2021年1月31日日曜日

『ジェーン・ドゥの解剖』(吹替版)を観た。

 2021年1月31日 日曜日/晴れ


『ガンダム』第12話「ジオンの脅威」視聴。


ふと思ったが、ランバ・ラルが、あのタイミングで戦闘を切り上げた(アムロ「逃げられた…というより見逃してくれたのか?」)のは、ガルマの国葬の全世界放送をリアルタイムで視聴したかったからじゃないか?



岡田斗司夫ゼミUG「アル・カポネ解説」を視聴した。アル・カポネが生まれた頃のアメリカは、イタリア人差別がひどかったらしい。



『ジェーン・ドゥの解剖』(吹替版)を【Prime Video】で観た。医療ものなのか、サスペンスなのか、SFなのか、ホラーなのか、オカルトなのか、全然知らないまま観始めたので、最初の30分位が一番ワクワクした。オカルトだと分かった時点(因みに、父親が飼い猫を「安楽死」させた場面で、完全にオカルトだと分かった)で、もうそんなにワクワクはしなくなった。


で、先にネタバレを言ってしまえば、セイラムの魔女裁判(これは17世紀のアメリカで実際にあったこと)で恐ろしい拷問の末に殺された少女の遺体が魔物となって人々を呪い殺すという話(解剖医が調べたら脳細胞だけが生き続けている)。映画本編が終わったあと、すなわち翌朝、保安官たちが解剖施設に駆けつけたときの現場は物理的には「何も起きてない」ので、実は、被害者たちが様々な幻覚を見せられ自滅しているだけなのかもしれない。事実、息子の恋人に「手を下した」のは父親で、父親に「手を下した」のは息子で、最後に生き残った息子も誤って転落死しただけ。そういえば、飼い猫を「殺した(安楽死させた)」のも父親である。「怪事件」が起きている最中は、全ての「殺人」には「やむを得ない事情」があるように見えていたが、それらは全て、幻に操られた人々の「凶行」だったのかもしれない。


「ジョジョ」的に言うと[少女の遺体自身がスタンドの「本体」]ということになる。「ジョジョ」の「スタンド」って、こういうお話を「捕まえる」ときに便利だよねえ。発明だよ。で、少女の遺体が「スタンドの本体」になった理由は、登場人物の解剖医(父親)の推測では、少女に対して行われた魔女殺しの「儀式」。なんでもない普通の少女だったのが、酷い拷問(魔女を殺すために行われた「儀式」)のために「本物」になってしまったのだ。たしかにそうかも知れない。あるいは、モトから「本物」だった、というのもアリだろう。


ところで、「セイラムの魔女裁判」のような、酷い悲劇を生み出すのは、この映画で描かれているようなことが本当に起きるかもしれない、と、心の深い部分で信じている人間たちだから、気をつけたほうがいい。



岡田斗司夫ゼミ生配信「『コンテナ物語』解説」を面白く聴いた。岡田斗司夫の体調も、まあまあ、戻ったようだ。


2021年1月30日土曜日

伝説のカルト映画『Freaks』をPrime Videoで観た。

 2021年1月30日 土曜日/雪のち晴れ



『Twin Peaks : The Return』のラッキー7保険が入っているビルの前の広場に立っている拳銃を構えたカウボーイのブロンズ像は、Lynchの父親の19歳の時の写真を下に制作された。当時彼は、森林監視署で働いていた。


もう一つ。Buckhornのモルグの外で、GordenがDianが吸っているタバコをねだる場面は、完全な即興だと、Chrysta Bellの証言。そもそも台本にない場面。


(『Room to Dream』メモ)



伝説のカルト映画『Freaks』をPrime Videoで観た。邦題は『怪物團』。日本初公開時のタイトルもこれだったらしい。本物の奇形者や障害者が出てる「だけ」のただのゲテモノ映画だと思っていたら全然違った。すごくちゃんとできている。見応え充分。Lynchの『エレファントマン』の「直系の先輩」というか「師匠筋」とでも言うべき作品。大の大人が観て、ちゃんと膝を打てる作品になっている。でも、クレオパトラが最後「アヒル女(ニワトリ女?)」になっていたのは、どういう理屈なのか、それは全然分からない。呪い? 外科手術? 


こちとら、日本脳炎で脳をやられて「永遠の4歳児」状態の叔父さんと子供の頃から付き合ってきたオカゲで、障害者に対しては、変な幻想(良くも悪くも)は何もないので、この映画に出てくるフロゾやビーナス(共にフリークスに対して好意的な健常者のサーカス団員)の振る舞いには共感できる。というか、彼らの「感じ」は、普通にわかる。



@人間にとって重要なのは(本質的なのは)、姿かたちが似ていることよりも、共通の言葉を話すこと。アニメやマンガやSF映画に登場する、様々な「異形」のキャラクターに特に不快感を感じないことからも、それは明らかだ。



@「家族思いのいいお父さん/お母さん」というときの「家族思い」には、アタマに「自分自身の」という[見えない/隠された]限定詞がついている場合が殆ど。要するに、イザとなったら自分の家族を最優先にする、偏狭な人間たち。まあ、自然淘汰によって作り上げられた存在の宿命だけどね。



√他人の意識のスイッチを自由に入れたり切ったりすることができれば、実質的に他人の時間を操っていることになる。


「キング・クリムゾン」のスタンド能力の非常に限定的なバージョンと考えればいい。そして、これは、統合失調症の人々(というか、かつて二重人格などと呼ばれた人々)が、自らのヤマイのせいで、体験しがちなこと。


2021年1月29日金曜日

経済学における「非代替性」とは、オリジナルのアート作品や、レストランで提供される食事のように「唯一性」があることを指す。

2021年1月29日 金曜日/大雪


【メモ】


”経済学における「非代替性(ノンファンジブル:non-fungible)」とは、オリジナルのアート作品や、レストランで提供される食事のように「唯一性」があることを指す。一方で、「代替性」のある商品とは、金や豆の缶詰のように、同種の品物と交換できるものを言う”


”非代替性トークン(NFT)がオンライン上のあらゆる体験の中核を担うようになれば、ヴァーチャル世界と物理世界を結ぶ役割を果たすだけでなく、オンライン経済を根本から変える可能性がある”


(WIRED VOL.39 P118)



『Dr.STONE』第2シーズン第3話「死者からの電話」視聴。監視役ニッキ―が仲間になった。



今日の「山眺め」は大雪で真っ白。空も山頂も山頂の塔も何も見えなかった。しかし、こんな雪の中でもカラスはちゃんと飛んでいた。自然は水際立っている。感心した。



@人間の意識にとって人体は「媒体」にすぎない。それは、音楽と楽器の関係にそっくりだ。音楽にとって楽器は「媒体」というよりは「装置」「手段」と言った方がより的確だろうが、まあ、そう違いはない。人間の意識にとって人体は「装置」「手段」であると言っても、さほどの違和感はないから。肝心なことは、音楽が楽器ではないように、人間の意識も人体ではないということ。楽器が床に転がっていても、音楽は聞こえてこない。床に転がった楽器は「死んで」いるからだ。楽器が「生きている」状態はは、言うまでもなく、演奏者によって演奏されるときだ。人体と意識については言うまでもない。


[根強い思い違い]が起きるのは、音楽も意識も、あまりにもそれぞれの「媒体」に依存しているから。依存度が高すぎて、ほとんど同一視してしまうのだ。しかし、現実に起きている現象を冷めた目で見れば、両者(音楽と楽器、意識と人体)は「全くの別物」である。楽器も人体も、所詮はただの物体である。一方、音楽と意識は[体験それ自体]である。


面倒なのは、媒体に対する依存度があまりにも高すぎる「副作用」で、「演奏することが音楽」「生きていることが意識」という[決定的に誤った]認識が生まれてしまうこと。ひっくり返したほうが[決定的に誤って]いることがよりわかりやすくなる。すなわち、「音楽とは演奏すること」「意識とは生きていること」。そう、どちらも完全に間違っている。「音楽=演奏」が誤りであることは簡単に分かる。しかし「意識=生きている」が誤りであることは、つい最近までほとんど人間には気づけなかった。意識は「生きている」必要はないということがどうしても理解できなかった。「死後の生命」「肉体は死んでも魂は生き続ける」などの言い草はその証。正しい認識は、「現在地球上に暮らす我々ホモサピエンスの意識に限って言えば、自身の身体が生きていなければ存在できない」というただそれだけ。



2021年1月28日木曜日

脚は第二の心臓、第二の脳だからね。

2021年1月28日 木曜日/晴れ

今日も、夕方30分ほど、山の上を観た。遠くを見て、目を休ませる「リハビリ」だ。



『剣客商売』の第3シーズンの第2話のゲストは大滝秀治だった。「鬼熊」と呼ばれる[居酒屋の親父]役。久しぶりに秀治の芝居を堪能した。


ところで、第3シーズンに入って、大治郎が本編に一秒も出てこない(オープニングのアバンタイトル的なところには出る。第2シーズの使いまわしだから)。第2シーズンで大治郎が演じていた役回りを、三冬さんがやっている。因みに三冬さんは第2シーズンと同じ(知らない)女優さん。



細野さんのニューアルバムがもうすぐ発売されるが、ちょっと調べてみると、配信はない様子。つまり、CDを買うしかない。しかし、もう随分前からウチには専用のCDプレイヤーがない。専用ではないCD再生装置はある。iMac、プレステ2、プレステ3、パナソニックの縦置きDIGAだ。しかもどれも古参の十年戦士。いつどうなるか。しかも、[自力で音が出るもの]は一つもない。だから、現状、テレビに繋いだプレステ2で聴くのが、いちばん「ふつう」のCDの聴き方になっている。そう言えば、一つ前の「Hochono House」も「まだ」買ってない。


