っちゃって、「メスが!」「オスが!」と騒ぎがち。



√死神というのは、相撲取りと同じで、うっかり人を殺してしまったりしたら、それはもう存在意義の根本を揺るがしかねないために、決して自分では自動車の運転をしない。近場は無論徒歩で済ますが、長距離の移動には公共交通機関を利用する。即ちバスや電車である。しかし、何と言っても便利なのは、タクシーだ(タクシーが果たして公共交通機関に含まれるかどうかはよくはわからないが)。死神Bもタクシーを愛用している。しかも、乗るのはいつも同じ、或る特定のタクシーである。電話一本で直ちにやってくるそのタクシーの最大の特徴は、運転手が百歳の爺様だということ。百歳のタクシードライバーが運転するタクシー。実に、死神が乗るにふさわしいタクシーと言えよう。




√若くして死んだ医師の幽霊が、毎晩夜中にベッドサイドに現れて、「研究協力」の依頼をしてくるのには閉口する。クリップボードのようなものに何やら書類を挟んで、ここにサインをしてくれと指差すのだ。「研究」の内容について訊くと、漠然と「治療法だ」と答える。何の治療法か訊くと、苦しい顔で考え込む。どんな病気の治療の研究かは思い出せないらしいが、とにかく彼にとっては重要な病気、どうしても治療しなければならない病気なのは間違いないらしく、その熱心さは、とても、もう死んでいるとは思えない。

2020年8月30日日曜日

前田日明チャンネルで、かつてリングスに参戦していたクレメンチェフが、実は

 

2020年8月30日 日曜日/雨。涼しい。むしろ、一日中肌寒い。


岡田斗司夫のYouTubeにメンバーシップ登録したおかげで、過去の『ガンダム』解説も完全版で観れるようになったので、早速「死闘!ホワイト・ベース」の解説の第一回(全4回)を観た。面白い!「ガンダム」は何と言っても「富野節」だからなあ。



前田日明チャンネルで、かつてリングスに参戦していたクレメンチェフが、実はロシアの経済マフィア(エカテリンブルクの経済マフィアの2代目だったらしい)で、しかも、ソ連崩壊時のどさくさに紛れて、アタッシュケース大の核弾頭を外国に密売したカドで国際指名手配されていて、最後は、装甲車(メルセデス製の特別仕様車)に乗っているところを、徹甲弾を十六発浴びて、頭から上を吹き飛ばされて死んだ、という「都市伝説」を聞いた。いや、(最後の暗殺現場以外は)前田が実際に見聞きした話だから「都市伝説」ではないだろう! しかし、プーチンがトップになったばかりの頃、言うことを聞かないマフィアを暗殺しまくっていた話とか、マフィアばかりが埋葬されている墓場(生前の姿がレーザー彫刻された墓標が林立している)の話とか、いろいろ面白かった。あと、これは前田の憶測だが、アメリカは、そのアタッシュケーズ大の核弾頭の行方を追う過程で、イラクに侵攻し、リビアのカダフィを暗殺し、今「核を持っている」と主張している北朝鮮と対峙しているという話も面白かった。



√夜明け前の雑居ビルの屋上から人影が飛び降り、目の前の地面で鈍い音を立てる。それはピンクのウサギの着ぐるみ「バニーマン」。裏通りは静かだ。うつ伏せに倒れていたバニーマン。むくりと起き上がる。着ぐるみの顔は笑顔だが、白いはずの口まわりは血の色に染まっている。通用口から、ビルの中に戻るバニーマン。しばらくすると、また、屋上からバニーマンが落ちてくる。そして、また。起き上がってビルの中へ。5回目に落ちた時、起き上がったバニーマンの後を追った。足取りは重い。ついていくのは簡単だ。バニーマンは従業員専用のエレベータの前に行き、ボタンを押す。エレベータが最上階が降りてきて、トビラを開く。バニーマンが乗り込むすぐ後に続く。エレベータが昇っている間にバニーマンの口まわりの血の色が消えて、白に戻る。鍵を壊して屋上に出ると、高い柵を乗り越えて、すぐに飛び降りる。後ろで猫が見ていた。金色の目。

2020年8月29日土曜日

あと、「稲川ジューン」役で出た稲川淳二は、どちらかというと稲川淳二本人役だった。

 

2020年8月29日 土曜日/曇り。昨日とは打って変わって涼しい。しかし、やや湿気があり鬱陶しい。


わかった。来週の『私の家政夫ナギサさん』の最終回で、もう一度、飯尾(ずん)がメロンパン号にメロンパンを買いに来る。今回は『ナギサさん』の中の役で。「あんた、前にも来たでしょ?」「いいえ、はじめてですよ」みたいな。知らんけど。



『浦安鉄筋家族』で、男の子の霊に取り憑かれた水野美紀が「にぎりっ屁」の準備動作で、股間に入れる腕を前から潜らせて尻の穴に手を当てていたが、「男の子」なので、後ろから尻に手を当てるべきだった。なんであれ「肛門の始末」をするときに、前から手を入れる男子はいない。


あと、「稲川ジューン」役で出た稲川淳二は、どちらかというと稲川淳二本人役だった。


アホの坂田がおじいちゃん役で姿を見せたのも良かった。


というか、この回は、[コロナ中断からの再開後の初回]だった前回の話よりも「前」に撮影されていたことは、大沢木家が「旧型」なことからも分かる。なぜ、放送の順番を変えたのだろう? コロナ中断中に「家」が取り壊されたことそれ自体を、再開後の一発目の「大ネタ」にしたたかったのか。まあ、そうだろう。


もうひとつ、今回のおハナシもそうだが、最後は「イイ話」的なところに持っていくのが、気に入らない。このテレビドラマ版は、全体として、そんなところがある。即ち家族の絆とか。原作漫画は、もっと圧倒的にドライだったはずで、そこが浦安鉄筋家族なのにね、と思う。だから、原作のファンは、やっぱりちょっと「オモシロクネエ」と思ってる思う。



