2021年2月11日木曜日

キアヌ・リーブス主演『レプリカズ』(吹替版)を観た。

2021年2月11日 木曜日/晴れ・少し雪

キアヌ・リーブス主演『レプリカズ』(吹替版)をPrime Videoで観た。


主人公ウィリアム・フォスター(キアヌ・リーブス)は、バイオナインという企業で働いている。仕事は、死んだ兵士の脳から、その兵士の全意識情報を抜き取り、アンドロイドに移植する研究。有り体に言えば、死んだ人間の「心」をロボットに移植して「生き返らせる」研究。いや、むしろ心の「再利用」か。同僚で相棒のエドは、クローンの研究をしている。


ウィリアムの家族4人が、交通事故で死ぬ。ウィリアムは、エドに協力してもらって、死んだ家族のクローンを作り、事故現場で「回収」した家族4人の全意識を、それぞれのクローンに移植することで、死んだ家族を生き返らせようとする。しかし、クローンを作るためのポッドが人数分に足りず、末娘のゾーイの「復活」を諦める。17日後にクローンは完成する。意識の移植も成功する。「復活」した家族は、死ぬ前の家族と基本的に何も変わらないし、当人たちも、自分が死んだ人間の意識を移植されたクローンだとは夢にも思っていない。少し後で、ウィリアムは、妻のモナだけには「事実」を教える。で、それを知らされたモナが割合平気なのが、観ているこちらにはすごい違和感。この作品の人物造形は最後まで表層的。


精神の移植に拒否反応が出るのは、機械に入れられた脳が「体」を見つけられないからだと気づいたウィリアムは、自分の体を使って、「体」のアルゴリズム(機械に移植された意識に、体があるように錯覚させるためのもの)を作り上げ、最後に345号に自分自身の意識を移植する。これによって機械の体に[ウィリアムの複製]が誕生する。(ちなみに、クローンはもともと自前の体を持っているので、機械に移植したときのような拒否反応は出ない。これに気づいたオカゲで、ウィリアムは家族を蘇らせることができた)


「悪役」の上司(社長?)は、機械のウィリアム(345号)に殺されるが、ウィリアムの家族と同じやり方で「復活」し(その作業をしたのは機械のウィリアム=345号)、最後は、アラブ首長国連邦で、富豪の年寄相手に「第二の人生」を提供する商売をしている。その商売の相棒は、機械のウィリアム。


死んだ家族の遺体の処分をウィリアムから頼まれ引き受けたはずのエドが、実は遺体を始末しないだろうことは、(わざとらしいカメラワークのせいで)当初からバレバレだったが、それが、[死んだ家族を「復活」させたことが会社にバレる原因]になるとは思わなかった。家族のクローンたちが殺されたあとに、その遺体を使ってまた家族を「復活」させるのかと思った。しかし、遺体は交通事故のせいであちこち「壊れて」いるから、使えないのか。


ボスに撃ち殺されたエドを、ウィリアムが「復活」させなかったのは、エドがアタマ(脳)を撃たれて死んだからだろう。


当初は「復活」を諦めた末娘のゾーイを、物語の最後に「取り戻す」だろうことも、ウィリアムが諦めてメソメソやってる場面ですぐに分かった。もしかしたら、最初に「復活」させた3人の家族は何らかの理由でまたしても死んでしまい、その代わりに、一旦は諦めたはずのゾーイを「取り戻す」という展開になるのかな、と思っていたけど違った。


とまあ、[作品の基本スタンスが「生命教」に過度に毒されていない]点では評価できるが、物語作品としては、とにかく「軽薄」。カーチェイスとか、悪者の親玉の描き方とか、結局主人公の家族は全員「助かる」とかは、「お話のためのお話」すなわち盛り上げるためだけのご都合主義な場面や演出。あと、ウィリアムが、死んだ家族の知り合いや彼氏や同僚や学校に対して、本人のふりをしてSNSに書き込みしたり、メールを出したりしてアリバイ工作をする場面があるが、あれも、なにか、ちぐはぐ。ちぐはぐというのは、作品全体の雰囲気が場面ごとでバラバラということ。まとまりがない。作品世界に説得力がない。作り物を作っている作り手がオモシロイと思ったことを、まあ、予算と時間が許す限り全部、「無神経に」放り込んでしまったせいで、全体の印象が、ただガチャガチャうるさいだけになっている。だから、観終わったあとに、[「大きな印象」が何一つ残らない][一つのまとまった世界体験をした感じがしない]という状態になる。長時間の安いバラエティ番組を観たあとのような、スッカスカな感じだけが残る。