あと、2月の10日ごろに発売される映像box集(『No Smoke No Life』などを含む)は、一旦アマゾンで予約したけど、「カネもないのに」と思い直したキャンセルした。一万円近くするのでちょっとデカイ。



今一番おもしろがっているのは、最初のシリーズの『カイジ』と、青木雄二の『ナニワ金融道』。どちらも、ヤフーのプレミアム会員向けの読み放題のサービスで全巻読める(はず)。Y!mobileユーザーなので、何もしなくても「自動的に」プレミアム会員なのだ。『カイジ』もいいけど、『ナニワ金融道』好いわあ。スクリーントーンとか全然使ってなくて全部手書き。『刑務所の中』の花輪和一とか、貸本時代の水木さんの漫画みたいで好い。泥臭い「カネ」の話も堪らんよね。登場人物たちの「底辺感」にも妙な郷愁を感じる。


あと、『WIRED』が読めるのも大きい。まあ、スカした記事が多いけどね。



夜、セイコーマートにトイレットペーパー(チラシに載ってた特売日)を買いに行くついでに、邪魔になっているダンボールの束(宅配便が多いのだ)も持っていった。北海道はセイコーマートすなわちコンビニがダンボールを引き取ってくれるので、便利だし助かる。セイコーマートで買ったトイレットペーパーを一旦家に持ち帰り、そのままツルハ(ドラッグストア)に猫砂などを買いに行った。一週間ぶり以上の外出(コロナ関係なしの引きこもり体質)。全行程で30分ほどの買い物だったが、今、少し、脚が「小学校の遠足の翌日」みたいになっている。こりゃあ、毎日、「用もないのに小一時間歩いてくる」をやったほうがいいかもしれない。脚は第二の心臓、第二の脳だからね。


2021年1月27日水曜日

『コロンボ』の21話「意識の下の映像 Double Exposure」で、長年の「懸案」になっていた謎に、一応の説明がついたのでメモしておく。

2021年1月27日 水曜日/

【メモ】

21年には、我々はリモートワークのマイナス面に対処しなければならなくなるだろう。在宅勤務は短期的には効率性の向上をもたらすが、長期的な業績を牽引するはずのイノヴェイションを阻害する危険性がある。実際、効率性はイノヴェイションの敵だ。なぜなら基本的に、イノヴェイションとは探索のことだからだ。みながひとりで仕事をしていたら、人々が交流して新しい可能性を探索するのは困難だ。


このジレンマへの解決策は、人工知能(AI)がもたらしてくれるだろう。探索と効率性との間の本質的なトレードオフは、AI研究者の間ではよく知られている。研究者たちがしばしば取り組まなければならない問題のひとつは、すでに試したことがあり通常は何らかの見返りをもたらす行動に対して、まだ試していない行動のアルゴリズムをどのくらいの頻度で取るべきなのか、という問題だ。


(Carl Benedict Frey「AIがリモートワークに偶然の出会いをもたらす」 WIRED VOL.39 p111)



『コロンボ』の21話「意識の下の映像 Double Exposure」で、長年の「懸案」になっていた謎に、一応の説明がついたのでメモしておく。すなわち、ケプル博士の[映写技師ホワイト殺害]のアリバイの話。


1)映写機は2台ある。

2)映写技師ホワイトは1枚のコインを使いまわしている。

3)コインは、「今、映像を流しているフィルムが終わりに近づいたことを映写技師に知らせるためだけ」のもの。

4)2台の映写機はお互いに自動的に切り替わる。


もし殺人事件が起きていなかったら、

1)ホワイトは、映写機Aに1巻目のフィルムをセットして、フィルムの「ケツ」にコインを挟み、映写機を動かす。

2)コインが落ちたら、a)映写機Bに2巻目のフィルムをセットして、床から拾ったコインを、2巻目のフィルムの「ケツ」に挟む。あるいは、b)既に映写機Bにセットしてあるフィルムの「ケツ」に、床から拾ったコインを挟む。

3)映写機Aのフィルムが終わったら、自動で映写機Bに切り替わる。

4)ホワイトは、映写機Aに3巻目のフィルムをセットする。


しかし、映写機Aの1巻目のフィルムからコインが落ちる前に、ホワイトは殺されたので、映写機Bにセットされたフィルムの「ケツ」にはコインが挟まれなかった。この場合、ホワイト自身によって映写機Bに予めフィルムがセットされていても、犯人が自分で映写機Bにフィルムをセットしても同じ。肝心なのは、犯人がフィルムの「ケツ」にコインを挟まなかったということ。犯人は、そんな「映写技師たちの常識」は知らないのだから当然だ。


長年「謎」だった理由は、何より、2台ある映写機に、予め1巻と2巻のフィルムをセットし、それぞれの「ケツ」にコインを挟んでいたら、コロンボの言う「2台目の映写機の下にコインが落ちてなかった」という事態は発生しないだろうという、製作者に対する「不審」。映写機が2台あるのなら、プロとして絶対にそうした方が間違いがなくていいのにそれをやらないのは、つまりこれは、アリバイ崩しのための物語上の「無理強い」だと感じたから。


しかし、考えてみればこれは「たしかにそうだが、ホワイトという映写技師はそういうやり方をしない」と言われてしまえばそれまでのこと。


もう一つは、コインが落ちることで、映写技師は「映写機の切り替え」の時刻が迫っていることを知るのだと思い込んでいたこと。つまり、映写機の切り替えは手動でやらなければならないと思い込んでいたこと。


しかし、英語字幕を見てみると、単に「change」と言っている。それを勝手に、1巻目と2巻目の切り替えすなわち、映写機Aから映写機Bへの切り替えだと思い込んでいたのだが、本当は、映写機Aにセットされたフィルムを1巻目から3巻目にchangeするということなのだろう(2巻目は映写機Bに既にセットされている)。で、1巻目から落ちたコインは2巻目のケツに刺す。で、2巻目が映写が進んでそこからコインが落ちたら、今度は映写機Aの3巻目のケツにそのコインを拾って刺す。


そもそも英語のchangeに「切り替え」のようなニュアンスはないんじゃないかとさえ思った。切り替えるなら「switch」なんじゃないか、と。changeというときは、「一つを取り除いて、別のものに置き換える」というニュアンスなんじゃないか、と。しかしまあ、これはよく知らない。


コインは映写機の切り替え時刻が迫っていることを知らせるためだという誤解が、映写機は手動で切り替えなければいけないはずという思い込みを生み、結果、2巻目のフィルムの上映が始まった時刻(犯行時刻)に、犯人は映写機を切り替えるために犯行現場にいたはずだという誤った結論に達したのだが、しかし、事実として、犯人は2巻目の上映の始まった時刻である7時半からずっとコロンボと一緒に研究所にいたということを、コロンボ自身も認めているという、わけのわからない展開になって、すっかり混乱したというわけ。しかし、2巻目のフィルムがセットされた映写機Bが自動で動き始めるのなら、その問題は消える。そもそも、フィルムのセットや映写機の切り替えなどの作業が映写技師でもない犯人にできたのかという問題もなくなる。映写機Bに予め「2巻目」がセットされていたら、犯人はそのまま犯行現場を立ち去るだけでいいからだ。


2021年1月26日火曜日

ここ数日、右目の外側の白目に充血があり、右目の右上あたりにも鈍痛がある

2021年1月26日 火曜日/晴れ

ZZTopが、LynchのAll time favorite bandだということを今日の(というか昨日の)「weather report」知った。だから、変なボリューム装置を作ってまでして、Road Houseに出したのか。



『Twin Peaks : The Return』に登場する刑事フスコ三兄弟の、すぐにクスクス笑いをする一番下の弟役は、最初は存在しなかった。オーディションに

来たEric Edelsteinを見たLynchが、わざわざ彼のために新しく用意したキャラクター。Eric Edelstein自身は、オーディションのときに自分があの、特徴的なクスクス笑いをどこかでやって、それをLynchが気に入ったのだろう、と言っている。いずれにせよ、それまで、回ってくるのは(本当の自分とはかけ離れた)悪党役ばっかりで、これからずっとこれしかないのかと思っていたのが、フスコを演じたオカゲで、今は「くすくす笑う大男」の役が回ってくるようになって嬉しい、という話。



ここ数日、右目の外側の白目に充血があり、右目の右上あたりにも鈍痛がある(目玉を動かしたときに鈍痛の出る「目玉の向き」がある)。若干の痒みもある。おそらく、ここのところずっと徹夜でYou TubeやPrime Videoを観ているせいだろう。つまり、長時間にわたって近くばっかり見ているせいで、目にキテるのだ。


というのは、ついこの間観た、近眼に関するNHKスペシャルで、リモートワークになったせいで、目に痛みが来るようになった大学教授(助教授だったか)が、ひとつの症例として報告されていたから。似ていると思ったのだ。彼の場合は、本来遠くを見るために掛けているメガネで、近く(パソコンのスクリーン)を見続ける作業(専門用語で「近業」というらしい)をしていたので、目に負担がかかってしまっていたのだ。専門家の指示にしたがって、境目のない遠近両用メガネに掛けかえたら、すっきり目の痛みがとれて、気分爽快になっていた。


他にも、近視がどんどん進んでいく小学生男子も紹介されていた。彼の場合は、今増えている「眼軸近視(がんじくきんし)」である。症状の進行を抑える対処法は「3つの20」。すなわち、20分近くを観たら、20秒間、20フィート(6メートル)離れた場所を見るのだ。


