2020年7月8日水曜日

タモリ「ああ、テレビとかで言ってるワンチームね」


2020年7月8日 水曜日/曇り。蒸し暑い


昨日は九州だったが、今日はそれに加えて岐阜県と長野県でも川の氾濫が始まった。地質学的な観点から、地形が変わる時期に、地形が変わる場所にたまたま住んでいた人たちがいた、と言えば、まあ、ただそれだけのことだけど。



タモリ「ああ、テレビとかで言ってるワンチームね」。(←言い方!笑)。「俺、ああいうこと言ってるやつ、絶対に信用しない」

(タモリ倶楽部)。


この辺のメンタルが、たけしやさんまに代表される「売れただけのタダの芸人/芸能人」とタモリとの決定的な違い。言ってしまえば、たけしやさんまに代表される「売れただけのタダの芸人」は、まさにその呼び名が示す通りの「芸を売る」人にすぎない(だから、生涯、「客」の顔色を盗み見ている)が、タモリの本質は「商売度外視の頑固な思想家」なんだよ。


ついでに言ってしまえば、たけしやさんまは「芸人」や「芸人であること」に特別な価値や意味を見出している。だから、たとえば、たけしなんかは『浅草キッド』みたいな歌を、うっかり(しかし本気で)作ったり歌ったりしてしまう。そして、さんまも、そういうたけしのメンタルに(表には出さなくても)強く共感してしまうし、その他の、松本人志を筆頭にした芸人たちも、同じようにグッときたりする。しかし、タモリにはそういうメンタルはない。口には出さないかもしれないが、オヤオヤ、アレアレと心の中でニヤニヤ笑いをしているはず。それがタモリだ。


もう少し続けると、たけしやさんまが「芸人なんてどーしようもない」と言ったとしても、そこには[裏返しのプライド]ががっちり張り付いている。しかし、タモリが「芸なんてクダラナイ」と言うときには、本当にそう思って言っている。それは、たけしやさんまの価値観が人間中心主義的なのに対して、タモリのそれが地質学的なタイムスケールを持っているからだ。



David Lynch Theaterに『THE ADVENTURE OF ALAN R.』という1分少しの短編が公開された。ブラックロッジ的なギザギザ模様の床に落ちた顔が、「I am not going fishing, mom. Mom, I am not going fishing」と言う。



中央図書館で借りた電子書籍版『サピエンス全史(下)』を読み始めた。新型コロナ騒動を機に、実物の本を借りに行くことからは卒業した。