2020年7月7日火曜日

先延ばしになっていた『私の家政夫ナギサさん』が今日から始まった


2020年7月7日 火曜日/曇り/涼しい


札幌のいい日和だが、九州の熊本、大分、福岡あたりでは、大雨で川が氾濫して、何十万と避難している。人死にも出ている。



今週の『由利麟太郎』は来週に続く「長編」だが、相変わらず、少しも面白くはない。探偵と刑事と容疑者全員が一つところに集まっている中で次々に人が殺されていく、という、横溝正史なオハナシ。しかし、まあ、これだけ[顔のしれた俳優]を揃えて、よくもまあ[ここまでツマラナイドラマ]が作れるね、というくらいツマラナイ。ツマラナイというのは、全くワクワクしないという意味。先が知りたいとか真相が知りたいとか、そういうのが全然ない。ただし、別段、非難しているわけではない。


一方で(一方で?)、新型コロナの影響で放送開始が先延ばしになっていた『私の家政夫ナギサさん』が今日から始まった。いつもの多部未華子テイストが楽しめた。そう言えば、多部未華子と大森南朋は、邦画の名作『フッシュストーリー』(インドです!)以来の「共演」ではないのかな。いや、そんなこともないのか。



毎夕自宅の庭にホースで水を撒いている時、その人は、その水で毎日何匹の虫が溺れ死んでいるかなど気にしていないだろう。人間が大騒ぎしている「大雨被害」も、自然(地球/宇宙)にとっては、それと同じ。



先にその場所を占有している個体の方が、後からその場所にやってきた個体よりも、場所をめぐる争いで有利になるはず、というドーキンスの仮定を真っ向から否定した、或る種類のクモの、その不思議な行動の理由を思いついた。


そのクモは、岩の割れ目などに隠れているときに、敵に襲われると、急いでそこから飛び出し、同じ種類の他のクモ(個体)が隠れている割れ目に飛び込み、元からそこにいたクモを追い出す(というか、勝手に飛び出る)。ここで起きていることは、ナワバリの持ち主が、ナワバリ争いで侵入者よりも常に「弱い」ということ。即ち、ドーキンスの仮定を否定する現象。


なぜこんなことが進化的に起きたのかを考えて、さっき気づいた。


クモを捕まえようとした敵(捕食者)の目から見ると、最初のクモがずっと逃げ続けているように見えるのでないか? クモたちは一種の駅伝をやって、敵から逃げ続けられる。クモたちは駅伝だが、敵はひとり。持久力の点で、クモたちの方が有利にになるはずである。これが自然淘汰のお気に召すところとなったのではないか?