2020年7月26日日曜日

スタン・ハンセンの入場曲「サンライズ」は、実は二つの曲で構成されている。


2020年7月26日 日曜日/晴。風があり過ごしやすい。


星野源の顔は、渥美清の顔に似ていることに、さっき気づいた。



スタン・ハンセンの入場曲「サンライズ」は、実は二つの曲で構成されている。最初の鞭と馬のイナナキの部分は、ケニー・ロジャースのナントカいう曲で、そのあとのアレが別のバンドの「サンライズ」という曲。いくつかの曲を合わせて作った入場曲は他のレスラーでもあるらしい。ネットで観た大昔のテレビ番組(若い有吉と、今と変わらないケンドーコバヤシが出ていた)で知った。



依存症患者には虐待経験のある者が多く、虐待経験者は他人の反応に敏感。そのため、依存症の回復プログラムなどで、自分の体験を人前で話してもらう時には、聞いている人の反応が直に伝わらないよう工夫する。具体的に言うと、例えば、最初に言ったことにうなづいてくれた或る聞き手が、次に言ったことにはうなづいてくれなかったら、話し手は、どうしたんだろう、何かまずいことでも言ったのか、と思ってパニックになりがちなので、話を聞いている人たちは、確かに同じ部屋に入るのだが、所謂「聴衆」然「聞き手」然として、話している人の正面に座るのではなく、部屋に居さえすれば、どこで何をしていても構わないようにしているのだ。という話を、たまたまつけたラジオで聞いた。



久しぶりに最初の『ストリートファイターII』をやってみたら、これがもはや全くオモシロクナイ! ちょっと、衝撃的なほどツマラナイ。衝撃的というのは、ゲームそのものに対してではなく、[時間が経つと、あんなに面白いと思っていたものに何の魅力も感じなくなってしまう]人間の知性のアリヨウの方。


てつねこ曰く「人間は全てのことに飽きる」。まさにその通りで、人間は、今夢中になっていることにもいつか必ず飽き、そして、最後は生きていることそのものに飽きるのだ。それが、生命ではない知性としての人間の本性。そもそも知性は生命である必要はないのだから、そういう事態に陥る。生命によって知性のアリヨウが損なわれるなら、そんな生命は排除したい。たとえそれが自分自身が依存している生命であっても。そう思うのが知性。


人間にとっての優先順位は、1)知性、2)生命である。未来永劫意識が戻ることが絶対にないのに、それでも生き続けたいと思う人間は一人もいない。



生命教は、生命という「神」に対して、知性が「殉教」することを望む。