で、自分も今日、窓の外に見える遠くの山のてっぺんに立っている謎の塔や、その背後に流れる雲などを1時間ほど眺めた(鹿島茂がカミュの『異邦人』について公演している、NHKのラジオを聞き逃し配信で聞きながら)。気のせいかもしれないが、少し痛みが緩和されたような気がする。これからしばらく、毎日一時間ほど山と空を眺め、様子を見てみる。



今日観た『剣客商売』(の再放送)は(もう)第2シーズンの最終回だった。「妖怪小雨坊」。遠藤憲一の怪演が好かった。明日からすぐにそのまま第3シーズンの放送。




2021年1月25日月曜日

再放送している『剣客商売』の第2シーズンを、このところずっと観ている。オモシロイ。毎回展開が全く読めないのだ。

2021年1月25日 月曜日/晴れ

『Ms igLoo2 重力戦線』の第二話「陸の王者、前へ」を視聴した。相変わらずのわざとらしい変な芝居とセリフ。「ほんと、なんなんだこのシリーズは?」と思って、あっと気づいた。要するに作ってる人間が「アタマ悪い」んだよ。「アタマが悪いヤツの話に仕方なく付き合ってる感じ」が、このシリーズを見ているときに感じる[イライラとモヤモヤと気恥ずかしさの入り混じったなんとも言えない不快感]を一番ぴったり言い当ててる。もう一つ思いついた。これって、(プロの軍人や本当の戦争体験者ではない)軍事オタクや戦争オタクのための「ポルノビデオ」だよね。つまり、「本番」の場面を盛り上げるためだけにある、やっすいストーリーとわざとらしい状況設定とへタックソな演技とクッサイ芝居って、まさにそう。逆に言えば「本番」の場面は、相当チカラが入ってるから、堪らん人間には堪らんのだろうけどね。まあ、「体位」や「プレイ」に詳しいやつが、いろんな「体位」や「プレイ」が出てきて喜ぶみたない感じなのかな。



スマホの調子が悪い。ヘッドホンとの接続部分がちょっとアレしてきたのかもしれない。おそらく接触不良が原因だろうが、らじるらじるの「聞き逃し」サービスで、大西泰斗の「ラジオ英会話」を聴いているときとか、BBCのアプリでBBC Soundとかを聴いてるときに、ちょっと姿勢を変えた瞬間とかに再生が停止してしまう。フリーズエラーとか止まっているのではなく、接触不良のヘッドホンジャックから妙な電気信号が流れて、それをアプリ側が[ヘッドホンのリモコンからの停止信号]だと「誤解」しているようなのだ。ちなみ、今、ウチにあるヘッドホンには、どれも「リモコン機能」はついてない。あんなもん要らんよ。余計なお世話。



テレビ東京系列で再放送している『剣客商売』(本放送はフジテレビ)の第2シーズン(秋山小兵衛は藤田まこと、おはるは小林綾子なのはそのまま。大治郎役が渡部篤郎)を、このところずっと観ている。オモシロイ。毎回展開が全く読めないのだ。つまり、主人公が、奉行でもなければ殿様でもなく、むろん殺し屋(仕置人)でもない、「ただの」引退した剣客(ただし凄腕)というところで、逆にどんな「事件」でも設定できるので、回ごとの「ゲスト」の「役回り」が全くわからないのだ。それがいい。あと、池波正太郎の原作らしく、ちゃんと毎回食べ物にも凝っているのもいい。もうひとつ、とにかく、好きとか嫌いとか、イチャイチャラブとか、プラトニックラブとか、「年の差婚」とかを時代劇で割と真正面から描いているのもオモシロイ。


今日観た話も、目の見えない病んだ侍と、その世話をする坊さんが、実は、親の敵討ちのために放浪の旅に出た剣の達人と、その「親の仇」その人だったという話。無論、侍の方は、自分の世話をしてくれている坊主が、自分が探し求めている仇だとは梅雨ほども気づいてない。なんか、すごい話で唸った。好かった。さすが池波正太郎。




2021年1月24日日曜日

「ナショナリズムが医薬品の質を下げる」

 2021年1月24日 日曜日/晴れ


『Dr. STONE Stone Wars』第2話「HOT LINE」をPrime Videoで視聴。監視役の体操のホムラを捕まえて、千空の「墓」の下(土の中)に、タイジュ、ユズリハとの連絡用の「ケータイ(無線電話)」を埋める。



今日の岡田斗司夫ゼミ生配信は予定を変更した「番外編」で、20分少し、岡田斗司夫がとりとめのないこと(西野の「サロン」の内幕や、Netflixのアニメ制作の内情に関する、所謂「タレコミ」コメントは要らないというような話)を喋って終わった。岡田斗司夫の体調が優れないのがその理由だ。先週のガンダム特集で4時間近く喋り続けた「後遺症」かもしれないし、そうではないかもしれない。当人曰く「コロナや、その他の内臓疾患とかではない」。『コンテナ物語』の解説は来週に回った。



【メモ】


”政治家たちはCOVID-19によって、今までできるだけ見ないようにしてきた状況と向き合うことを余儀なくされている。殆どの富裕国は、事実上、医薬品生産の大部分を他の一握りの国(特に中国とインド)に外注してきた。錠剤や注射薬の原材料である医薬品有効成分(API)についてはそれがとりわけ顕著だ。

(中略)

多くの国が抗生物質を製造しているが、2018年からの最新の数字では、世界中で使用されている抗生物質の原薬の産地としては中国が82%を占めている。その上には、安価なジェネリック医薬品の層があり、そのうちの非常に大きな割合がインドで製造されている。

(中略)

21年には、医薬品安全保障の名の下に、APIの生産を自国に戻すことを求める声が上がるだろう。

(中略)

実際に生産のどの程度の割合が、特に富裕国へと戻されるのかを予測するのは難しい。なぜなら、この動きは少なくともふたつの強力なロビー活動によって抵抗されることが予想されるからだ。


第一の抵抗勢力は環境保護活動家だ。こうした人々は環境の観点から、自国でのAPI製造には反対するだろう。APIの製造はしばしば厄介なビジネスであり、特に規模を拡大するとなるとそうだ。その過程で発生する汚染物質の中には、水資源や野生生物を脅かすものもあれば、廃棄された抗菌剤のように、人間や動物における薬剤耐性感染症の流行を助長するものもある。


第二の抵抗勢力は製薬業界そのものだろう。API製造は薄利多売のビジネスであり、巨額の資本投資を必要とする。そもそも「イノヴェイター」と言われる大手の製薬会社がこれらの投資にほとんど関心がないがために、

APIは外注されているのだ。


APIの生産が海外から国内に戻された場合、ふたつの影響が考えられる。


第一に、どのような品質レベルであっても、他国が中国に価格で対抗するのは難しいため、医薬品の原材料を国内で生産することは、結果として医薬品の価格を押し上げることになる。


第二の影響としては、特に医療予算が既に大幅に不足している低・中所得国において、医薬品の質が低下するだろう。薬価を低く抑えながら手頃な医療を拡大する必要があるため、生産者は削れるところならどんなところでもコストを削ることになるからだ。”


(「ナショナリズムが医薬品の質を下げる」Elizabeth Pisani / WIRED vol.39)



2021年1月23日土曜日

人間の脳にはピンと来ない確率の話。

2021年1月23日 土曜日/晴れ

人間の脳にはピンと来ない確率の話。


サイコロふたつを振って「ピンゾロ」すなわち2つのサイコロの目が共に「1」になる確率が「36分の1」(6分の1×6分の1)だということは、みんな「アタリマエ」だと思っているが、2つのサイコロのサイコロAが「1」でサイコロBが「2」になる確率も「36分の1」だというと「そんなバカな」と思いがち。別に、「1」と「2」の組み合わせでなくてもいい。サイコロAが「4」でサイコロBが「6」でも、サイコロAが「3」でサイコロBが「3」でも、どんな組み合わせでも、全て確率は「36分の1」。


そして、これは前にも何度も書いたが、「ただのゾロ目」の出る確率、つまり、2つのサイコロが共に1から6のどれか一つの「同じ数の目」になる確率(「1−1」か「2−2」か「3−3」か「4−4」か「5−5」か「6−6」)が「6分の1」だということにも気づきにくい。どうしても、「36分の1」になると思いがち。


「ただのゾロ目」の出る確率が「6分の1」なのに、先に挙げた「どれでもいい組み合わせの目」の出る確率が「36分の1」になるのは、「ただのゾロ目」の2つのサイコロには「個性」がないのに、「どれでもいい組み合わせの目」の方にの2つのサイコロには「A」「B」という「個性」が与えられているから。


「ピンゾロ」も込みで、「36分の1」の確率になるサイコロたちは、「それぞれ」に「出るべき(出ると予測されている)数字」が割り振られている。ピンゾロなら、サイコロAとサイコロBはともに「1」が割り振られているし、「2−3」ならサイコロAには「2」、サイコロBには「3」が割り振られている。だから、「36分の1」の確率になる。


一方で「ただのゾロ目」では、2つのサイコロのうちで数字を割り振られているのは一つだけ。サイコロAとサイコロBは対等な「個性」の代わりに(どちらがどっちでも構わないが)「主従関係」が与えられている。つまり、一方のサイコロに出た目の数が、もう一方に対して割り振られる目の数になるという構造。この時、割り振る側(主の側)のサイコロの目の数は何でもいいので、確率は「6分の6」すなわち「1」。よって、割り振られる側(従の側)のサイコロが「割り振られた目の数」を出す確率(6分の1)だけが実際の確率になる。


