2020年7月2日 木曜日/曇り時々雨/やや蒸し暑い
NHKを目の敵にはしないまでも、NHKが受信できないテレビなどをムキになって開発している連中の「云い分」が少しわかった。すなわち、毎月1000円単位で家計の攻防を繰り広げている貧困者にとっては、一月1000円以上する受信料は、全く「余計なお世話」の「無駄な出費」。しかし、テレビは見たい。受信料を払わない(払えない)のだから、NHKは決して見ないつもり。にも関わらず、テレビ受像機を持っていれば、自動的に受信料支払いの義務のようものが生じる。これは全くの理不尽じゃないか、というハナシ。なるほどそうだ。
NHKの存在の主意が日本国民にあまねく情報を伝えることで、しかし、その予算の使い方などは国会で承認されなければならないのなら、やっぱり、その財源は税金から出すべきなんだろうな(住民税とか所得税とかなら貧困層に「余計な」負担はかからないだろう)。NHKの扱いは道路や上下水道と同じでなければならない。
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原理的に人間が実行できる最高の「エコ運動」は、言うまでもなく、産児制限だよ。強力な産児制限をして、地球人口を10億人くらいにすれば、今騒いでる環境問題のほとんど全ては解決するだろう。
二酸化炭素の排出量の問題だろうが、プラスチックゴミの問題だろうが、そもそもの人間の数がごっそり減らせば、びっくりするほど緩和される。
でも、人間はただの繁殖動物なので、そんなことは初めから除外している。そんなことはできないと思っている。でも本当は「できない」じゃなく「やりたくない」だけ。
人間が子供を産みたがることに合理的な理由はない。プランクトンが赤潮を引き起こすほどむやみに繁殖するのと同じで、単なる「遺伝子の惰性」。
「子供を持つ権利」とか「人権」とか言うけど、よくよく考えたら、アル中が酒を飲む権利を主張しているのと何も変わらない。
子供を産むということは、大便をするとか、飯を食うとかと同じで、生物としての人間の欲求であって、必ずしも、知性としての人間の欲求ではない。
今となっては、誰も彼もが子供を産む必要はない。そして、今となっては、誰も彼もが子供を産みたいわけでもない。
しかし「生命教」に対する無自覚な「狂信」が、子供を人間存在にとっての至宝のように思いこませている。真実は、知性としての人間にとって、子供は「方便」あるいは「やむを得ない手段」でしかない。