2021年1月23日土曜日

人間の脳にはピンと来ない確率の話。

2021年1月23日 土曜日/晴れ

人間の脳にはピンと来ない確率の話。


サイコロふたつを振って「ピンゾロ」すなわち2つのサイコロの目が共に「1」になる確率が「36分の1」(6分の1×6分の1)だということは、みんな「アタリマエ」だと思っているが、2つのサイコロのサイコロAが「1」でサイコロBが「2」になる確率も「36分の1」だというと「そんなバカな」と思いがち。別に、「1」と「2」の組み合わせでなくてもいい。サイコロAが「4」でサイコロBが「6」でも、サイコロAが「3」でサイコロBが「3」でも、どんな組み合わせでも、全て確率は「36分の1」。


そして、これは前にも何度も書いたが、「ただのゾロ目」の出る確率、つまり、2つのサイコロが共に1から6のどれか一つの「同じ数の目」になる確率(「1−1」か「2−2」か「3−3」か「4−4」か「5−5」か「6−6」)が「6分の1」だということにも気づきにくい。どうしても、「36分の1」になると思いがち。


「ただのゾロ目」の出る確率が「6分の1」なのに、先に挙げた「どれでもいい組み合わせの目」の出る確率が「36分の1」になるのは、「ただのゾロ目」の2つのサイコロには「個性」がないのに、「どれでもいい組み合わせの目」の方にの2つのサイコロには「A」「B」という「個性」が与えられているから。


「ピンゾロ」も込みで、「36分の1」の確率になるサイコロたちは、「それぞれ」に「出るべき(出ると予測されている)数字」が割り振られている。ピンゾロなら、サイコロAとサイコロBはともに「1」が割り振られているし、「2−3」ならサイコロAには「2」、サイコロBには「3」が割り振られている。だから、「36分の1」の確率になる。


一方で「ただのゾロ目」では、2つのサイコロのうちで数字を割り振られているのは一つだけ。サイコロAとサイコロBは対等な「個性」の代わりに(どちらがどっちでも構わないが)「主従関係」が与えられている。つまり、一方のサイコロに出た目の数が、もう一方に対して割り振られる目の数になるという構造。この時、割り振る側(主の側)のサイコロの目の数は何でもいいので、確率は「6分の6」すなわち「1」。よって、割り振られる側(従の側)のサイコロが「割り振られた目の数」を出す確率(6分の1)だけが実際の確率になる。


因みに、「どれでもいい組み合わせの目」のサイコロから「個性」を奪うと、確率は「36分の1」ではなく「36分の2」すなわち「18分の1」になる。というのは、2つのサイコロから「個性」を奪うと、例えば「2−3」の組み合わせと「3−2」の組み合わせが「同じ扱い」になるからだ。「ピンゾロ」の場合と確率が変わってしまう理由は、言ってしまえば「ピンゾロ」本家では絶対に一組しか存在しない「ピンゾロに相当する組み合わせ」が、「個性」を取り去れれたサイコロ2つの「どれでもいい組み合わせの目」では「二組」できてしまうから。


なんでまたこんな事を言いだしたのかというと、Lynchが毎日やってる「Today’s number」のせい。昨日の数字が「4」だとしても、今日も「4」が出る確率は、まあ、「10分の1」だというのは重々承知しているつもりなのに(「Today’s number」は、それぞれに1から10まで番号をふった10個のピンポン玉から一個を無作為に選び取る)、昨日が「4」でまた今日も「4」の確率は、昨日の分の確率も「勘定にいれて」実は「100分の1」と考えるのが「ホントウ」なんじゃないか、と、どうしても考えてしまう自分を発見したからだ。ほんと、人間の脳は「確率」というものの理解が不得意。で、なにかボーッと考えてると、「100分の1」で正解のような気どんどんしてきて、「何を間違えているのか」少し本気で考えたみた。


で、分かった。「100分の1」という確率は、「2日続けて4が出る確率」ではなく、「2日続けて数字を的中させる確率」だということ。なーんだそんなことか。



『Room to Dream』メモ


『The Return』の「Log lady」の場面の撮影は、Catherine E. Coulsonの自宅で行われた。その時既に末期癌を患っていたCoulsonは、医者から旅行を止められていたのだが、Coulsonが亡くなる前の週のTuesdayに友達が彼女の自宅を訪ねと、Coulsonは撮影のためにSundayの飛行機でワシントンに行く計画を立てていた。CoulsonはLynchに自分の病状を隠していたのだ。驚いた友達はLynchに連絡をとって、もしもCoulsonを作品に出演させたいなら、すぐにLynchの方がCoulsonの自宅に来て撮影をすべきだと伝えた。次に日(Wednesday)LynchのアシスタントのNoriko Moyakawaが地元の撮影スタッフを引き連れCoulsonの自宅を訪ね、Skype経由でLynchが監督をして、あの場面が撮影された。撮影の5日後(Monday, September 28th, 2015)にCoulsonは亡くなった。