因みに、「どれでもいい組み合わせの目」のサイコロから「個性」を奪うと、確率は「36分の1」ではなく「36分の2」すなわち「18分の1」になる。というのは、2つのサイコロから「個性」を奪うと、例えば「2−3」の組み合わせと「3−2」の組み合わせが「同じ扱い」になるからだ。「ピンゾロ」の場合と確率が変わってしまう理由は、言ってしまえば「ピンゾロ」本家では絶対に一組しか存在しない「ピンゾロに相当する組み合わせ」が、「個性」を取り去れれたサイコロ2つの「どれでもいい組み合わせの目」では「二組」できてしまうから。


なんでまたこんな事を言いだしたのかというと、Lynchが毎日やってる「Today’s number」のせい。昨日の数字が「4」だとしても、今日も「4」が出る確率は、まあ、「10分の1」だというのは重々承知しているつもりなのに(「Today’s number」は、それぞれに1から10まで番号をふった10個のピンポン玉から一個を無作為に選び取る)、昨日が「4」でまた今日も「4」の確率は、昨日の分の確率も「勘定にいれて」実は「100分の1」と考えるのが「ホントウ」なんじゃないか、と、どうしても考えてしまう自分を発見したからだ。ほんと、人間の脳は「確率」というものの理解が不得意。で、なにかボーッと考えてると、「100分の1」で正解のような気どんどんしてきて、「何を間違えているのか」少し本気で考えたみた。


で、分かった。「100分の1」という確率は、「2日続けて4が出る確率」ではなく、「2日続けて数字を的中させる確率」だということ。なーんだそんなことか。



『Room to Dream』メモ


『The Return』の「Log lady」の場面の撮影は、Catherine E. Coulsonの自宅で行われた。その時既に末期癌を患っていたCoulsonは、医者から旅行を止められていたのだが、Coulsonが亡くなる前の週のTuesdayに友達が彼女の自宅を訪ねと、Coulsonは撮影のためにSundayの飛行機でワシントンに行く計画を立てていた。CoulsonはLynchに自分の病状を隠していたのだ。驚いた友達はLynchに連絡をとって、もしもCoulsonを作品に出演させたいなら、すぐにLynchの方がCoulsonの自宅に来て撮影をすべきだと伝えた。次に日(Wednesday)LynchのアシスタントのNoriko Moyakawaが地元の撮影スタッフを引き連れCoulsonの自宅を訪ね、Skype経由でLynchが監督をして、あの場面が撮影された。撮影の5日後(Monday, September 28th, 2015)にCoulsonは亡くなった。


2021年1月22日金曜日

ヴィンセント・プライス主演の『地球最後の男』(吹替版)を観た。

 2021年1月22日 金曜日/晴れ



ヴィンセント・プライス主演の『地球最後の男』(吹替版)をPrime Videoで観た。1964年の映画。後にウィル・スミス主演でリメイクされているし(『アイ・アム・レジェンド』)、それ以前にもリメイクされているらしい(『オメガマン』?)。そもそも原作小説があるという。


主人公ロバート・モーガン(ヴィンセント・プライス)は、「吸血鬼病」とでも言うべき伝染病で世界中の人間が吸血鬼になった世界で、3年間生き延びているただ一人の人間(じゃないか、と当人は思い始めている)。また、彼が伝染病に感染しないのは、昔コウモリに噛まれて免疫ができたからではないか、とも考えている(真偽は不明)。モーガンは科学者で、まだ人間が姿を消す前は、この伝染病の治療法を研究していた。


3年の間、モーガンは、吸血鬼が動き回れない昼間に、吸血鬼を退治し続けてきたのだが、実は彼らは、特効薬で吸血鬼病から「回復」した、謂わば[次の段階に進んだ人間たち」だった。つまり、この世界には、既に、吸血鬼病を患ってはいても特効薬を注射し続けることで、普通の人間のように昼間も歩き回れるし、鏡も怖くない(ただし、にんにくは無理)「新しい人間」と、薬で治療してもらえないせいでゾンビ状態になっている吸血鬼病の人間と、そして、そもそも吸血鬼病にかかってないしかからないモーガンという「特殊な人間」いたのだ。そして、モーガンは、「新しい人間たち」を殺して回る(悪い意味での)「伝説の男」として、「新しい人間」たちのコミュニティに(自分の知らないところで)恐れられていた。


最後、モーガンは「怪物」として、「新しい人間」たちの警察隊(軍隊?)に殺され、モーガンのとっての唯一の理解者だったヒロインが、近くで泣いている赤ん坊に対して、「もう怖がる必要はないのよ」と慰めたところで映画は終わる。即ち、実は、主人公の方が、社会を恐怖に陥れる「怪物」とみなされていたという、視点の逆転が最後に起きるのだ。


あと、伝染病の感染拡大防ぐために死体は焼かれてしまうのだが、とにかく「火葬」を嫌がる(気の毒がる)。ああアメリカだね、という印象。「最後の審判」のときに死体がないと困るらしいからね。


アクション場面などは、モッサリのんびりした感じだったけど、歌舞伎とかのアクション場面も似たようなものだし、それほど気にはならなかった。それよりも、人間が消えた街の様子が、今読んでいる『この世界が消えたあとの科学文明の作り方』の描写そのもので、面白かった。というか、そもそも、この『この世界が消えたあとの科学文明の作り方』に書いてあったから、この映画を観たのだけど。



宮藤官九郎脚本、長瀬智也主演の『俺の家の話』の第一話を試しに観た。宮藤官九郎のドラマは、登場人物たちが表層的なところでガチャガチャやってるうちは楽しく見れるのだが、ちょっと真面目なことを言ったりすると、途端にシラケてしまう。宮藤官九郎ってのは、家族とか絆とかを「ちゃんとしたい」という価値観の作家なので、そこが、俺とは合わない。


今回のドラマでも、25年音信不通だった長男である主人公が、父親の危篤を知らされたら当然のようにすぐに駆けつける、その展開にまるでピンとこない。展開ではない。そういう行動を極当り前に取る主人公に全く共感できない。更に、25年ぶりに「戻ってきた」長男に対する弟妹や父親の、「家族」というものに何の疑念も持っていない振る舞いには違和感しか感じない。こちら側から見ると、全員、まるで「家族教」の狂信者。親に認めてもらいたいとか、父親と一緒に風呂に入ったことすらなかったとか、「家族教」信者には大問題かもしれないけど、こちとら、そんなこと、どうでもいい。そんな「浅瀬」で、人間を考えたり、描かれたりしても、バカバカしくて観てられない。と思ってしまう。


宮藤官九郎のドラマって、浅く付き合ってるとすごくおもしろヤツなのに、なにかのはずみで少し真面目な話になったら、とたんに宗教のパンフレットとか出してきたり、真顔で自分は霊が見えるとかなんとか言い出したりするヤツに似てる。ああ、バカなんだ(賢そうでもこの程度か)と思っちゃう。




2021年1月21日木曜日

Qアノンって何?

 2021年1月21日 木曜日/晴れ・少し雪


井浦新が出て、『泣くな、はらちゃん』の人が脚本を書いた、今日から始まるドラマを試しに観た。山の中の診療所が舞台。でも、もしかしたら、これから描かれる全てが、実は、ドラマ冒頭で意識を失った主人公(高畑充希)の「夢」あるいは「臨死体験」ってオチかも、とも思った。『虹色カルテ』かそういう題名。出演俳優が「渋滞」している。出演料大変なんじゃないかな、と。しかし、コロナのせいで、逆に、みんな暇なのかな、とかも。「楽しい」が、まあ、もう観なくてもいいかな、と思った。



流れで観た『報道ステーション』で、町山智浩がアメリカの新しい大統領のことを喋っていた。そのなかで、トランプ支持者は「キューアノン」云々という話をしていた。「キューアノン」? Googleで調べみた。

以下、Wikipediaの記事。


”Qアノン(キューアノン、英: QAnon、発音: [ˌkjuːəˈnɒn])は、アメリカの極右が提唱している陰謀論である。この陰謀論では、世界規模の児童売春組織を運営している悪魔崇拝者・小児性愛者・人肉嗜食者の秘密結社が存在し、ドナルド・トランプはその秘密結社と戦っている英雄であるとされている。この陰謀論で仮定されている秘密結社は、一般的にディープ・ステート(英: deep state、影の政府)やカバール(英: cabal、直訳で「陰謀団」)と呼ばれている。アメリカの検察官の中には、Qアノンについて「一般的にカルト宗教とみなされている(陰謀論者の)グループ」と説明する者もいる。


この陰謀論の信奉者は、自由主義的(リベラル)なハリウッドセレブや民主党の政治家、および政府高官の大多数をその秘密結社のメンバーであるとして非難しており、トランプが計画している「嵐」(英: The Storm)と呼ばれる報復の日には、秘密結社のメンバーが大量に逮捕されると信じている。また、バラク・オバマ、ヒラリー・クリントン、ジョージ・ソロスによるクーデターを阻止するために、トランプはロシア人との共謀(ロシア疑惑)を装ってロバート・モラーに児童売春組織の存在を暴露し、彼に協力を仰いだと信奉者は主張している。Qアノン陰謀論は、ロシア政府の支援を受けたソーシャルメディア上の荒らしアカウント、およびロシアの国営メディア(ロシア・トゥデイやスプートニクなど)によって拡散されている。”


以下、記事はまだまだ続くが省略。因みに anon(アノン)は、「匿名の」を意味する anonymous という単語を省略したネットスラングらしい。 つまり「名無しさん」。


2021年1月20日水曜日

『MIU 404』全11話を観た。『アンナチュラル』ほどにはハマらなかった。

 2021年1月20日 水曜日/晴れ


『MIU 404』全11話を観た。『アンナチュラル』のスタッフが再結集して作ったドラマだったが、『アンナチュラル』ほどにはハマらなかった。その理由を考えてみた。警察が主役で、雰囲気がどうしても「体育会系」になるからだと気づいた。『アンナチュラル』は完全に「文化系」。


あと、少し前に、男のキャラが突然怒鳴る場面に違和感を覚えると書いたが、全話見て、一つだけ[自然な怒鳴り]の場面を観た。確か第10話。暴力団事務所のガサ入れに「反論」する桔梗(麻生久美子)を、上司の「矢部」(MIUでの役名忘れた。要するに生瀬勝久)が目を剥いて「やれ!」と一喝する場面。あれは良かった。でもあれは「怒鳴り」というよりも「一喝」か。


あと、全然関係ないけど、「桔梗vs.久住(くずみ)」は「越前さんvs.弟」(『泣くな、はらちゃん』)やん!