「岡田斗司夫のYouTube」の有料版(メンバーシップ)に登録して、『火垂るの墓』の「清太の物語冒頭と最後のカメラ目線問題」の「回答」その他を聞いた。面白かった。『火垂るの墓』は実は、「あなたの知らない世界」的なお話ということ。あれは清太と節子の「心中話」だということも、これは岡田斗司夫の説ではなく、高畑勲と原作者野坂昭如の間で「見解」が一致したものらしい。先に死んだ妹が、お兄ちゃんがちゃんと死んでくれるかどうか、「近くで」幽霊になって待ち続けているという構造。


しかし、岡田斗司夫に言われるまで、物語のオープニングが映画公開当時の「現代(1988年)」だということには気付かなかった。最後が「現代」なのは誰が見ても分かるが。一回しか鑑賞していないとこんなことになる。





2020年8月28日金曜日

あんまり暑いんで(本当は関係ないけど)、コメを炊くときに、土鍋に水を入れ忘れた。

 

2020年8月28日 金曜日/晴。今日も暑かった! 16時の時点で室温摂氏34.9度。


あんまり暑いんで(本当は関係ないけど)、コメを炊くときに、土鍋に水を入れ忘れた。普段は、水蒸気が出始めたらすぐに土鍋の蓋の穴から泡が噴き出してくるのに、今日はいくら待ってもしんとしてて、あっと気づいた。すぐに火を消したが、底の方が焦げていた。コメは半分くらい生煮えだったので、とりあえずは一部を雑炊にして、朝飯で食った。



安倍晋三が総理大臣辞任を正式に表明した。持病の「潰瘍性大腸炎」が再発したためだという。七年以上続いた長期政権の終わり方は、最初の時と同じ「おなか痛いから」だった。



√バッハの無伴奏チェロ組曲は、第1番から第6番まで各6曲。すなわち、6×6の36曲。同じ「物語」が、同じ起承転結で、しかし、調が異なるので、全く違うものとして、都合6回繰り返されることで、そこに[1回では掴めない(表せない)本質]が立ち上る。のかもしれない。


√長ければいいというもののでもないし、詳らかであればそれだけ素晴らしいというものでもない。



アンデス山脈は、南アメリカが西に移動したことで押し上げられた、古代の鳥糞石(ちょうふんせき=グアノ)の島。

(マット・リドレー『繁栄』)



「核のゴミ」の最終処分場の文献調査を受け入れるだけで、最大20億円の交付金がもらえるなら(今、少し調べたら、東京新聞も「立地の成否に関わりなくもらえる」と書いてある)、どうして全国の自治体はこぞって手を挙げないのだろう? 例えば、二次調査の「概要調査」が終わった時点で(二次調査で更に70億円も貰える)、これ以上の調査を断ることを「初めから」決めておいて(もちろんそんな腹の中は公表しない)、手を挙げてカネだけもらえばいいじゃないか。俺は偏見の塊だから、もしもこんな交付金制度を中国あたりで実施したら、国中の市町村が立候補するような気がする。もちろん、この場合も途中で降りることを初めから決めた上で。


「文献調査」や「概要調査」で、仮に「合格」したとしても、その先の調査は一切受け入れなければ、交付金の「ただ取り」ができる仕組みが「公」のものとして存在しているのは、この国の官僚が、地方の首長たちや国民そのものを「ナメている」証拠だし、こんな仕組みが「何の問題もなく」存在し続けているのは、やっぱりナメラれて当然な人々が暮らしているからだろう。

2020年8月27日木曜日

√「臨死界」は、各エリアが同心円で展開されている。


2020年8月27日 木曜日/晴。今日も暑い! 15時半の時点で室温摂氏34.6度


√「臨死界」は、各エリアが同心円で展開されている。中心になるのは、ダカラナニ氏が陣取る「どこまでも高い塔」。その周辺に、青いワンピースの女の領域である森と湖の平地ある。その外側は、荊の薮(いばらのやぶ)が、取り囲んでいる。その外側には何もない荒地。そして一番外側は、機械類が収まった鋼鉄製の「城壁」。この城壁も、無論、円形。例えて言えば、巨大な鉄パイプがあり、その鉄パイプの鉄そのものの中も空洞になっていて、そこに「臨死界」の環境を維持する様々「装置」が収められているイメージ。


√昔に住んでいたアパートの自室で目覚める。引っ越してかなり経つ。「今は」住んでいる部屋ではないが、間違いなくかつて住んでいた部屋である。ただし、謎の樹木が床を破って天井を貫いている。衣服は身につけているが、靴下は履いてない。靴もない。靴を探さなければ、と思う。インターホンが鳴り、階下に来るように言われる。そこはナースステーションでは、宿直のナースから、消火器の箱を開けて調べてくれと言われる。開けると、そこは真っ暗な穴。何者かによって背後から押されその穴に落ちる。落ちた先は「臨死界」の「城壁」の内部。何人かの「スタッフ」と顔を合わせあと、「外」に出る。その「外」は、実は「臨死界」の「内部」。「荒地」を進み、「荊の藪」に行く手を遮られるが、「白い手」と「オランウータン」のおかげで、「真鍮の潜水服」を身につけ「荊の藪」を突破する。荊の藪は「真鍮の潜水服」なしでは通過できない。真鍮の潜水服は、自力で着たり脱いだりはできないので、それ以降は、ずっと着たまま。森と湖の領域で「青いワンピースの女」に「石」をもらう。「波紋の立たない湖」の「底」は「深海プール」につながっている。このルートが、ダカラナニ氏の「どこまでも高い塔」へ入り込む唯一のルート。「深海プール」は「どこまでも高い塔」の中心を貫いている。「深海プール」を水底に向かって潜って行くと、「塔」の「上の階」の水面に出る。すなわち、プールを下に進むほど、塔を上に登るという「仕組み」。各階には、ダカラナニ氏の様々な[形態=年齢]の人物がいる。最上階には、「瀕死の老人」のダカラナニ氏が居る。ダカラナニ氏とは「虚無」である。手の「石」が爆発し、全てが吹き飛んだ直後、てつねこが現れる。

2020年8月26日水曜日

√人間から生まれるが、何かしらの理由で、病気や寿命では死ななくなる人間が「死神」。


2020年8月26日 水曜日/晴。暑い。16時の時点で室温摂氏34度。ただし、ソコハカとなく涼しい風が流れる。


暑すぎて、毎週水曜日のコロンボを見るのを忘れた。



「現の虚」メモ:


