@かつて(今も?)アメリカは世界の「避難所」だった。だから、そこに集まった人々には、好い意味での[「よそ者」としての「遠慮」]があった。今騒いでいるトランプ式「愛国者」たちは、それとは逆に、「避難所」が「生家」になった人々。
何を言いたいのか?
アメリカは決して「世界最先端の国」などではなく、世界中の「ふつう」のの国々が通過してきた「思春期」を、21世紀の今、通過している「若い国」だということ。ここでいう「若い」は、「建国からの年数が短い」という単純な意味ではない。「オトナ」への階段を登る体験を、今はじめてやっているという意味で「若い」のだ。
つまりこうだ。
アメリカは、他の多くの国とは違って、様々な国の「国民」が集まってできあがったので、そこに暮らす人々の多くが既に、元いた国で[国の「思春期」]を通過・体験していた。だから、アメリカは建国当初からいきなり「オトナ(思春期を通過済みという意味)」の国だったのだ。しかし、国というものは生物とは仕組みが違うので、「オトナ」から「コドモ」に戻ってしまう(すべての「国民」は生物である以上、世代交代をするしかないので―言い換えるなら、先行個体が死に絶えて、新しく生まれた個体がその後を引き継ぐしかないので―それはある意味必然なのだ)。そしてオトナとコドモの間には「思春期」というものがある。
ここでいう「思春期」とは、「国民が自国の国家像に対して客観性を失う」ということ。自国(母国)に対して「自意識過剰」になったり、あるいはその裏返しの「自暴自棄」になったりするということ。それが起こるのは、「自分(たち)こそがこの国の本来の姿をもっともよく理解し体現している人間だ」と信じて疑わない「国民」が大勢存在するようになるからだ。彼らの特徴は「この国で生まれ育ったという事実」を過大評価して、自分はこの国に対して無条件に「権利」を持っていると思い込むところ。
ここで彼らが保有していると思い込む「権利」は、人間が法律で定めるようなものではなく、野生の鳥が野生の木の実をついばむ「権利」や、野生のライオンが野生のガゼルを狩る「権利」と同じ種類のもの。言い換えるなら、ちょうど、小さい子供が、親から食事を無料で提供されることを「当然」と思い込んでいるように、[国の「思春期」]を作り出す国民たちは、自分という国民の言い分を国が受け入れ実現することを「当然」と思い込む。そして、もしそれが実現されなければ「裏切られた」と「本気」で憤るか、この世の終わりのように絶望する。
だから、この「裏切られた」は、アメリカへの移民が「アメリカに裏切られた」というときの「裏切られた」とは、本質的に違う。移民の言う「(アメリカ)に裏切られた」は、「一流ホテルだと思って泊まったが、期待を裏切られた」のタイプ。一方、アメリカ生まれアメリカ育ちのアメリカ「思春期」国民が言う「(アメリカに)裏切られた」は、親や兄弟や夫や妻に裏切られたというのと同じタイプ。いや、生きる権利を奪われたくらいの勢いかもしれない。
ともかく。
ふたつの「裏切られた」のうち、より健全で未来があるのは、実は前者、すなわち移民たちの言う「裏切られた」の方。後者の「裏切られた」は、国という存在に対する認識が幼稚過ぎて危険。アメリカ以外の世界中の「先進国」は、この「幼稚過ぎて危険」な「裏切られた」感情のせいで、戦争を繰り返してきたからだ。
この点は逆に考えればピンとくる。
「思春期」国民を「裏切らない」国というのは、自分たち「生粋の国民」の利益を最優先している国で、つまり、例えば、「アメリカファースト」を声高に叫ぶ国である。しかし、トランプの叫ぶ「アメリカファースト」とは、実のところ「生粋のアメリカ人を最優先する」という意味であり、アメリカという国家体制(世界中の「国民」たちの避難場所としての役割)を最優先するというのではない。早い話が「純血思想」の変奏である。つまり、トランプやトランプ支持者が「アメリカ」と言う時には、既に、国とそこに暮らす人々が概念として融合してしまっているのだ。吉本隆明がかつて言った、戦前戦中の日本人は、自分という人間も、そこにある山も川も空も土地も全て、日本という国の一部だと思い込んでいた、と嘆いたあの状態と同じ。だから、この80年近くの間に、アメリカは、吉本が嘆いた戦前戦中の日本のあたりにまで、国家成熟度的に「後退」したとも言えるが、いやそうじゃない、ブロンドに染めた髪の毛の根本から黒い毛が生えてきただけとも言える(無論、ここでのブロンドと黒の選択に優劣の意味はない。逆でもいいのだ)。