@「コロナ」直前の世界はどこもかしこも「観光公害」に悩まされていた。それはまるで、世界の「乱交パーティ」。「コロナ蔓延」はこの「乱交パーティ」の「おかげ」。




方便としての概念(存在世界の埒外)

  • 虚無

  • 時間の止まった世界

  • 幽体離脱(肉体を抜け出した[精神・魂]が存在世界を体験する)

  • 死後の生命(媒体を持たない体験主体)




『Room to Dream』より


カイル・マクラクランが一番大変だった場面は、悪いクーパーが、ゴードンとダイアンと面会する場面。というのも、マクラクランとリンチは一緒に馬鹿なことばっかりやってる友達だし、ローラ・ダーンとも強い結びつきを感じているので、二人に対して、悪いクーパーのあの威圧的な感じを維持するのに苦労したのだ。


ローラ・ダーンが一番頑張らなければいけなかったのは、クーパーとダイアンのベッドシーン。というのは、あの場面でダイアンは、苦悩というか恐れを抱いていたから、それを表現するのが難しかった、と。



『この世界が消えたあとの科学文明の作り方』メモ


”人口を回復するのに必要な理論上の最小の人数はどれだけなのか? 今日のニュージーランドに住むマオリ族のミトコンドリアDNA配列の解析が、東ポリネシアに筏に乗って最初にやってきた建国の父祖たちの人数を推定するのに利用されてきた。遺伝的多様性から、父祖を形成しうる人口はわずか七〇人ほど〔厳密には七〇種類の遺伝子タイプ〕の出産可能な女性であり、そのため全人口はその二倍強であったことが明らかになっている。”


”問題は、年間二%──大規模農業と現代の医学によって維持された、これまでで最も急速な世界の人口増加率──で人口が増加したとしても、この父祖集団〔@数百人程度〕が産業革命時代の人口にまで回復するには、まだ八〇〇年はかかることだ”


2021年1月19日火曜日

『Twin Peaks: The Return』の制作開始が公けになってすぐに、一時的に、Lynchが監督を降りる事態になったことがあった

2021年1月19日 火曜日/大雪

『Twin Peaks: The Return』の制作開始が公けになってすぐに、一時的に、Lynchが監督を降りる事態になったことがあった。Lynch自身も当時、自分のTwitterでそうtweetした。で、『Room to Dream』の今日読んだ部分に、なぜそんなことになったのかの理由(というか顛末・当事者たちの勘違い)が書いてあった。つまりこうだ。


Lynchと一緒に『Twin Peaks: The Return』の制作することになったShowTime(の弁護士連中)は、この作品をTVの連続モノと捉えていた(なにしろ、ShowTimeは、ずっとそういうものを作ってきた会社だから)。その場合、予算というか支払いは、1エピソード毎になるのが、この会社の通例だった。つまり、エピソード数が増えるほど、会社側の支払いも増えるという仕組み。会社側がその腹づもりで、Lynchに対して、エピソードは全部で何話なるかを尋ねると、9話以上になるだろうという曖昧な答え。この答えを会社側は、できるだけ予算を分捕ろうとする戦略のように捉えたか、あるいは、単に、これでは総額いくらになるかわからないのでマトモなビジネスにならないと考えたのかもしれない。何れにせよ、会社は、エピソードの話数がはっきりしないならカネは出せないとLynchに伝えた。一方、Lynchはこの作品を、初めから[極めて長い一本の長編映画]と捉えていた。長い長い(あの『インランド・エンパイア』の何倍も長い)映画を、一時間ごとに切り分けて、毎週配信するつもりだったのだ。つまり、Lynch的には、最終的にエピソードが何話になろうと、映画一本を撮るための予算が貰えればよかったのだ。だから、エピソードが全部で何話になるかも、そもそも全体の予算が決まらければ分からないのだ。なぜなら、全体の予算に合わせて、自ずと映画の長さも決まるからだ。


結局、周囲の人間(出演予定の俳優たちなど)の働きかけもあって、両者はもう一度話し合い、誤解は解けた。すなわち、Lynchは、会社側が出せる予算を提示してくれたらその予算内で作れる長さの映画を一本撮る。その長さが決まったあとで、エピソードの話数も決まると説明し、会社側も、できるだけの予算を出すから、その予算内でなら、長さ(話数)は気にせず作品を撮ってほしいと答えた。斯くして『Twin Peaks: The Return』は無事に日の目を見たわけである。因みに、出来上がった『Twin Peaks: The Return』を全18話で割ると、エピソードあたりの予算(会社側の支払い)は割安になったらしい。



2021年1月18日月曜日

Kindleで『この世界が消えたあとの科学文明の作り方』を買って読み始めた。

2021年1月18日 月曜日/晴れと雪

『Ms igLoo 2 重力戦線』第1話「あの死神を撃て」を観た。今度は連邦軍が主役の地上戦。このシリーズは、存在していることだけは知っていた。しかし、連邦側の話なので当時はスルーした(と思う)。


で、相変わらずの、ダサいセリフと、歌舞伎や人形浄瑠璃のような、取って付けたようなクサイ展開。あと、地上を走り回る戦闘車両やザクの動きがすごく変。副題が「重力戦線」なのに、重力の表現がおかしい。まるで、50年前の『サンダーバード』レベルの動き。糸で引っ張ってるおもちゃにしか見えない。


人間の顔の質感のクオリティは上がっているが、動きは相変わらずの人形浄瑠璃。


何よりも、軍事オタク・兵器オタクを喜ばすためだけの、「兵器見せびらかし軍人バンザイ物語」で、ちょっと、真面目には観てられない。一言で言うと、酷い。



『Electric Dreams』のエピソード8「父さんに似たもの /The Father Thing」を観た。子供の主人公が仲間(クラスメートとその兄←主人公をいじめる)と協力して、人間の体を乗っ取るエイリアン集団を撃退する「スピルバーグな」お話。しかし、この主人公が言うように、エイリアンに地球人の体を乗っ取る権利がないというのなら、人間が地球上の他の生物を「利用」する権利もやはりないのだ。「自分のことは棚に上げて」な幼稚な思想の作品だった。



Kindleで『この世界が消えたあとの科学文明の作り方』を買って読み始めた。岡田斗司夫曰く、『Dr.STONE』の元ネタになった本。本当は、この本の2年後(2018年)に翻訳本が出た『ゼロからつくる科学文明/タイムトラベラーのためのサバイバルガイド』の方が洒落が効いてて面白かったので(両方とも、サンプルは読んだから分かる)こちらを買いたかったのだが、なんせ高い。2700円ちょっとする。一方で『この世界が消えたあとの〜』の方は、すでに文庫版も出ていて、値段も900円ちょっと。内容的にはほぼ同じで、翻訳もちゃんと日本語になっていたので、まずは安い方を買った。アンケートサイトでポイントをためても交換したアマゾンギフト券が1000円分あったので、支払いはタダ。


因みに、Kindleの支払いをアマゾンギフト券にするには、ワンクリック設定を「カード」から「コンビニ支払い・ギフト券」に変更する必要がある。これは、ネットで調べて仕入れた知識。



【メモ】アセチルコリン受容体はニコチンも受容する(NHK/R1)



@大戦中、魚屋もヤクザもみんな軍隊に引っ張られたみたいに、コロナ禍の今、飲食業や観光業など[開店休業状態で「遊んでる」上に「食いっぱぐれている」連中]を強制的に廃業させて、コロナ感染対策要員に「駆り出す」ということを政府がやったら、人員も集められるし、食いっぱぐれもなくなるしで、まあ、悪いことばかりじゃないと思うけど、それでもやっぱり「騒ぎ」になるんだろうなあ。



2021年1月17日日曜日

ロバート・A・ハインライン著、矢野徹訳『月は無慈悲な夜の女王』読了

2021年1月17日 日曜日/曇り

ラッセル・クロウ主演『ビューティフル・マインド』(吹替版)を観た。2周目。晩年にノーベル賞を受賞するところまで描かれている映画だったことなどすっかり忘れていた。つまり、暗号解読の仕事が実は全て幻覚だったということが明らかになって終わる映画だと記憶していたのだ。だから、バッド・エンドの映画だと思い込んでいたのだが、今日観て、精神分裂病を「克服」して、ついに栄冠(ノーベル賞)を掴む映画だったことを「知った」。前に一度観たのに、全然覚えてないので「ああそうだった」という感覚すら皆無なのには、自分でも笑った。