√人間から生まれるが、何かしらの理由で、病気や寿命では死ななくなる人間が「死神」。もちろん、物理的に身体を破壊されると死ぬが、それ以外の、普通の人間の普通の死因(即ち、老衰、癌、糖尿病、脳梗塞等)では死なない。身体の物理的な破壊に対しても、並の人間に比べると、圧倒的な「抵抗力=治癒力」を持っているので、斬撃、交通事故、爆弾テロ、あるいは核攻撃にさらされても、「直撃」でない限りは、生き残る。無論、「無傷」ではいられないので、「死神」の多くは、体のどこかしらの大きな「傷跡」を持っている。「死神B」の顔面包帯や、「死神X」のアイパッチなどはそれが理由。逆に言うと、何かしらの大きな傷跡があると、そいつは「死神」である可能性がある。


√「死神」の特質は突然変異遺伝子によるものであると考えられる。但し、この変異は遺伝しない。遺伝しない理由は、「死神」に生殖能力が欠落しているためである。「不老無病」の能力と引き換えに失ったと考えられる。だから、「死神遺伝子」自体が非遺伝性なのではなく、「死神遺伝子」を持った個体が子孫を作れない結果として、実質的に「非遺伝性」なのである。


√「死神」は数千人規模で存在する。


√「魔女」は、地球の衛星軌道上の人工衛星に棲んでいる。「地球人」なのか「異星人」なのか、あるいは、ホモ・サピエンス以前の「地球人」の生き残りなのかは不明。地球上の様々な場所には、魔女が設置した或る種の「装置」があり、魔女は人工衛星からデータを送信することで、その「装置」から音声や立体映像を発信することができる。これを観たり聞いたりした地上の人間は、魔女の「魔法」に翻弄されたり、導かれたりする。魔女の「魔法」の「弱点」は、魔女の人工衛星が「静止軌道上」にはいないことである。魔女の人工衛星は定期的に「地球の裏側」に行くことになり、そうなった場合、特定の「装置」にデータを送り続けることができず、その座標での「魔法」が消えてしまう。


√「魔女」は、知られている限りは、一人である。


√「人工人格」には二種類ある。実在した人間を「再現」した「人工幽霊」と、ゼロから構築された「人工幽零」である。両者は最後の「れい」の字が異なる。

2020年8月25日火曜日

コトによると、「核のゴミ」の最終処分場の審査に申し込むとか言ってるスッツ町の町長は、国からの「カネ」を当て込んでいるのではなく

 

2020年8月25日 火曜日/晴。朝は肌寒い。昼間は涼しい風が来てちょうどいい。


『未来少年コナン』第17回「戦闘」:メモ

▼ジムシーが飼ってる子豚の名前は「うまそう」。

▼ハイハーバーを占領しに来たモンスリー隊に蹴散らされ、手を組もうと申し出たオーロに対し、「ハイハーバーもとんだ鬼っ子を抱えていたものね」というモンスリー。ちなみに、オーロたちがコナンとジムシーの小屋を焼いた時の炎のせいで、モンスリー隊は、上陸する場所を間違えた(本当は、モト村の前に上陸するつもりだったのが、オーロ側に上陸してしまった)。

▼最後の場面。コナンの投げたモリがラナに当たる可能性は、コナンの中にはなかったのか? それとも、コナンのモリ投げは、絶対の精度なのか?



『私の家政婦ナギサさん』の第8回を観た。ヒゴ先生は「正式」にフッて、田所さんには、ナギサさんと「仲のいいところ」を、そうとは気づかないまま見せつけて「寂しい顔」にさせている。そういうのが、なんか、割と、「正統派」の中高生レベルの恋愛模様な感じ(つまり教室の放課後や掃除の時間や自習時間の恋愛模様な感じ)。別に嫌味を言ってるわけではない。来週で最終回。あ、あと、名前を覚えられないので「にせスズキサリナ」と呼んでいる女優(メイの親友役)の、顔の塗りの色味が、田所さんと水族館に行ったあたりから異様。青みがかってるというか、灰色がかってる。ウチのテレビ(ブラウン管)のせいか?



面会に行ったタミー・プレストンFBI捜査官の報告に拠ると、25年後も、アニー・ブラックバーンは精神病院にいて何も喋らない。ただし、一年に一度だけ、自分がBlack Lodgeに連れ去れられたのと同じ日付の時に、一言、「I'm fine.」と言う。さらに、アニーは全く年を取ってないように見える。以上、Mark Frostの『Twin Peaks: Final Dossier』より。まだ、読んでないけど。



コトによると、「核のゴミ」の最終処分場の審査に申し込むとか言ってるスッツ町の町長は、国からの「カネ」を当て込んでいるのではなく、当然「反対」するであろう地元の周辺市町村や道(どう)からの「見返り」を狙って、アンナことを言い出したのかもしれいない、とさっき思った。[最終処分場を「諦める」代わりに面倒をみてくれ]という戦法。なるほどこれなら町の将来に負担をかけず、財政は立て直せる。

2020年8月24日月曜日

David Lynchの『Someone in my house』(アート作品集)が届いた

 

2020年8月24日 月曜日/晴れ。暑いは暑いが、まあ、そんなでもない。


昨日、David Lynchの『Someone in my house』(アート作品集)が届いた。英語版。多分、イギリスのAmazonから日本のAmazonに来て、それが来た。というのは、最初の配達予定日が8月末から10月までと、ものすごくざっくりしていたからだ。コロナ禍で、まあ、いろいろと予定が立たないのだろう。本そのものは、大きくて固くて好い画集。



何かの金賞を受賞している(とパッケージに書いてある)「讃岐饂飩」をもらったので、早速食ったが、周りはボソボソ、中身はネチャネチャで、とても金賞の代物ではなかった。調理法に「釜揚げ」を選択したのが拙かったのかもしれない。それ以前に調理法(というか茹で方)に問題があったのかもしれない。ともかく、金賞な饂飩ではなかった。



またトランプが、もしも大統領選で民主党が勝ったら(つまり自分が負けたら)選挙に不正があったのだ、と言いふらしている。想像してみればわかるが、サッカーでもボクシングでもフィギアスケートでも何でも、「もしも自分が負けたら、それは試合で不正が行われたからだ」と試合前に言いふらしている選手がいたら、周りみんな、「そう思うなら、お前は最初から試合に出るなよ」と思うし、言うだろう。


