2020年7月29日水曜日

味の好みは人それぞれと前置きしておいて言うが、昨日、久しぶりに食べたおむすびきゅうさんのダンゴが不味くなっていた。


2020年7月29日 水曜日/晴れ。暑い。


味の好みは人それぞれと前置きしておいて言うが、昨日、久しぶりに食べたおむすびきゅうさんのダンゴが不味くなっていた。食感がボソボソする。前にはなかったはずの[小麦のアレルギーの注意を促すシール]が容器に貼ってある。つまりは、新たに小麦を混ぜたのだろう。しかし何のために? 前は米粉100パーセントだったはず。米粉100パーセントだと時間が経つと固くなるが、今回食ったダンゴは、次の日に残りを食ってもまだ柔らかかった。柔らかさが続くのは小麦のオカゲ(せい)なのだろう。しかし、柔らかくても、食感がボソボソじゃどうしようもない。もう買わない。


それにしても、食い物全般に於ける「柔らかさ至上主義」や、果物に対する「甘さ至上主義」にはウンザリする。


スーパーでポテトサラダのパックを買っている赤の他人に向かって「母親なんだからポテトサラダくらい自分で作ったらどうだ」とイヤミを言うオヤジとか、留学生たちに向かって「コロナなんだから、日本に来るんじゃない。だから外人は嫌いなんだ」と言い放つオヤジとかを見ているとよくわかると思うけど、人間、長く生きているからと言って、自動的に「賢く」なるわけではない(ここでいう「賢く」は、人間のスペックをできる限り有効活用した[深い洞察力と広い想像力]を持つこと)。


人間が「賢く」なるには、継続的な[鍛錬・修練・努力]が不可欠。しかし、それをやらなくても、長く生きているといろいろなことに「慣れて」来るので、なんとなく、なんでもよく分かっているつもりになって、「知らない人間にはとにかく吠え掛かる犬」レベルの行動に出てしまいがち。


ひとつの真理を言うと、カシコイ人間は、年齢を重ねるごとに、自分は殆ど何も知らないことを痛感していくものだ。カシコイ人間は、[幼児とは「自分は何でも分かってる」と思っているからこそ幼児なのだ]ということを理解している。


何度見ても、『コロンボ』の第45話「策謀の結末(THE CONSPIRATORS)」の冒頭の詩人のサイン会で、詩人に「エメラルドだ」と賞賛されるファンの女性は、『ツインピークス』のローラのお母さんにしか見えない。



知性現象と生命現象をゴッチャにして生命の定義に悩むのは、情報と本をゴッチャにして本の定義に悩んでいるようなもの。知性から見た場合、生命は媒体(medium)。ただそれだけ。