ところで劇中、ジョン・ナッシュが受けていた恐ろしげな治療すなわち「インシュリン・ショック療法」についてウイキペディアで調べてみた。曰く、


”インスリン・ショック療法とは、かつて行われていた統合失調症の治療法の一つ。オーストリア出身のアメリカ合衆国の医師マンフレート・ザーケルが、ショック療法として1933年に提唱した。患者に対し、空腹時にインスリンを皮下注射し、強制的低血糖によりショック状態と昏睡を起こし、1時間後にグルコースを頸静脈に注射し覚醒させる。医療事故の危険性もあり、抗精神病薬の開発が進み薬物治療が出来る様になったため、1950年代以降は廃れる。その後も中華人民共和国やソビエトなどで1970年代まで行われていた。”


ということらしい。恐ろしいね。



ロバート・A・ハインライン著、矢野徹訳『月は無慈悲な夜の女王』kindle版、読了。岡田斗司夫曰く、富野さんが『ガンダム』の元ネタにした本の一冊(もう一冊は同じハインラインの『宇宙の戦士』)。たしかに内容は面白い。なるほど、『ガンダム』に通底する「価値観」と同じものが描かれている。が、翻訳が今のグーグルの機械翻訳レベルで凄まじい。日本語なのに意味が分からなかったりする。これは原書を読む必要がある。


で、思った。早川書房は、出版から50年ほど経ってもなぜ、こんなガラクタ翻訳の本を売り続けているのか? 可能性のある理由をいくつか考えてみた。


1)翻訳の酷さは理解しているが、なんらかの契約上の縛りで、新しい翻訳本を出せない。


2)実は、英語の原書も、このくらい「よくわからない英語」で書かれている。この場合、更に二つの理由が考えられる。

a)原作者のハイラインが、実は英語が母語ではなく、だから得意ではない(まさか!)。

b)語り手の「マン」が月世界人なので、意図的に、普通の英語とは違う英語で書かれている。


3)そもそも、この矢野徹翻訳に早川書房自身は何の問題も感じていない。


一番ありそうで、しかも一番致命的なのは(3)。


2021年1月16日土曜日

『ゴッドファーザーPART3』(吹替版)をPrime Videoで観た。

2021年1月16日 土曜日/大雪

『ゴッドファーザーPART3』(吹替版)をPrime Videoで観た。


マイケル(アル・パチーノ)の兄であるソニーが愛人に産ませた息子のヴィンセント(アンディ・ガルシア)が、全体を通じてかつてのマイケルのような役回りをする。


マイケルの「身代わり」のような形で、娘のメアリー(ソフィア・コッポラ)が殺し屋モスカに射殺された直後に、「メアリーと踊るマイケル」「アポロニアと踊るマイケル」「ケイと踊るマイケル」の3つの「回想」が流れ、次に姿を表したマイケルは、シチリアの[思い出の屋敷]の庭の椅子に力なく座っている、すっかり老いぼれた老人。直後に手に持っていた果物を落として、その後ゆっくり椅子から地面に崩れ落ちてエンドロール。周りには犬が2匹いるだけ。


ところで、マイケルの命を狙った殺し屋モスカ(神父に化けた)は手強かった。ヴィンセントが手配した手下と「双子」の、都合三人をあっさり片付けている。最後は、ヴィンセントに撃ち殺されるけど、あの殺し屋はプロっぽかった。


にしても、最後には、新法王(毒殺)、マイケルの娘メアリー(射殺)、ヴィンセントの腹心の双子(刺殺)、コニーのゴッドファーザー(名付け親)のドン・アルトベッロ(毒殺:コニー自身が毒入り菓子を贈る)、ギルティ大司教(射殺)、銀行頭取のカインジック(窒息死)、インモビリアーレ社の取締役会長のルケージ(刺殺:自分のメガネでクビを突き刺されて死ぬ)、と、ものすごい大量死。途中でも、親分連中が勢揃いしたホテルが、ザザのヘリに襲撃されて、あそこでも大量に死んでるから、シリーズ通じて一番の死者数じゃないかな。



『Dr. STONE』第2シーズン、第1話「Stone wars beginning」視聴。「宇宙食」=「カップラーメン」を手に入れた。フリーズドライ製法。



『久保みねヒャダ・配信ライブ#8』を面白く観た。ゲストはフワちゃん。去年の末に放送された松本中居のなんちゃらという番組の、ほとんど放送事故のようなローラとの対談の、カットされた部分の話など面白く聴いた。曰く、ローラに「きんたま」というニックネームを提案したとか、スマホ自撮りのときにローラだけ画面に入らないようにしたとか。そういうのが、カットされたのは、フワちゃんに悪者のイメージがつかないようにした放送局側の気遣いだろう。


あと、4コマ漫画のオチは、3コマ目の「超大物」「ぴかーん」でもう、(番組前半で「シルエットがテラテラチンコ」だと話題になっていた)細川たかし以外にないと、あの放送を見ていた誰もが思ったはず。





2021年1月15日金曜日

Lynchの『INLAND EMPIRE』の基本モチーフはシンプル

2021年1月15日 金曜日/晴れ

Lynchの『INLAND EMPIRE』の基本モチーフはシンプル。撮影が中断された昔の映画の登場人物(ヒロイン)を、リメイク版の女優が成仏させる映画。


リメイク版の主演女優であるNicky(Laura Dern)は、「役に入り込む」というカタチで、自分の内面の様々なキャラクターたちと「出会い」ながら、最終的に、[中断によって「閉じ込められた」ヒロイン]という「人格=役」(どこかの部屋の中でテレビを見ながら泣いている謎の若い女)に辿り着き、彼女を演じきることで(そして映画を完成させることで)、ヒロインを「閉じ込められた場所」から解放、すなわち成仏させる。


Nickyが色々な場所に色々な人格で登場するので惑わされがちだが、あれは全て、彼女が演じるべき[キャラクター=役]を「探している」過程を、具体的に描き出しているから。更にややこしくなるのは、Nickyは[リメイクで新たに制作される映画のヒロイン]と[リメイクの元になった昔の映画のヒロイン]と[昔の映画のヒロインを演じた女優]の「三人」を「追いかけて/追体験」しているから。しかし、すべての撮影が終了したあとで、彼女(Nicky)が最終的にたどり着くのは、かつて生まれかけ、しかし撮影中断によって「閉じ込められた」映画の中の登場人物のヒロイン。


『INLAND EMPIRE』のエンドロールでNickyは、『Mulholland Drive』で殺された女優Camilla Rohdesも居る「Black Lodge」の椅子に腰を下ろし微笑んでいる。まるで、『Twin Peaks: The Return』のBlack Lodgeの椅子に座るDianeの化身のように。



人間がリラックスしていない状態(上向きでも下向きでも、とにかく動転している状態)では、脈拍だの血圧だの呼吸だのが「乱れる」。これらのうちで、人間が意識的にコントロールできるのは、呼吸を制御する横隔膜だけ。心臓を落ち着かせたり、血管を広げたりはできない。動転・興奮すれば、心臓も血管も勝手に速くなったり縮こまったりする。しかし、横隔膜だけは意識的に制御できる。腹式呼吸で横隔膜をゆっくり動かすことで、いわば、「歯車の側を動かすことで、回りすぎているエンジンの回転数を落とす」というような芸当をやるわけだ。「呼吸がゆっくりなのだから、そうコーフンするようなことでもないな」と、自分の体を騙すわけである。


2021年1月14日木曜日

「血縁」が「ケダモノ発想」だと気づいている人間は意外に少ない。

2021年1月14日 木曜日/晴れ

『ゴッドファーザーPART2』(吹替版)をPrime Videoで観た。どんどん孤独になっていく「現代」のマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)と、若かりし日のヴィト・コルレオーネ(ロバート・デ・ニーロ)が威勢よくファミリーを築き上げていく昔の物語が並行して描かれる。あと、フランキーを担当する「FBIの男1」役で、ハリー・ディーン・スタントンが出てる。ちょい役。あと、マイケルの妹コニーは、やっぱり『ロッキー』のエイドリアン(タリア・シャイア)だった。


ストーリー上で、みんなマイケルのもとから「いなくなった」あとに、いきなり、そのいなくなったみんながまだ仲良くワイワイやっていた頃の様子が描かれる。日本の真珠湾攻撃があり、マイケルが大学をやめて海兵隊に入隊届を出した年の、ヴィト・コルレオーネの誕生日に、父親の誕生日を祝うために兄弟が勢揃いし「和気あいあい」とやっている場面だ。その場面で、最後に、マイケル以外全員が、帰宅した父親におめでとうを言うため、今まで居た台所から出て行く。一人残されるマイケルの姿は、ファミリーのドンになってのちのマイケルを「暗示」しているのだろう。


が、それよりも、これって、『ジョジョ』の第5部で、ブチャラティもアバッキオもナランチャも死に、フーゴも去ったあとで、いきなりみんなが元気にワイワイやっていた「昔」の場面に戻って「ローリング・ストーンズ」のスタンドのエピソードが始まる、アレのまんまだと思った。『PART1』だけではなく『PART2』からも「引用」していたのか、荒木飛呂彦。



「血縁」が「ケダモノ発想」だと気づいている人間は意外に少ない。うっかりすると、「ケダモノにはない人間らしい高尚なナニカ」くらいに思っている。「血筋」に拘泥するモノは皆、生命原理の操り人形だよ。「ケダモノ発想」は「虫の人生哲学」でもいい。