これは、トランプ自身がバカなのか、それとも、こんなこと言っても自分の支持者たちはこの主張の理不尽さに気づけないくらいバカだと確信を持てるくらいトランプに人間洞察の力があるのかのどちらかだろうが、どちらにしても、地球一の軍事大国のトップを決める「試合」前の「舌戦」としては、お粗末が過ぎる。



海底も含めると日本の「国土」は相当に広い。そしてその海底の資源を活用する技術を確立すれば、日本は資源大国である。結局のところ、富を「生み出す」のは科学技術である。政治でも戦争でもない。


そもそも、「エネルギー不足」などファンタジーである。人間の作り出した虚構である。というのは、この宇宙の潜在的なエネルギーは、この宇宙が消滅しない限りは「無限」だからだ。アインシュタインが百年以上前に唱えたこの宇宙のアリヨウの定義からしてそうなのだ。エネルギーは「目の前」に無尽蔵にある。人間がエネルギー問題で悩むのは、それを掴みとる「手」や、それを見つける「目」や、それを取り込む「腸」を持っていないからだ。

2020年8月23日日曜日

〔昨日の「岡田斗司夫の『ブレードランナー』超解説」の続き〕

 

2020年8月23日 日曜日/晴。今日は清々しいと言う言葉が一番ピッタリくる陽気。


〔昨日の「岡田斗司夫の『ブレードランナー』超解説」の続き〕


あと、ファイナルカット版で付け足された、とってつけたようなユニコーンの夢(デッカードが見る/そして、監督以外の全員が付け足すことを反対した)は、物語の最後にガフがアパートの廊下に残したユニコーンの折り紙の「説明」になっているのだということを、今回の岡田斗司夫の話で理解した。すなわち、誰も知らないはずのデッカードの夢の中身をガフが知っているということは、デッカードの記憶もまた、ちょうどデッカードがレイチェルの「記憶」を閲覧できたようのと同じで、誰か別の人間の記憶を移植されたものだということの示唆。というか明言。


あと、そもそも全編にデッカードの「ダサイ」ナレーションが入る予定だったのが、リドリー・スコットがその場その場で展開を変えて撮影していくので、最初に入れたナレーションと実際の整合性がとれなくなって「止むを得ず」ナレーションをなしにした、というのも、初めて知った(と言って、実は例の本に書いてあるのかもしれないけど)。で、試写をやってみたら「とにかくわかりにくい」という「苦情」が多くて、大慌てで、冒頭のナレーションを録り直して入れたらしい。


もうひとつ、「見た目重視の映画監督は俳優の演技に期待してない」という岡田斗司夫の説も面白かった。タイレル役を演じた大根役者やショーン・ヤングを「平気で」使ったリドリー・スコットの他に、スタンリー・キューブリックや黒澤明の名前を挙げていた。黒澤明は有名な『七人の侍』の冒頭場面で、とにかくNGを出し続けて、俳優たちを6時間も歩かせ、実際に俳優たちが草臥れきってしまったときのその歩き方に「OK」を出したという。即ち、俳優たちに演技指導をして、くたびれた浪人の歩き方をしろとは言わないらしいのだ。これは、David Lynchが一番嫌っているやり方で、オレも嫌い。あと、『天国と地獄』で大勢の刑事が動き回りながらセリフを交互に言う場面も、全部、床に導線と目貼りがしてあったという。


最後に、ブレードランナーの大ファンである岡田斗司夫の新説「ブレードランナーはおもしろくない」説には大いに同意する。あれは、やっぱり、「印象が全て」の「長いCM」。というか、リドリー・スコットの作品はどれも、物語としてはひたすら陳腐。

2020年8月22日土曜日

岡田斗司夫が配信した『「ブレードランナー」超解説』の動画を観た。


2020年8月22日 土曜日/晴。朝は寒いくらい。


2019年11月1日に岡田斗司夫が配信した『「ブレードランナー」超解説』の動画を観た。『メイキング・オブ・ブレードランナー』は持っているし、読んでもいるが、そこにはない知らない情報がいろいろ紹介されて、2時間近くあったが、最後まで面白く「聴講」できた。


一番印象に残ったのは、「なぜ、ロイ・バティは最後にデッカードを助けたのか」という「謎」について、監督のリドリー・スコットが、ルトガー・ハウアーに話した「答え」。即ち「反射的にそうしただけ」と。レプリカントに組み込まれたプログラム通り、死にそうになっている人間を「ついうっかり」助けてしまった、というのがリドリー・スコットの答え。「人間のように」自らの自由意志で人間たちを殺してきたつもりのロイも、土壇場になって、仲間の直接の仇であるデッカードをさえ、「機械的」に助けてしまうただの「ロボット」だということを、彼自身が「最後に思い知らされた」ので、その直後に照れ笑いをする、という説明。


で、これには続きがあって、監督のその時のこの説明にルトガー・ハウアーも「ナルホド」とすっかり納得したのに、後になって、リドリー・スコット自身が、「ロイ・バティも最後の最後に人間らしい心に目覚めたのだ」」と陳腐なこと(浪花節なこと)を、公の意見として言い出して、ひっくり返ってしまった。この陳腐性などは、リドリー・スコットが、「映像」の作り手としては一流ではあっても、人間洞察や人間描写という点では三流止まりな作家である証拠。


岡田斗司夫の「超解説」はいろいろと面白かったが、本質的な部分で、まだ「生命教」の内側でモノを言っている点では不満。と言っても、「生命教」を乗り越えた思索や発言ができる人間は、今のところ、この地上に何人もいないだろうから、それはまあしょうがない。


ついでだからアナトー説をひとつ披露すると、リドリー・スコットの設定に従って、デッカードもまたレプリカントだったとすると、ロイ・バティは、どこかの時点で、デッカードがレプリカントだと気づいて、だから最後に助けたのだ、という解釈もできる。最後の照れ笑いだって、「お前は自分のことを人間だと思っているけどさあ」という感じ。終幕時には、ご当人(デッカード)もまた、デッカードがレプリカントだと知っているガフの「折り紙」のおかげで、自らの「真実」に気づく。


