真鍮の潜水服を着て棘の藪を通り抜けた僕は、そのまま水底を歩き続け、やがて現れた丘を登って、遂に水から上がった。陸に上がった僕は潜水服を脱いだ。着るのと違い、脱ぐのは簡単だった。
ハンコヲオスヨ
声が聞こえた。
ミギテデカミヲセットシテネ
まただ。
ミギテヲハサマナイヨーニキヲツケテネ
変な声。機械の声だ。僕は声の主を探し、見つけた。ずっと離れた場所の白い壁。ソコにソレはいた。ハンコ押しロボット。壁から上半身が生えている。あとは壁の中だ。
ハンコヲオスヨ
また云った。僕は途中の芝生に散らばった白い紙を一枚拾って、ハンコ押しロボットの所に行く。
ミギテデカミヲセットシテネ
ハンコ押しロボットの顔は、開けた缶コーヒーの缶の上の部分に似ていた。
【きょうハンコをおしたおともだちは0にん】
ハンコ押しロボットの胸の電光掲示にそうある。横にスクロールし、止まって、点滅する。
ミギテヲハサマナイヨーニキヲツケテネ
僕はロボットのハンコの下に(ロボットの指示どおり右手で)紙を置いた。ハンコを持ったロボットの手がビクッと動いてピタッと止まる。そしてそのまま動かない。
壊れた?
イマオスヨ
大丈夫らしい。ハンコ押しロボットの腕がゆっくり下がる。手に持った丸い大きなハンコが紙に押しつけられて一瞬止まる。それから、そろそろと持ち上がる。ハンコにくっついて、紙が一緒に持ち上がる。
オシタヨ。カミヲトッテネ
僕はハンコにくっついてぶら下がっている紙を手に取った。見ると赤い文字でこうあった。
【却下】
電光掲示も【きょうハンコをおしたおともだちは0にん】のままだ。何かが間違っているのだ。僕は芝生に戻って別の紙を拾ってくる。そして、もう一度ロボットにハンコを押させた。
オシタヨ。カミヲトッテネ
結果は同じ。【却下】だ。
ちがう。芝生の紙はヒッカケだ。僕は手引き書を取り出した。
古来よりカミは肉体に宿ると云われています。
ミギテヲハサマナイヨーニキヲツケテネ
ロボットが繰り返す。そういうことか。しかし覚悟が要る。覚悟を決めた。僕は、右の掌をロボットの持つハンコの下に置いた。
イマオスヨ
機械の容赦ない圧力が僕の右の掌の皮膚の色を変え、中手骨を軋ませる。だがこれは、痛みではなく恐怖心との戦い。耐えろ。キンと音がして圧力が弱まった。ハンコがゆっくり持ち上がる。僕は掌に押されたハンコを確かめた。
【承認】
電光掲示の【おともだち】が1人に増え、遠くで歓声が上がった。