2021年1月4日 月曜日/晴れ
prime videoで『高い城の男』の第1話を視聴した。中立地帯のサンライズ食堂のカウンターにユニコーンの折り紙を置く謎の男。「イナゴ身重く横たわる(The glasshopper Lies Heavy)」が小説ではなく、ニュースフィルムになっている(フィルム缶に入っていて、持ち運ばれる)。
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Philip K. Dickの小説によく出てくる「テレパス」が主人公のお話。テレパスとは、他人の心の中が読める超能力者で、『ガンダム』のニュータイプの強力版且つ常態化版。物語のなかでは「ティープ」という蔑称を受けている。日本人を意味する蔑称「ジャップ」みたいなもの。タイトルのhoodは、このティープに心を読まれないためにかぶる頭巾(覆面・フード)。ちなみに、ティープ自身もこの袋をかぶると、当たり前だが、外側から他人の心の中の「声」が聞こえてこなくなり、静寂を得られるという描写がある。
タイトルの『The Hood Maker』は、一見、思考遮断用の頭巾を作っているマッドサイエンティストを指しているようだが、本当は、主人公の一人であるロス刑事のこと。というのも、ロス刑事は、頭巾をかぶらなくても、自力でテレパスの「侵入」をブロックできる能力を持っているからだ(本人曰く「望んだものではない。訓練で伸ばした」上司曰く「才能というより奇跡よ」例のマッドサイエンティストもロスの能力に注目していた)。
この作品の重要なモチーフは、テレパスたちが読み取る他人の「心」は、その人間の単なる「ある時点での記憶」(あの時あるいは今、これこれのことをした・言った)でしかないのに、それをその人間の「永遠に変わることのない本心や本質」であるかのように、テレパスもノーマルも思いこんでしまいがちになる、ということ。言い換えるなら、テレパスの能力は結局の所の「感覚器(目や耳)の拡張」に過ぎないのに、テレパスもノーマルも、それを「人間洞察力の拡張」のように誤解しているので、ノーマルには感知できないがテレパスには見えたり聞こえたりするものこそが、その人間の[より真実に近い姿]であり、それを「見抜ける」テレパスはノーマルよりも「優れている」と、テレパスもノーマルも思い込み、結果として、双方が、恐れや劣等感や憎しみや蔑みや何やかやで、殺し合う羽目になる。
だから、最後に、ロス刑事の心の中の「上司とのやりとりの記憶」を見たオナー(主人公のテレパス)は、ロス刑事の「本心」を観た・聴いたと思って泣くし、仲間のティープたちの態度も「ほれみたことか、これであなたもわかったでしょう」になる。しかし、「他人の心を覗き見ることができる」=「他人の本心・本質が分かる」とは考えない我々からすると、ロス刑事とその上司が、上司のオフィスで主人公のティープについてどんなことを言っていようと、それが彼らの(特にロス刑事の)本心かどうかは分からないし、もし本心だったとしても、単に「その時はそう思っていた」というだけという可能性は充分にあるのだ。当初は本気でそう思っていたが、付き合っていくうちに理解が深まり考えが変わるということは普通にある。心の中の「或る時点の或る記憶・或る言動」を少しの覗いたくらいで、その人間がわかれば苦労しない。
このドラマの結末(オナーはドアを開けロスを助けたのか)が、視聴者の判断に任されているのは、つまりはそういうこと。人間が、心の中で密かに考えたり、覚えたりしていることですら、必ずしも、その人間の「真実」とは言えない。だから、人間関係、最後は、信じるか信じないかしかない。では、オナーはロスを信じたのかそれとも、という話。