2020年8月21日金曜日

清水ミチコの日本昔ばなし

 

2020年8月21日 金曜日/曇り時々晴れ。ものすごく涼しくて過ごしやすいので、老猫も落ち着いている。


『チコちゃん』の「名物コーナー」、清水ミチコの日本昔ばなし、今回は「お地蔵さんは実は閻魔大王」という話。楽しく見た(テレビをつけたらたまたまやってたので、観たのは途中からだけど)。


ところで「お地蔵さんは実は閻魔大王」という設定、チベット密教的には「そんなのアタリマエ」ということになる。そもそもチベット密教では、全ての仏は同じ仏が様々に姿を変えただけのものに「すぎない」からだ。というか、そもそも仏は、実を言うと、その人自身の「心の影」にすぎないというのがチベット密教の教え。すなわち「本来の自分」がそのように見えているという解釈。それは、その人の[アルターエゴ=分身]ではなく、その人の[本体=本質]という意味。有名な『チベット死者の書』すなわち『バルドゥ・トェ・ドル』ではそのことが繰り返し説かれている。もうシツコイくらい。


まあ、チベット密教にしろ、日本仏教にしろ、今「仏教」と呼ばれているシロモノは、もともとのゴータマさんの「教え」とは何の関係もない、ただの「生命教=ファンタジー」なので、トヤカク言うこともないのだけど。


そんなことより(そんなことより?)、一層の事、清水ミチコで『まんが日本昔ばなし』を復活させてほしい(一回きりのスペシャル番組でいいから)。『チコちゃん』で見るたびにそう思う。



水木サンの娘さんのエッセイ『お父ちゃんと私』を読み返していたら、水木サンのお父さん(イトツ)、著者からすると祖父の耳の上にできた「謎のコブ」の話に出くわした。前に読んだのにすっかり忘れていて、また、不思議に思った。ある時気づいたら、祖父の耳の上にコブができていて、それがどんどん大きくなっていく。その間、当人はぼーっとしたままで、誰が呼びかけても無反応。それで「最後は神仏頼みだ」的に、水木サンがどこからか仏像を持ってきて見せると、祖父は、「ああ、このホトケさんだ!」と言って、いきなり正気に返る。祖父の話だと、夢だかうつつだかわからない状態で困っているところにこの仏さんが現れたので、自らの窮状を訴えたら、我に返った、ということらしい。しかも、件のコブもそれ以来どんどん小さくなっていったというのだからフシギ。


で、結局、何の病気だったのだろう? 専門家が聞けば、すぐに診断名のつく話なのかな?

2020年8月20日木曜日

PayPayモールで買った原作版『ナウシカ』の2~7卷が届いて驚いた

 

2020年8月20日 木曜日/曇り時々雨。昨日に比べたら天国のように涼しい。老猫にとってはむしろ寒い感じ。


PayPayモールで買った原作版『ナウシカ』の2~7卷が届いて驚いた。古本を買ったつもりだったのが、全て新品で、しかも2020年7月25刷。ついこの前。しかし、これで、なぜ、第1卷だけが品切れなのかもわかった。新しく刷られて市場に出た全7卷のうちで、第1巻だけ、「とりあえず第1卷だけ買って読んでみるか層」に「吸い取られた」のだ。


今頃、『ナウシカ』漫画が全巻揃って増刷される理由は、もちろん岡田斗司夫のYouTubeなどではなく、きっと、例のナウシカ歌舞伎なのだろう。


で、あとで、Amazonを調べたら、ちゃんと第1巻も新品で在庫があったのでさっそく注文した。




今年の正月(元日の夜明け前)の『こじらせナイト』を、なんとなく、今日また観たら(録画したのが残っていた)、ものすごく面白かった。千葉雄大とヒャダインの台湾旅行が。ヒャダインの謎の体調不良(実は、飛行機に乗り込む前の空港でワインを飲みすぎた)『ココリコミラクルタイプ』の松下由樹のモノマネ、旅行先で拉致されそうになる観光客のマネ、米津玄師の『lemon』の替え歌、臭豆腐、などだ。


ただ、この番組が今年の正月の放送だったとは。新型コロナのせいで、もう何年も前のような「隔世の感」。



自動車は「線路」が不要で、列車よりも便利だ威張ってるけど、ほとんどの自動車は「道路」を引いてやらないとまともに走ることはできないという点で、所詮は列車の改良版に過ぎない。少なくとも、平らに均された地面が要る。結局、移動手段で最も優れているのは「脚」だ。それが証拠に自然界に、車輪を採用した生き物はただの一つも存在しない。自然界には「道路」も「平らに均された地面」も、ほぼ見当たらないからだ。地上を動き回る全ての動物の移動装置は「脚」。



とにかく暇だけはたっぷりある自然(宇宙)が、行き当たりばったりで作り上げた「機械・仕組み」(生命)を、もっと効率よく計画的に洗練されて長持ちするものとして、イチから作り直す「作業・取り組み」が科学。


だから、自然は、参考にはなるが、実は手本にはならない。自然がやった通りにやると、待っているのは「とり返しのつかない事態」である。最初にも言ったが、自然(宇宙)にはたっぷりの暇があるが、人間にはそこまでの時間的余裕はない。

2020年8月19日水曜日

『スッキリ』で夜間熱中症対策を説明する水卜アナウンサー

 

2020年8月19日 水曜日/晴、曇り。猛暑。16時に室温摂氏34.0度を記録


『スッキリ』で夜間熱中症対策を説明する水卜アナウンサー。司会の加藤が、出演者たちにそれぞれの対策を聞いたあと、最後に、水卜さんはどうですか、とふると、「タイマーをセットして、短パンTシャツで寝てます」と、自らが読み上げた熱中症対策とは真逆の答え。加藤に「おねがしますう…」と呆れられる。面白かった。



『コロンボ』第3話「構想の死角:MUREDR BY THE BOOK」で、犯人Ken Franklinが、雑貨店のおばさんにプレゼントする、自分たちのミステリー本のタイトルは『殺人処方箋:Prescription: Murder」。これは、言わずと知れた、記念すべき『コロンボ』第1作のタイトル。


