ヘッドホンからは微かにホワイトノイズ(シャーシャー音)が聞こえる。
歌のようなものが聞こえませんか、と看護師が俺に訊いた。俺は首を振った。看護師は装置のつまみを調整し、これでどうですか、と再度訊く。俺は、ホワイトノイズの中に言葉のようなものが聞こえるような気がする、と答えた。実際そんな気がした。看護師は頷いて、俺に、大判だが薄い本を手渡す。開くと、歌の楽譜で、五線譜の下に歌詞が印刷されている。
剥製人間の歌です、と看護師が云う。
楽譜の歌詞を目で追っているうちに、ホワイトノイズから歌声がはっきりと聞こえてきた。空耳かもしれない。だが、シャーシャーという音の中に、確かに歌の旋律が聞こえるし、歌詞も聞き取れる。
天井のスピーカーの男の声が、聞こえる歌と楽譜が同じかどうかを確認してください、と云う。
メロディはともかく、歌われている歌詞は楽譜に書かれているものと全く同じだ。俺はその旨伝える。スピーカーの声は、結構です、と答え、既に薄着の看護師が、よかったですね、と俺に微笑みかける。
看護師は俺のヘッドホンを取ると、俺の腕にゴム管を巻いて採血の準備を始めた。作業をしながら看護師が云う。
私たちは、ふだん何気なく生命という言葉を使いますが、実は全く違うふたつのものを、知らないうちにひとまとめにしてそう呼んでいるんですよ。剥製人間の歌が聞こえたなら、そのふたつはもうお分かりですよね。
現象と体験です、と俺は答える。
そう。もしくは事実と解釈。そして、より重要なのは、事実ではなく解釈の方です。