2021年2月22日 月曜日/晴れ
アニメ版の『ゴルゴ13』の「残光」を観て、結末に「?」が出た。おそらく、大抵の人がそうなるだろう。で、原作(第15巻)に当たってみた(わざわざ eBooksで買って)。
原作とアニメ版との違い。
1)原作では、老FBI捜査官が体育館にゴルゴを「訪ねて」来るまで、ゴルゴは、そのFBI捜査官がそこ(ハワイ)にいたことに気づいていない。一方、アニメ版では、ゴルゴがマフィアのボスを狙撃直後に、車で現場に移動する老FBI捜査官の姿を見つけて、「あの男、6年前の…」という場面が入る。
2)原作では、老FBI捜査官が狙撃された後で、「意味深な会話」をする無関係の二人の男が登場するが、アニメ版では全カット。
で、結論。『ゴルゴ13』の「残光」で、ゴルゴが最後に、老FBI捜査官を狙撃するのは、「仕置き人」でいうところの「仕置きを見られたら目撃者を消す」という「掟」に従っただけ。他は何もない。
一瞬、ゴルゴを「追い回す」この老FBI捜査官を、国家の上層部が邪魔に感じて(なぜなら彼らはゴルゴを便利に使い続けたいから)、ゴルゴに老FBI捜査官の始末を依頼したのかと思ったが(つまり、ゴルゴはマフィアのボスの狙撃と、この老FBI捜査官の狙撃の二つの仕事のためにハワイに乗り込んできたのかと思ったが)、アニメ版では、ゴルゴはたまたまこの捜査官の姿を見つけたという演出になっているので、それは違う。
では原作の方はどうかというと、こっちはもっとシンプルで、老FBI捜査官は、本当にいきなり体育館に現れて、ゴルゴに警戒感を抱かせるだけ。原作では名前すらない。作品も短く、どこをどう読んでも、「実は、ゴルゴはこの老捜査官の暗殺も当初の計画にあった」ような匂いはまるでない。代わりに描かれるのは、この老FBI捜査官が醸し出す「お前(ゴルゴ)のことは全てお見通しだ」感を、ゴルゴがびんびん感じているところ。ゴルゴ側から見た場合、行動が読まれるということは、どこかで待ち伏せされて自分が「暗殺(逮捕は意味がないので)」される危険があるということ。ゴルゴにとって、この老FBI捜査官は、そういう「危険」な存在。今は殊勝なことを言っているが、いつまた牙をむいて襲って来るとも限らない。だから、今、始末する。これがあの結末になる。で、原作では、最後の無関係な男達の会話で、その「理由」を説明している。
捜査官がゴルゴに対して、くどくどと、「もうやる気がない」「見逃すから出ていってくれ」「私は君の知っている昔の私ではない」と言い続けるのは、実は、「だから、私を見逃してくれ」ということ。しかし、捜査官は、ゴルゴの行動パターンを読めるくらいに、ゴルゴのことを詳しく調べ尽くしているのも事実で、ゴルゴはそこに「脅威」を感じて、プロとして生かしてはおけないと判断したのだ。
「残光」というタイトルは、つまり、ゴルゴを電気椅子送りにしようとした嘗ての情熱の炎が捜査官の心のなかにまだ燃えくすぶっている、その炎の光。その「残光」がゴルゴには見て取れた。だから、始末した。
こうも言える。老FBI捜査官は老いて、さらに若い妻も持ち、もはや嘗てのプロフェッショナルとして魂を失ったので、ゴルゴが犯人だとわかっているにも関わらずゴルゴを電気椅子送りにすることに全力を傾けようとはしない。一方でゴルゴは依然としてプロフェッショナルのままなので、自分の正体を知り、かつ、自分の行動パターンまで読んでしまうような捜査官を「見逃す」ことはない。二人のプロフェッショナルの、その対比の描写。