韓国の前の大統領(女の人)に対して、懲役20年の刑が確定したという記事のタイトルだけを読んだ。この国って、前大統領がたいてい逮捕されて刑務所に放り込まれているような印象。でなかったら、自殺したりして。なんなんだろう? その一方で、アメリカは、アンダケノコトをやっても、きっとトランプは、大統領を辞めたあとでもドウニカナルことはない気がする。少なくとも、韓国の歴代大統領みたいなことにはならない気がする。



晩飯に、夕方宅急便で届いた肉饅と餡饅を食った。


現の虚 2014-6-7 剥製人間の歌を聞く

塔の天辺の部屋で折り畳み椅子を広げて埃っぽい棺の前に座った。背後からスカートの丈の短い看護師が、ガラガラと何かの装置を押して現れた。看護師が棺の蓋を開けると、中に包帯でグルグル巻きの人型のモノが横たわっていた。看護師は持ち込んだ装置から先端に針の付いた赤と黒の二本のコードを伸ばすと、横たわる包帯の頭に突き刺して、準備出来ました、と云った。突然、スイッチの入ったままのマイクを持ち上げると出る「ボコン」という大きな音が部屋中に響いて、俺は折り畳み椅子の上で驚いた。天井にスピーカーがあった。スピーカーは男の声で、では始めて下さい、と云った。看護師は頷き、包帯に繋いだ装置のスイッチを入れた。装置は魚群探知機のような画像を小さいスクリーンに映し出し働き始めた。看護師は俺に大きなヘッドホンを渡し、俺はヘッドホンを付けた。


ヘッドホンからは微かにホワイトノイズ(シャーシャー音)が聞こえる。


歌のようなものが聞こえませんか、と看護師が俺に訊いた。俺は首を振った。看護師は装置のつまみを調整し、これでどうですか、と再度訊く。俺は、ホワイトノイズの中に言葉のようなものが聞こえるような気がする、と答えた。実際そんな気がした。看護師は頷いて、俺に、大判だが薄い本を手渡す。開くと、歌の楽譜で、五線譜の下に歌詞が印刷されている。


剥製人間の歌です、と看護師が云う。


楽譜の歌詞を目で追っているうちに、ホワイトノイズから歌声がはっきりと聞こえてきた。空耳かもしれない。だが、シャーシャーという音の中に、確かに歌の旋律が聞こえるし、歌詞も聞き取れる。


天井のスピーカーの男の声が、聞こえる歌と楽譜が同じかどうかを確認してください、と云う。


メロディはともかく、歌われている歌詞は楽譜に書かれているものと全く同じだ。俺はその旨伝える。スピーカーの声は、結構です、と答え、既に薄着の看護師が、よかったですね、と俺に微笑みかける。


看護師は俺のヘッドホンを取ると、俺の腕にゴム管を巻いて採血の準備を始めた。作業をしながら看護師が云う。


私たちは、ふだん何気なく生命という言葉を使いますが、実は全く違うふたつのものを、知らないうちにひとまとめにしてそう呼んでいるんですよ。剥製人間の歌が聞こえたなら、そのふたつはもうお分かりですよね。


現象と体験です、と俺は答える。


そう。もしくは事実と解釈。そして、より重要なのは、事実ではなく解釈の方です。

現の虚 2014-6-6 中洲で塔を作る二人

広い川の小さな中州で、高い砂の塔を作ろうとしている二人組に会った。浅黒いヒゲの男が後ろ手で歩き回って指示を出し、ヒゲのない太った男が砂を相手にスコップを振り回している。


ヒゲの男は、自分はイラン人だと云った。自称ヒゲのイラン人の後頭部にはネグセが残ったままだから、おそらく学者だ。作業をする太った男は普通のアメリカ人だろう。不気味なほど巨大なプラスチック製の牛乳の空きボトルと、見覚えのあるハンバーガーの食い散らかしがそこら中にあったし、着ているTシャツが赤と黄と茶の三色で汚れていたからだ。自由を標榜する普通のアメリカ人は、自由以外に関心はないのだ。


ヒゲのイラン人が俺に云った。


砂で円形の塔を造る場合、その高さの限界は土台の半径の3分の2乗に比例する。更に、砂に含まれる水分は1パーセントが最良である。結論を云えば、この中州では、我々が構築を目論んでいる塔は絶対に作れない。まず、目標の高さを実現する為に必要な土台の広さがこの中州の広さを超えている。更に、この中州の砂に含まれる水分量は1パーセントを遥かに超えており、粒子も粗い。海に出なければ我々の塔は決して完成しない。我々は誤った場所で作業している。


太ったアメリカ人は、イラン人がダメだと云ってる中州の砂を黙々と積み上げている。イラン人は、作業をするアメリカ人から目を離さないで続けた。


中州は河口に出来やすい。そして、河口とは海の近くのことだ。つまり、我々は海のすぐ近くにいる。にもかかわらず、海には行けない。見たまえ、この川の流れを。丈夫な船がなければ、我々はこの中州を出ることすらできないのだ。海に行けば、高い砂の塔が作れる。だが、我々は海には行けず、よって、高い砂の塔も作ることができない。


そのとき空に轟音が響いて、上空を一機の飛行機が通り過ぎた。少しして、たくさんのナニカが空から降って来る。それはパラシュートにぶら下がった箱だった。殆どの箱は川に落ちてそのまま流されたが、一つが俺たちのいる中州に落ちた。太ったアメリカ人は作業を中断して、その箱を拾いに行った。アメリカ人は、意外に大きいその箱を抱えて戻って来ると、笑顔で中身を見せてくれた。分厚い緩衝材に囲まれた小さなスペースに、ハンバーガーと珈琲のセットが一人前入っていた。


これがアメリカ人の云う、自由のための義務と権利の、その成果らしいのだよ。


自称イラン人は顔をしかめてそう云った。


現の虚 2014-6-5 盗み聞くエレベータ

エレベータの非常用インターホンに耳を当てると話し声が聞こえた。


俺の乗っているエレベータは緊急停止したわけじゃない。ちゃんと動いている。電灯もついて、中は明るい。ただ、もうずいぶん経った気がする。思い出せないほど昔から乗っているはずなのに一向に目指す階に着かない。しかもひどいポンコツで巻き取り機の音が無駄にウルサイ。だが、そのオカゲで動き続けていることはよく分かる。一番気に入らないのは、アナログ式の階数表示の針が取れて、床に落ちていることだ。今何階なのかが全く分からない。


そんなこんなで俺は非常用インターホンのボタンを押してみたのだ。


返事はなかった。具体的な非常事態でなければ、そもそも繋がらない仕組みなのかもしれない。つまりその場合、乗客(俺)の単なる不安は、具体的な非常事態ではないということだ。


ただ、インターホンからは小さな話し声が聞こえた。俺はそれを盗み聞くことにした。


……世界は科学によって解明される……もちろんさ。科学技術がそれまで不可能だった実験を可能にするからね……そういう意味じゃないんだ。そういう意味もあるけど違う……何がさ?……科学技術は人間の頭脳にそれまでは起こりえなかった理解をもたらす……というと?……例えば、僕らが管理しているこのエレベータは等加速度運動と重力の関係を理解する上でとても役に立つ……等加速度運動と重力は同じものさ……そう。それを実感するのにエレベータほど便利なものはない……けど、あのユダヤ人はエレベータから閃いたわけじゃないだろう?……それは知らないけど、エレベータに乗れば誰でも等加速度運動と重力が同じだと実感出来るという点が重要なのさ。科学は科学的ではない万人に受け入れられてこそ世界を解明したことになるからね。エレベータに乗ったことのある者なら誰でも等加速度運動と重力が同じだという説を実感として受け入れることが出来る……サイレンを鳴らして通り過ぎる救急車のおかげで、誰もがドップラー効果を受け入れられるのと同じか……そう。それは理論の証明というより世界体験の拡張だよ。科学によって人々の世界体験が拡張されると、人間の頭脳は新たな世界像を獲得する。


俺はインターホンから耳を離し、エレベータのドアに手をかけた。手動式。開けて外に出る。俺の乗っていたエレベータは川の中州の粗大ゴミで、箱の屋根から伸びたワイヤーが一本、空の彼方にまっすぐ伸びていた。

現の虚 2014-6-4 流体力学について語る靄

平均的で自由な皇帝が文士のナガサに及ばぬ時、世界は一体であるとみなせる、とそのデンマーク人は云ったのさ。ホラ、ここにそう書いてある。


階段下の二人掛けの小さいテーブルで、俺は、人型をした薄緑色の靄に古い日記を見せられた。薄緑色の靄がもう相当に酔っていることは分かっている。俺の目の前で、目から火の出るような蒸留酒を何杯も飲み干してまだやめない。俺のグラスには最初に飲み干した後に注がれた二杯目がまだソノママある。靄が云う。


デンマーク人の名前は分かっている。マルチンだ。マーティン、マルチネス、マルティーニ。この名前はローマ神話のマルス、つまり火星が語源だと云われてる。


薄緑色の靄は、人型を崩しながら更に一杯、透明な蒸留酒を呷った。俺は小皿のナッツを摘んで齧る。頭の上に斜めに走っている階段を誰かが登って行く足音。二階は宿になっていると聞いた。一晩20ゴールド。ただし馬小屋に寝るならタダだ。俺は両替をしてないから、目の前の靄の話がこれ以上長引いて、もしここに泊まることになったら、選択肢は馬小屋しかない。酒はこの酔っぱらいの奢りだ。


平均的で自由な皇帝というのは、特定の誰かというより、ヒラけたアタマを持った公正な皇帝という意味だろうね。分からないのは、ナガサという文士さ。文士というのは、戯曲家や小説家や詩人やいろいろある。うっかりすると道ばたで自作の詩を吟じる乞食だって、ありゃあ文士ってことになる。本来、文士と乞食は同義だもの。そういうわけで、謎の文士ナガサを探し出すのは簡単じゃない。


と、ここで人型の靄が顔の部分を俺に突き出した。間近で見るその顔は、靄とは思えないほど明瞭な輪郭を保ち、はっきりと個人を区別できる人間の顔をしていた。


つまり、毎月集金に来る新聞屋の男の顔だ。


マルチンさ。マルチンという名前が大きなヒント。マルチンといえば、まず思いつくのが、もちろん、マルチン・ルター。そう、16世紀の宗教改革者。ニッポンで云えばシンランみたいなモノだね。だから、このコトバを云ったのはルターなのさ。彼ならいかにも云いそうじゃないか。

いや、けど、ルターはドイツ人だろ?

