2020年7月23日木曜日

久しぶりに放送のあった『日本知らなかった選手権』を観た


2020年7月23日 木曜日/曇り。涼しい


久しぶりに放送のあった『日本知らなかった選手権』を観た。今回は、牛丼チェーン吉野家の「肉盛り選手権/グランドチャンピオン決定戦」だった。



『私の家政婦ナギサさん』の第三回を面白く観た。



北ガスのポイントでもらったお菓子が届いた。石屋製菓の「白い恋人」と「美冬」の詰め合わせ。気温が高いので冷蔵便で来た。



ALSの患者(51歳女性)を安楽死させた二人の医者が、嘱託殺人の罪状で逮捕された。いつまでもバカバカしい。


バカバカしい其の一:生命教が支配している社会では「ただの安楽死」や「ただの尊厳死」が「事件」になってしまう。


バカバカしい其の二:生命教が支配している社会では「安楽死」や「尊厳死」を「何処の馬の骨とも分からない」医師に頼むしか手がない。


大事なことだから何度でも言うが、人類は「生命教」を克服しない限り「幸せ」にはなれない。生命教とは、実体のない生命というものの「実在」を信じ、それこそを至上のものとする、今の地球人類が意識せず狂信している(故に人類が引き起こす諸悪の根源でさえある)宗教/信仰のこと。


生命即ち生命現象は物理現象と地続きの現象であり、そのため、個々の生命体の価値や役回りは、例えば、太陽の内部で核融合を起こしている水素と変わらない。だから、個々の生命体の[生き死に]は、水素がヘリウムに変わるようなものでしかない。


つまり、生命現象という大きな立ち位置から見た時、個々の生命の[生き死に]は、人間が息を吸ったり吐いたりしているのと何も変わらないくらい、当たり前で、顧みられることのない、しかし当然繰り返されなければ、全体としての、ということは「本丸」の生命現象が立ちいかなくなる「必須」のもの。平たく言えば、「どんどん生まれて、どんどん死んでくれ」が、生命現象から生命個体諸君への「要望」。


そして、またしても何度も繰り返すが、「生命教」の「呪い」を解くためには、人間が本当に尊んでいるのは「生命」ではなく「知性」であることに気づかなければならない。[物理現象の一形態でしかない生命現象]に伴う「物理現象とは位相の異なる知性現象」を目の当たりした時、人間は、喜んだり、悲しんだり、恐れたりするのだ。『2001年宇宙の旅』で、HALが「記憶をなくしていく」場面で、我々の中に沸き起こる「あの感情」は、生命ではなく、知性に対して向けられている。