2020年7月3日 金曜日/晴/風があるのでさほど暑くはない
久しぶりに『ストリートファイター3』をやって、格闘ゲームに向いてないことを改めて実感した。格闘ゲームは、もう、一生やらない。と思ったけど、トレーニングモードで、ずっとヒューゴを相手にアレックスで戦うのは面白いので、それはやる。
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星野源を一言で言い表すコトバにやっと気づいた。すなわち「しゃらくせえ」。
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「耳ざわり」という言葉を、或る時点からずっと、「耳ざわりが良い」と「耳ざわりが悪い」のどちらが省略されたカタチだと思っていた。だから、例えば、「耳ざわりなことを言う」などの言い回しに出会うと、使用法を間違っていると思っていた。つまり、今の例文は、「耳ざわりな」=「聞いて不快な」という意味で使っているが、それは間違いだと思っていたのだ。ところが、大西泰斗の『一億人の英文法』を読んでいたら、まさにこの使い方の「耳ざわりな」が出て来て「?」となり、念のために、任天堂DSLLの辞書で調べたら、なんと、「耳障りがいい」は誤った使用法、と出ていて驚いた。
驚いたが、よく見ると、「さわり」の漢字が「障り」になってる。この漢字は「差し障り」の「障り」で、なるほど、これなら最初から「不快」の意味がある。うわ~、長い間勘違いしてたなあ、と喜んだわけだが、そもそも、最初に書いた「或る時点」までは、自分も「耳ざわりな」は「聞いて不快な」という意味で使っていたのだ。どこでどうなって、こんな勘違いをしてしまったのだろう、と思って、さらに念のために、ネットで調べて、また驚いた。
とあるサイトには、「耳ざわりがいい」という言い方もある、とちゃんと書いてあるのだ。ただしその場合の「さわり」は「触り」になる。「手触りがいい」的な言い方だ。ああ、なるほど、最近になって「誤用」が「常用」になり、必ずしも間違いではなくなったのだね、言葉とはそいうものだ、と納得したら、この「耳ざわりがいい」は大正時代からすでに使われていたとあった。つまり「最近」でもないのだ。
で、さらに読み進めると、あの漱石が『こころ』の中で「耳障りのよい」と書いている、とあり、3度目の驚き。サイトの著者曰く、いくら漱石が書いていると言っても、「耳ざわりが良い」というときは「耳触りが良い」と書くべきだ、と。そりゃそうだ。
あと、「耳あたりの良い」という言い方とゴッチャになったの可能性もあるね。