あと、犯人が相棒を射殺するとき、相棒が座っているソファにはちゃんと汚れ防止用の透明のナイロンがかけてある。もちろんこれは、長期間留守にすることが多い別荘では、ごく当たり前のことだろうから、被害者も全く不審には思っていない。



自分が重病だった場合、病院は刑務所と同じだし、医者は判決を下す裁判官、看護婦は刑務官と同じだ。自分の「状況」を知らず、うっかり入ったが最後、当分あるいはもう二度と、社会には戻れなくなる。


世の「医者嫌い」の大半は、同じことを感じているはず。つまり、病気の治療云々より、他人に自分の日常の暮らしを奪われることを嫌い恐れるのだ。更に始末に負えないのは、「日常を奪い取ろう」とする医者とその共謀者たち(この中には自分の家族や友達さえ含まれることがある)には、何の悪意もないことだ。それどころか、心の底から「ヨカレ」と思ってるのだから、実にタチが悪い。やってることは、ちょうど、新興宗教(ま、新興でなくても同じだけど)の勧誘者のソレ。


そう。実際それは、或る「宗教」の実践を強要しているだけのこと。或る宗教とは、言わずと知れた「生命教」。ドグマ「死は悪であり、生は善である」を、数十万年の昔から今日に至るまで、地球上の全人類に説き続ける普遍宗教(あるいは不変宗教?)。



成果は全て自分のもの。失敗は全部ヒトのせい。トランプの大統領職のやり方を見ていると、やっこさんがどうやって大金持ちになったのかがよく分かる。また、もしトランプが韓国の大統領だったら、大統領でなくなった後の彼の身に何が起きるかは容易に想像がつく。

PART7: THERE'S A BODY ALL RIGHT


▼(2020年8月19日 水曜日)

▼副題は、Briggsの指紋が遺体から採取されたと聞かされたlieutenant Knoxが、驚いて「遺体があったのか?」と聞き返した時に、Dave刑事が答えたセリフ。

▼徘徊老人Jerry。Someone stole my car! I don't know where I am!

▼Hawkと保安官、Lauraの日記のAnnieについて書かれたページから、25年前にBlack Lodgeから出て来たのは、good Cooperではないと推理する。

▼"Doc"Hayward、skype経由で「初登場」。

▼Gordonの謎の口笛。その後、Albertと二人でDianeを訪ねる。

▼Diane、拘置所でCooper(Mr.C)と25年ぶりに再会。

▼Andy、Richardがひき逃げしたトラックの持ち主と会う。

▼Dougie、刑事のFusco兄弟(いとこ?)3人の訪問を受ける。爆破された自動車の件で。その直後に、Ike "the spike"に暗殺されそうになるが、撃退する。

▼Great Northern Hotel のオフィスで謎の音(hum)。一週間前から始まって徐々に強くなっているとBeverly 。「315号室の鍵」がBenの元の戻る。

▼Beverlyの夫は重病で自宅療養中。

▼Road Houseの床掃除風景。バーテンのJean-Michel Renaultが電話の相手に「ロードハウスは、57年間、Renault familyが取り仕切ってるんだ」と言う。ちなみにseason 1でLelandに殺されたのはJacques Renault。

▼更に、ちなみに、Hunkは刑務所に戻った直後(1992年)に、刑務所のジムで、Renaultの遠い親戚にナイフで刺され、それがモトで死んだらしい(Mark Frost著『A Secret History of Twin Peaks』)。

▼Mr.CとRay Monroe、真夜中に拘置所を「脱獄」。

▼エンドロールは、RRの店内の様子。(Where's Billy?)

2020年8月18日火曜日

製造している会社の名前が、株式会社ミートソース。設立時に何があった?


2020年8月18日 火曜日/晴。朝は肌寒かった。昼は猫が眠れないくらい暑かった。


「ふるさと会」の8月分、柔らかスペアリブが届いた。製造している会社の名前が、株式会社ミートソース。設立時に何があった?



TP3メモ:PART7: THERE'S A BODY ALL RIGHT


▼副題は、Briggsの指紋が遺体から採取されたと聞かされたlieutenant Knoxが、驚いて「遺体があったのか?」と聞き返した時に、Dave刑事が答えたセリフ。

▼徘徊老人Jerry。Someone stole my car! I don't know where I am!

▼Hawkと保安官、Lauraの日記のAnnieについて書かれたページから、25年前にBlack Lodgeから出て来たのは、good Cooperではないと推理する。

▼"Doc"Hayward、skype経由で「初登場」。

▼Gordonの謎の口笛。その後、Albertと二人でDianeを訪ねる。

▼Diane、拘置所でCooper(Mr.C)と25年ぶりに再会。

▼Andy、Richardがひき逃げしたトラックの持ち主と会う。

▼Dougie、刑事のFusco兄弟(いとこ?)3人の訪問を受ける。爆破された自動車の件で。その直後に、Ike "the spike"に暗殺されそうになるが、撃退する。

▼Great Northern Hotel のオフィスで謎の音(hum)。一週間前から始まって徐々に強くなっているとBeverly 。「315号室の鍵」がBenの元の戻る。

▼Beverlyの夫は重病で自宅療養中。

▼Road Houseの床掃除風景。バーテンのJean-Michel Renaultが電話の相手に「ロードハウスは、57年間、Renault familyが取り仕切ってるんだ」と言う。ちなみにseason 1でLelandに殺されたのはJacques Renault。

▼更に、ちなみに、Hunkは刑務所に戻った直後(1992年)に、刑務所のジムで、Renaultの遠い親戚にナイフで刺され、それがモトで死んだらしい(Mark Frost著『A Secret History of Twin Peaks』)。

▼Mr.CとRay Monroe、真夜中に拘置所を「脱獄」。

▼エンドロールは、RRの店内の様子。(Where's Billy?)


