2020年10月25日日曜日

ネットのアンケートの職業選択の項目に「江頭2:50」

 

2020年10月25日 日曜日/曇り


この前(10月21日)、夢を見た。ネットのアンケートの職業選択の項目に「江頭2:50」というのがある。これは、タレントの江頭2:50に、月に二回、ハガキを出すという仕事。一通は時候の挨拶で、もう1つはいわゆるファンレターである。この仕事は、珍しくはあるが、世間に認知された職業。つまり、特殊清掃人や鵜飼いようなものとして。こんな夢を見たのは、寝る前(昼寝)に、『サンセット大通り』を観たからだろう(2周目)。すなわちマックスのせいである(観たことがあればわかると思う)。



ダイソンの新しい掃除機が届いた。V4 digital fluffy。



√アニメや映画や小説などの、所謂「物語」で、自分(の思想や理念や美意識)を表現するのは、ちょうど昔の歌人たちが、山や鳥や風や花や季節や風景に「喩える」ことでしか、自分の心情を表現できなかったのと同じことなのだ。つまり、表現したいことに対応する概念が存在しないか、知らないか、見つけられないために、そういう回りくどいやり方でしか、自分の中のナニカを表すしかないのだ。


√人類を、会社員一家にスケールダウンして喩えると、人類の究極の目的は、これもまた、「家族を飢え死にさせないこと」にスケールダウンすることができる。会社員一家の仕事は2種類ある。給料を稼ぐことと、家事である。給料を取れなくなると、家事をいくら頑張っても、その一家の餓死は避けられない。逆に、家事は全然やらなくても、給料さえ持って帰っていれば、まあ、一家が餓死することはない。ところで人類の究極の目的とはなんだろう? それは、生命現象によらない知性現象を作り出し、その人工の知性によって、宇宙の無理心中から逃れることである。すると、人類の活動の殆ど全ては、会社員一家でいうところの「家事」でしかないことがわかる。政治活動も経済活動も芸術活動も、それをどれほど頑張って極めて尽くしたところで、生命現象によらない知性現象は生み出せない。ただひとつ科学活動だけがそれを成し遂げられる。会社員一家の喩えに引き寄せて言えば、他の活動(政治・経済・芸術等)を全部おろそかにしても、科学活動さえ地道に続けていれば、人類の「飢死」は避けることができるし、逆に、科学をやめてしまえば、他の活動のどれをどう頑張っても待っているのは「餓死」である。


以上、大事なことなので何度でも書く。