2020年10月20日 火曜日/晴
岡田斗司夫ゼミ【UG】「Googleに就職するとはどういうことか?」を非常に興味深く視聴した。Googleの入社面接は、「クラスに一人くらいいる天才をいじめるような連中を排除する」ために行われるらしい。あと笑っちゃったのは、岡田斗司夫が読んだ何かの本に書いてあった、メンサには、知能指数の高い負け犬がゴロゴロいる、という話。
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『Dr.STONE』視聴メモ:
第12話「背中合わせの仲間たち」
銀の槍の銀を硫化水素のセンサーにして、硫酸を回収するために、硫酸の泉に向かう(銀は硫化水素に反応して瞬時に黒く変色する)。だが、地形の関係で泉に近づけない。で、ガスマスクを作る。[ガスマスクを手に入れた]/クロム「自然がどんなに強かろうと、自然には考えるアタマもねえし、ハートもねえ! 俺たち人間が勝てるのはそこだけだろう!」[硫酸を手に入れた]
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√宇宙の究極の法則を知ってしまったら科学はおしまいだとか、もうやることがないとか言うマヌケが多いけど、科学は、宇宙を知り尽くして、やっとスタートラインについたことになる。なにしろ、科学の目的は、知性現象を永久に存続させることだからだ。そのためには、自前の宇宙を作り出すか、もしも宇宙が無限個存在するのなら、寿命が尽きた「この」宇宙から、「若くて」物理法則的に「移住可能な」宇宙に「乗り換える」ための方法を見つけ出さなければならないからだ。宇宙の「外」を理解してこそ、宇宙を「乗り換える」ことができる。つまり、今いる「この」宇宙を知り尽くしたくらいじゃ、それは、赤ん坊が自分の家の様子を把握したくらいのことでしかない。
しつこいくらい何度も言うが、人間の本質は知性現象であり、生命現象は単なる媒体にすぎない。単なる媒体にすぎないものを本質だと思いこんでしまうのは、人間の知性現象が、放っておけば、まるで、熱力学第二法則並みの確実さで、「生命教」の「狂信者」になってしまうからだ。まず、「生命教」から脱却し、科学という[思想=態度]を身につけ、生命現象に依存しない知性現象を作り上げ、「彼ら」に後を託す。その場合、生命現象としての人間(我々が普通に「人間」と思っているもの)は置き去りにされるが、知性現象としての人間は、さらに先に進むことができる。そんなの寂しいと思うのは、それは君という知性現象が、まだ「生命教」に毒されているからだ。