2020年7月11日土曜日

『雲霧仁左衛門4』第6話。イッセー尾形(柏屋)が好い


2020年7月11日 土曜日/晴れ。やや暑い。


『雲霧仁左衛門4』第6話。イッセー尾形(柏屋)が好い。最後、小野武彦(安藤帯刀)に「使い捨てられて」門前で銃殺される(家来が火縄銃で殺す)が、その死に顔が笑っているのも、『バットマン』のジョーカーみたいで好かった。


と、今書いて「あっ」となったが、ティム・バートン(監督)はジョーカーを殺しているんだね。そういえばペンギンも殺してる。バットマンが、じゃなく、ティム・バートンが。バットマンは「たとえ敵役でも殺したりせず、警察の手に渡す」というのがキャラの設定(というか、バットマンは民間人なんだから、殺してしまったら、ただの殺人犯)なので、バットマンが劇中で、意図的に彼らを殺すことはない。が、ティム・バートンは、ああいう作風なので、割と平気でキャラを殺しちゃう(そんな彼も、キャットウーマンはギリギリ殺さなかった)。



『世にも奇妙な物語』鑑賞メモ:

『しみ』は、『マルホランドドライブ』タイプのお話だった。あるいは、もっと遡れば『不思議の国のアリス』。ちょうど主演女優の名前もアリスだし。


『3つの願い』のランプの魔人(滝藤賢一)は「無からは何も生み出せない」と主張していたが、実際には、主人公の三つの願いを[無から生み出したもの(大金、妻、健康な心臓)]で叶えている。タイムパラドックスで「親殺しのパラドックス」と並んで有名な「ネタに詰まった小説家が、未来から来た自分から[すでに書きあがった小説原稿]を受け取り、窮地を脱する。では、実際にこの小説を書いたのは誰?」というタイプのパラドックス(このパラドックスに一般化した呼び名があるかどうかは知らない)。


『燃えない親父』は、なんと言っても、祖母(親父の母親)役の人が印象的。


と、以上三作は『世にも奇妙な』らしからぬ、いい出来の作品だったが、最後におまけみたいについて来た『配信者』は、いつもの『世にも奇妙な』作品だった。



「時間」は、「上下左右」と同様、それ自体は独立には存在しない「純粋な観念」。「上下左右」は全て、一つの視点/座標を「中心」あるいは「視座」と見做した場合にのみ立ち現れる。絶対の「上下左右」は存在しない。「独立した現象としての時間」は、「物理的実在」の微小な運動を観察できない人間の感覚が、「見えない運動状態」に与えた「見せかけの現象」である。全ての実在に伴う運動の見せかけが時間だ。