2020年8月17日月曜日

Lynchの謎のjarの使い道が判明した(『Jar Final』)


2020年8月17日 月曜日/晴。暑い。


Lynchの謎のjarの使い道が判明した(『Jar Final』)。中に10個のボールを入れる。ボールには1から10までの通し番号が書き込んである。jarに手を入れて、無作為にボールを取り出す。取り出したボールに書かれた数字が「Today's number」である。



宗教と科学の違い。宗教はいろいろな種類が世界中に無数に存在するが、科学は一つしかない。聖水や護符や干し首は、それらを便利に利用できる人がそれぞれに異なるが、自動車やスマホや電子レンジは、世界中の人間が分け隔てなく便利に使う。そして何より、宗教は、信じている人たちだけを「救う」が、科学は、信じていようといまいと「救う」。


違いの理由は単純で、全ての宗教が、一皮むけば「生命教」という単一物であり、その「御本尊」が「利己的な遺伝子」だからだ。「利己的」であることを成立させるのは「私と私以外」という認識であり、その認識を突き詰めれば、「私という存在に対する執着」ということになる(これはかつて、ゴータマが看破した迷妄でもある)。どのような宗教もすべて、「私にとっての私のためのもの」である一方で、科学に「私」が入り込む余地はない。



一つはっきりと言えるのは、トランプが大統領になって以降、アメリカ大統領という職業もしくは地位のプレミア感は著しく減退した(あるいは、一層の事、消滅したと言ってもいいかもしれない)。



「信心」や「勇気」は、「身贔屓された邪悪さや残忍さ」に過ぎないことがよくあるので気をつけろ。



インターネットのイヤなところは、バカが大声を出して、他の大勢のバカの賛同を集めてしまえる点。即ち、中学校の教室と全く同じという点。



たくさんの種類がある時点で、どれを食っても大して旨くはないことは、ほぼ確定。



宗教も科学も究極の目的は同じ。「世界の終わり」の克服だ(言うまでもなく、自分自身の死も「世界の終わり」の一つである)。違いは、宗教は「他力」、科学は「自力」ということ。



『沢村貞子の365日の献立』の特別編(25分。ちなみに通常は5分の番組)が8/19に放送されると知って喜んでいる。



毎年のこの時期のテレビを観ていると、焼夷弾での皆殺しよりガス室での皆殺しの方が非人道的で、原爆での皆殺しは、他のどんな皆殺しよりも非人道的だという「空気」に満ち満ちていて、違和感だらけになる。

2020年8月16日日曜日

原作版ナウシカについて岡田斗司夫が90分近く喋っている2016年のYouTube動画をオモシロク観た。


2020年8月16日 日曜日/かなり暑い。


『原作版ナウシカ』全7巻について岡田斗司夫が90分近く喋っている2016年のYouTube動画をオモシロク観た。元々は有料会員限定の後半部分も8月31日まで無料で公開されている。


まずはじめに笑ってしまったのが、当時まだ公開されていなかった庵野秀明の『シン・ゴジラ』についての岡田斗司夫の予想が、庵野自身が聞いたらゲンナリしてしまうほど「的中」していたこと。曰く、完全形態のゴジラになるまでを描くこと。最終的にはゴジラを破壊できず、仕方なく、『アキラ』や、爆発したフクシマ原発のように「封じ込めて厳重管理」するようになること、など。


で、メインテーマの『ナウシカ』については、宮崎駿が、鈴木敏夫や高畑勲の「アドバイス」に「屈して」、最後にナウシカを復活させたことで、アニメの『ナウシカ』が、宮崎駿が大嫌いな宗教アニメになってしまったことを、当人が激しく悔やんでいたことや、あんな展開であんな終わり方にしたせいで、周囲から(というか社会から)「宮崎駿はエコロジストである」と思われたことを、宮崎本人がすごく嫌がっていた、ということを知って笑った。そして少しだけ宮崎駿をミナオシタ。


あと、『ホルス』『ハイジ』『コナン』『カリオストロの城』が、それぞれ、発表当時の「ライバルアニメ」に「敗北」した話も面白かった(『ハイジ』は『宇宙戦艦ヤマト』、『コナン』は『さらば宇宙戦艦ヤマト』、そして『カリオストロの城』は『ガンダム』に「敗北」し、最初の『ホルス』だけは「自爆」)。だから、その後の『ラピュタ』『トトロ』『魔女の宅急便』までは、宮崎の「リハビリ」作品だという指摘もおもしろかった。


で、動画を最後まで視聴して、昔読んだはずの『原作版ナウシカ』の内容をほぼ何も覚えていないことを改めて思い知らされたので、猛烈に再読したくなった。そこで、ふらりと立ち寄るといつも棚の上の方に原作版『ナウシカ』全7巻を揃えていた近所のブックオフに(この暑いのにわざわざ)出かけてみたが、世の中、要らない思っているときは目の前をチラチラしているのに、いざ買う気になったときには影も形もなくなっているのが常。で、今回もやっぱりそうなった。


結局そのあとPayPayモールで、第2巻から7巻までは売っているのを発見し、購入した。6冊で2950円。第1巻も、縁があればいつかどこかで手に入るだろう。

2020年8月15日土曜日

第二次大戦末期、原爆開発に取り組んだ京都大学の研究者の一人を主人公にしたNHKドラマ『太陽の子』を観た

 

2020年8月15日 土曜日/晴。暑いは暑いが、まあ、大丈夫な暑さ。


第二次大戦末期、原爆開発に取り組んだ京都大学の研究者の一人を主人公(演じたのは柳楽優弥)にしたNHKドラマ『太陽の子』を観た。ちなみに、放送前に自殺した俳優が、主人公の弟役で出演していることで、妙なワダカマリもできてしまったドラマ。


原爆開発の「結末」がどうなるのかは日本人なら誰でも知っているので、一種の大河ドラマ。ただし、どの程度まで開発が「進んで」いたかは、自分も含めて大抵の人は知らない。


で、結局、広島に原爆が落とされた時点で、京都大学の研究者たちがやっていたことは、ウランの同位体の分離。それすら、成功の遥か手前の段階。


ウランをどこから手に入れるのだろうと思ったら、ドラマの中では、地元の窯元(演じていたのはイッセー尾形)からだった。すなわち、焼き物を彩色する「絵の具」として使われていたウランを回してもらっていた。