そうだったかな?


その時、今までおとなしく床に寝そべっていた店の犬が、人型をした薄緑色の靄に向かってケタタマシク吼えた。靄と俺は吼える犬を見る。


クヌーセン、このバカ犬、静かにしねえか!


店主に怒られた犬は悲しげに喉を鳴らして身を伏せた。


現の虚 2014-6-3 ディンク

気にしなくていいわ。時間は主観だから。アンタがコントローラのボタンを押さずに博士の発言を先に進めなければ、博士の時間は、アンタから見ると止まってるけど、博士自身にとってはタダの一秒も止まってない。


コビはそう云うと、鞄から小さな五徳と金属製のカップとジッポーを取り出し、ちゃぶ台の上に並べた。4畳半のアパートに強引に取り付けられた小さな流しの水道でカップに水を汲んで五徳の上に置くと、ポケットからクレンジングオイルが入ったような掌サイズのボトルを取り出し、頭のポンプを押して、金色のドロっとした中身を一雫、カップの水の中に落とした。最後にジッポーに火をつけ、カップの載った五徳に下に差し入れた。


俺はテレビに向き直りゲーム機のコントローラのボタンを押して、画面の中でずっと待ってる博士の発言を進めた。博士は、人工人格を作る技術を最初に示したのは実は死神(意外な登場!)なのだが、具体的な装置は殆ど博士が一人で作り上げたのだ、と全部カタカナで自慢していた。


なんていう飲み物?

飲み物じゃないわ。


ジッポーの火に熱せられたカップの中身がプシプシ音を立て始めた。


いいわ、行きましょう。

途中だけど?

いいのよ。


俺はコントローラをちゃぶ台の上に置いた。


部屋を一歩出ると、外はやはり黒一色の世界だった。またしても俺は白杖をなくしたモージンのように、ドイツ製暗視ゴーグル「ナハト・ヴァンピール」を付けたコビに手を引かれて暗闇の中を歩いた。歩きながら、テレビもゲームも電灯も、そしてなにより火のついたジッポーをそのままにしてきたことが気になっていた。火事の心配だ。


平気、と暗闇の中からコビの声がした。


俺は真っ暗な中を手を引かれて歩く。板張りの床は何度か折れ曲がっているうちにカーペット敷きに変わった。音の反響も少し変わったから、さっきより広い場所に出たのだろう。廊下から広間に入った感じだ。


正解。玄関ホールよ。


だが、相変わらずの真っ暗闇。と思ったら、遠くから小さな光が駆け足で近づいて来た。現れたのは、ランタンを提げた、体の曲がった小さく乾涸びた老人だ。老人はまず、暗視ゴーグルを付けたコビの顔をランタンで照らし、妙な顔じゃの、と云ってから、今度は俺の顔を照らして、歯のない口でふにゃりと笑った。


役立たずというコトバは、己の無知を知らぬ者が云い出したんじゃろな。


老人はそう云うと、ランタンの蓋を開け、クサイ息で炎を吹き消した。

現の虚 2014-6-2 人工人格/人工幽霊

粗いドット絵の太った髭面の湯上博士の胸元にフキダシが現れ、博士の言葉が打ち出される。骨董的ゲーム機のスペックの限界で全てカタカナなのがツラい。しかも、小さい「ツ」や「ヤ」は大きいままだ。


ワタシ・ハ・ドクター・ユガミ。ジンルイ・シジヨウ・サイダイ・ノ・テンサイ・デアル。ワタシ・ハ・コノバシヨ・ノ・アルジ。イノチ・ノ・ナンタルカ・ヲ・トキアカシタ・ワタシ・ハ・コノバシヨ・デ・エイエン・ニ・イキツヅケル。


文の終わりに点滅する逆三角形がある。続きがあるようだ。コビを見ると、頷く。俺はAボタンを押した。


イノチ・ガ・ナンデ・アルカ・ハ・イノチ・ニ・トッテ・サシテ・ジユウヨウ・デハ・ナイ。ナンデ・アッタカ・ガ・ジユウヨウ・ナノダ。イノチ・ハ・ゲンザイ・ニモ・ミライ・ニモ・ナイ。タダ・カコ・ニ・ノミ・アル。


哲学的な問題は、云えば誰でも好きなことが云えるものだ。ソレは結局どこまで行っても所詮はソイツがそう思ってるだけのコトだから。俺は密かにそんな感想を抱きつつ、セリフの続きを表示するためにAボタンを押した。


テツガク・ノ・モンダイ・デハ・ナイ。


力不足のゲーム機が表示する粗いドット絵の湯上博士が、俺の心の声に反論した。いや、テレビを観ていても、観ているこちらの独り言を、テレビの出演者が聞いて答えたかのように思える偶然はタマにある。それと同じだろう。


クスリ・ナシ・デモ・キミ・ガ・シナズ・ニ・スム・ホウホウ・ハ・アル。スナワチ・フクサヨウ・カラ・ノ・カイホウ。


どうやらその手の偶然ではないらしい。俺はまたコビを見た。


コビの解説をまとめるとこうだ。湯上博士は、フルネーム湯上絵馬という変な名前で、本当に大天才だが、もう死人で、今は自分が発明した人工人格となって、コンピュータ・ネットワーク上に存在している一種の幽霊だ。それもタダの幽霊じゃなくて、科学に基づく人工幽霊(=人工人格)だから、実際に存在していて、然るべき装置さえあれば、たとえ自分の脳の側頭葉にレビー小体が過剰に存在しなくても、見れるし、会えるし、話が出来る。更に、人工幽霊(=人工人格)は博士一人ではなく、無数にいて、それはこれまでに死んだ人間や、まだ生きている人間や、あるいはゼロから作り出された人間と多岐にわたる。博士は、そういう大勢が活動する場を、ネットワーク上に仮想空間として構築し、「ニルヴァーナ」と名付け、そこに「住んで」いるのだ。


2021年1月13日水曜日

Do birds fly?:聞くまでもない・当然だ

2021年1月13日 水曜日/曇り

しばらくぶりに少し暖かい。曇ってるせいか。



『アンナチュラル』と『MIU 404』の第6話を観た(と言っても『アンナチュラル』は4周目くらいだけど)。『UDI』の方は、腕時計とピアスに仕掛けた遠隔操作型の発電装置を使って、横隔膜を制御する神経に機能不全を起こさせて被害者を窒息死させる話。というか、東海林が知らないベッドで目を覚ましたら、隣に死体が寝ていた話。『MIU』の方は、「相棒殺し」の志摩の、「相棒殺しの真相」が語られる話。あと、桔梗の自宅に盗聴器が仕掛けられる話。



『Room to Dream』(原書)の、LynchがTMの師匠Maharishiの葬式に出るためにインドに行ったあたりを読んでいる。LynchのVISAのページが使い切られているところから始まって、空港についたけど誰も迎えに来ないからどこに行ったらいいかわからなくパニックになったとか、インドの交通事情に生きた心地がしなかったとか、ホテルの部屋が蚊だらけだったとか、ボルドーワインが手に入らないとか、いろいろ大変な目に会ってて面白い。



『スポンジ・ボブ』の主要キャラは、もしかしたら「脳の進化具合」を基準に作られたのかも、と思った。


スポンジ・ボブ:カイメン:海綿動物

パトリック:ヒトデ:棘皮動物

カーニーさん:カニ:甲殻類

イカルド:イカ:頭足類

サンディ:リス:哺乳類


キャラの「イカれ具合」「イカれ方の違い」が、それぞれのキャラの「生物としての脳の進化具合」と対応している気がしないでもない。


で、エキストラ的なキャラはたいてい魚で、「魚脳」はあの世界での「標準」というアツカイ。



今の「コロナ禍」って、現代の地球社会の「性病」に思えてしょうがない。何をすればアブナイかは分かっている。でもやめられない。みたいな。




半藤一利、死去。老衰。

@老衰って、どう死ぬの? 『ノモンハンの夏』は愛読書。



ファミチキ(ファミリーマートのフライドチキン)を挟んで食べる[専用のバンズ](初めから上下半分に切れていて、中にタルタルソース的なものが入っている)にファミチキを挟んで(あと、袋入の千切りキャベツも挟んで)、晩飯のときに食べた。旨いとか不味いとかよりも、ファミチキの[味の濃さ]を再確認した食べ方だった。つまり、バンズにも挟まずキャベツもつけず、そのままファミチキだけを食べたらエライことになったな、と思った。というか、市販品はどれも味が濃いんだけどね。



【メモ】

like nobody’s business:大急ぎで、猛烈に

Word is that~:〜ということになっている(確証がある)

Rumor has it that~:噂によると〜らしい(単なる噂)

high drama:見せ場

Do birds fly?:聞くまでもない・当然だ