その通りだ。
珈琲屋の窓ガラスの外。今、俺の目の前を、ヒモに繋いだ炊飯器を散歩させている、ふわふわのコートを着た冷蔵庫が通り過ぎて行く。
気がついたと思うけど、起きているコトにオカシナところはひとつもないのよ、と、珈琲カップにシナモンスティックを突っ込んでコビが云う。歩道を通行人が歩いていて、珈琲屋では客が寛いで、片目の店長はいつもどおりにクール。ごくありふれた日常。変化が起きるのは生き物の〈姿〉だけ。
確かにその通りだ。そう云っているコビの姿が、俺にはさっきからでっかいカピバラに見えている。銀色のヘルメットに二眼ゴーグル、茶色の革のつなぎを着たバイク乗りのような格好のカピバラが、げっ歯類特有の細い指の変な手で器用にシナモンスティックを摘んでカプチーノをかき回している。
生き物の姿がことごとく妙なことになっているだけ。事件は何も起きていない。
一生こうなのかと訊いてみたら、一生そうねと無慈悲な回答。
昨日も云ったけど、クスリの副作用だから。クスリが効いている限りずっとそう。クスリの効果がキレたら副作用もなくなるけど、同時にアンタも死ぬ。だから一生、アンタが今見てるこういう世界のまま、とカピバラ姿のコビ。
慣れるしかないのか。
そうね。アンタだけじゃないわ。いろいろいるでしょ。脳の障害で、ある日突然世界が白黒になってしまった人とか、記憶が数分しか続かない人とか、親兄弟が全員偽物にしか思えなくなった人とか、そういうふうなもんだと思うしかないね。
不便だなあ。
あの部屋から出なければいいのよ。あの部屋のテレビでなら、これまでと同じ生き物の姿を見ることも出来るから。
テレビを通してだけ本当の世界が見られるってことか。
違う違う。あの部屋にいるときだけ、他のみんなと同じに世界が見えるってだけのこと。実際に直接自分の目で世界を見れば、それがアンタにとっての本当の世界の姿。あっ、これってなんだか宇宙の真理の一端に触れてる気がする。
真理に触れてるのかもしれないけど不便だよ。