一番印象に残ったのは、広島と長崎に原爆が落ちた後、「次は京都だと噂されている」ので、母親と幼馴染には京都を離れるように言い、自分は比叡山に登って、原子爆弾が空中で炸裂する様子を観察すると、主人公が言う場面での、主人公と母親(田中裕子)との価値観の「隔絶と対立」。と言っても、激しくやり合うわけではない。「京都が原爆で焼き尽くされる様を観てみたい」と言っているに等しい息子に対して、母親は、怒りと悲しみと恐れを込めて「科学者とはそんなに偉いのか」と言う。それに対して、主人公は、自分が科学者になるのを許してくれたことを母親に感謝するだけだ。母親は、息子の行動を止めはしないが、自分は京都を離れないと言い、主人公は母親の作ってくれた「握り飯」を持って、実際に比叡山を登るところでドラマは終わる。


ここからはドラマとは直接関係ない、「科学者はそんなに偉いのか?」問題について。とはいえ、今までにも何度も言ってきたことだ。


結論を言うと、「科学者はそんなに偉い」のだ。なぜなら、自分の子孫たちが、地球や太陽や宇宙と運命を共にして死に絶えることを回避するためには、科学を「究める」しかないからだ。殆ど全ての人間にとって、自分の子や孫の世代で世界が終わることは悪夢以外のナニモノでもないだろう。ならば、万年後億年後の「孫」の世代で世界が終わることも「そんな先のことまで」で済ますべきではない。希望は、神ではなく、科学である。

2020年8月14日金曜日

芸能人が手品師に「ムチャぶり」をするNHKの番組を観た

 

2020年8月14日 金曜日/曇り。涼しいというか、うっかりすると肌寒いくらい。夕方からしばらく土砂降り。


何日か前に、芸能人が手品師に「ムチャぶり」をするNHKの番組を観た。出演者は、何人かの手品師と、マリック、銀シャリ、土屋太鳳、他。その中で、昔懐かしのルービックキューブを使う手品があった。


手品師はお客(この場合は土屋太鳳)にルービックキューブを手渡し、好きに動かして各面の色をバラバラにしてもらう。その後、そのルービックキューブを受け取り、あらかじめガラスケース(観客から丸見え)に入れておいたもう一つのルービックキューブと「柄合わせ」をする。もちろん、手品なので、お客がデタラメに動かしたキューブの6面と、手品師が最初からガラスケースに入れておいたキューブの6面は、色柄がぴったり一致し、観客は驚くことになる。


この手品を最初見たときは「?」だったが、その夜、寝ばなに「ブラックロッジ」からイメージが届いて「謎」はあっさり解けた。


ガラスケースの中のルービックキューブには、手品師が観客に見せる面の裏側の面に、裏側が[キューブの表面と同じ色柄になった]のステッカーがあらかじめ付いていて、それを、客から受け取ったキューブの面に貼り付けているのだ。


と言っても分かりにくいので、サイコロで説明する。サイコロの「1」の面の裏は「6」だが、その「6」は実は、裏面が「1」のステッカーになっていて、しかも「6」の面にはノリがつけられているので、第二のサイコロに強く押し付けると、押し付けられたサイコロのその面は、必ず「1」になる。


必要なのは「押し付ける」という動作で、これをごく自然にやらなければならないが、記憶によれば、件の手品師は確かにやっていた。つまり、両方のルービックキューブの色柄が全く同じことを観客に示す時に、二つのキューブをぴったりくっつけていたのだ。問題は、一番最初はどうやって「くっつけた」のか、ということ。


で、録画してあった映像を翌日観返してみると、手品師は、ごく自然に上下にキューブを重ねて「くっつけて」いた。


しかし、「並べて見せる」動作に隠して「くっつける」やり方は、キューブの天地部分の2面には不可能。どうするのかと思って見ていたら、なんと、天地2面は観客に見せていなかった! つまり、天地を見せたような手の動きで、実は既にステッカーを貼り終えた側面を見せていたのだ。見事な手技。


2020年8月13日木曜日

ようやく姉妹共用の「おば」を表す漢字を見つけた


2020年8月13日 木曜日/晴れ。暑いが昨日に比べればなんでもない。


NHKのヘンテコな生物を紹介する単発番組を観た。司会は林修で、中川翔子とかハライチとかが「生徒役」で並んでいる、民放にアリガチなもの。一番「ヘンテコ」だと思ったのは、敵に向かって、しっぽの複数の穴から粘液上の糸をを吹き付けるトカゲ(ヤモリ?)。攻撃方法(威嚇方法)もすごかったが、体全体のデザイン(配色など)がまたすごかった。


あと、ウォンバットはどうやってウンコを四角くしているのかもこの番組で知った。直腸あたりに特別な筋肉があって、それを使って腸をひし形にすることで、中身(即ちウンコ)を直方体にするのだ。直方体のウンコは、水分を吸収されているうちにサイコロ型に別れ、それが外に出るという仕組み。なので、日本の動物園で飼われているウォンバットは、もらっている餌(生のトウモロコシなど)に水分が多く含まれている上、気候そのものも日本はオーストラリアほどは乾燥していないので、ウンコの水分を吸収しきれず、四角いウンコを作れない。「ふつう」のウンコが出る。



母親の姉妹という意味の「おばさん」の「おば」を漢字で書こうとすると、「伯母(母の姉)」か「叔母(母の妹)」しかなく、姉でも妹でもどっちでもいいときや、姉と妹の両方を表したいとき(例えば「二人のおば」と言いたい時)に妙に困る、というか不便だ、と常々思っていた。「小母さん」という漢字で書いた「おばさん」は、血縁関係のない「他人」のことだから使えない。


ところが、この前ナニカの本を読んでいて、ようやく姉妹共用の「おば」を表す漢字を見つけた。それが「姨」である。これで「おば」と読み、漢和辞典で確かめたら、母親の姉のことも妹のこともこの一字で表せる(というか、それが姉なのか妹なのかに頓着しない、とにかく母親の女兄弟すなわち姉妹のことを指す漢字)。長年のモヤモヤ、イライラが解消された。


すると、「おじ」についても「伯父」と「叔父」ではない、兄と弟共用の漢字があるのだろうか? いや、ありそうだ。あるに違いない。誰にとっても、あれば便利な漢字のはずだからだ。



所謂欧米文化圏は、動物の擬人化を妙に毛嫌いするくせに、言語そのものは、動物どころか道具や機械や、ただの観念や概念ですら、平気で主語にして澄ましている。



ローソンで買った二種類の冷やしラーメンは、どちらもただ塩辛いだけだった。