2020年7月13日月曜日

サルベージ船のあった岸と、インダストリアが、砂漠で地続きだったとは思わなかった


2020年7月13日 月曜日/曇り。蒸し暑い


『未来少年コナン』第11話「脱出」【メモ】

サルベージ船のあった岸と、インダストリアが、砂漠で地続きだったとは思わなかった。



経済対策で規制を緩和したらコロナの新規感染者が増えたと騒いでいるのは、食品ロス対策で弁当の賞味期限を撤廃したら食中毒が増えたと騒いでいるのに似ている。



【メモ】コロナ新規感染者の中の「経路不明者」の殆どは、思い当たるフシがいくつかあって(一週間前には会食に行ったし、三日前にはライブに出かけた、みたいな)、そのどれで感染したかがわからない、というタイプ。逆に、外出は買い物と通勤だけで、マスクも手洗いも徹底していて、まるで心当たりがないというタイプの「経路不明者」は殆どいない。

(日本テレビ『スッキリ』より)



「あんなことをやらかした」オウムにまだ信者がいるのか、と驚いたり騒いだりしている連中の多くは、キリスト教徒やイスラム教徒を見ても平気な顔をしている。「あんなことをやらかした」という点では、この二つこそ、三位以下を何周も周回遅れにしているぶっちぎりの1位2位のはず。


全ての宗教は知性の怠慢。



死刑反対論者は、たとえば、完全閉じ込め症候群になったとしても生き続けることを強要する連中なのか? それとも、逆に、完全閉じ込め症候群に陥ったら直ちに安楽死を勧める連中なのか? 死刑反対論者は、罰として死を与えることは、生きながらえさせて罰を与え続けることに比べて、「重い」と捉えているのか? 「軽い」と捉えているのか? 死刑反対論者は、死というものを、人間が人間に与える罰の範疇を超えていると考えているのか? それとも実は、死が罪人に安楽をもたらすと考え、それが許せないのか?


生きる権利というものが、近代になって人間がこねくり出した、単なる宗教であることは、改めて指摘するまでもない。人間に限らず、全ての生物個体に「生きる権利」などというものはない。というのは、そもそも[全体としての一つの生命現象]が、生命個体の「消費合戦」で成立しているものだからだ。この「消費合戦」を止めてしまうと、[全体としての一つの生命現象]自体が失われる。生きる権利とは、個々の「生き続けたい=死にたくはない」個体同士の「取り引き」や「交換条件」から生まれる幻想。


この幻想を共有しないか、共有しないかのように振る舞った個体に対しては、死刑が宣告されがち。