2021年2月5日 金曜日/晴れ・すごく寒い
ヘザー・グラハム。一度だけ詐欺メールをクリックしてしまったことがある。パソコンのメーカーに電話をしたら、パソコンを24時間前に戻すように指示され、事なきを得た。(実践ピジネス英語)
@MacのTime Machineを使ったのかもしれない。
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@距離というのは、光の進んだ時間のことだよ。距離と時間は本来同じもの。人間の尺度では分からないだけ。
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『剣客商売』の第4シーズンの第1話をみた。この第4シーズンから、大治郎が渡部篤郎じゃないゴツい俳優になって、三冬さんは寺島しのぶになっていた。藤田まことと小林綾子他のレギュラーはそのまま。『剣客商売』はこの顔ぶれが記憶の中のものなのだが、今、観てみたら、ドラマの「仕立て」がずいぶん変わっていた。演出も、シーズン3までの重厚な感じから、なーんか、ふつうのお茶の間時代劇になっていて、何と言っても秋山小兵衛のキャラが軽い軽い。ストーリー展開も、悪い意味で「分かりやすい」。言い換えるなら、イージー。まあ、第2話を観て、この「改悪」が1話切りのものかどうかを確かめたい。
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@ついでに言えば、「コロナで仕事がなくなる」「AIに仕事を奪われる」という騒ぎも、大学生が「出席日数が足りない」と騒いでいるのと同じで、実はどこまでも「個人の問題」。「社会の問題」ではない。みんなで、社会の問題のフリをするけど、本当は個人の問題。地球人類自体の「生涯」にとって、「人間が労働をする」は一過性の現象にすぎないから。いつか谷底に突き落せるように、みんなでウンウン言って[労働という大岩]を押し転がしている。それが、人類が今やっている全ての労働の「正体」。いつか、人間を労働から解放するために、今、誰も彼もが労働している。
@大学に通っている限り、「出席日数」は「問題」になるが、当たり前だがそれは、大学の問題ではなく、そこに通っている学生という個人の問題。それと同じように、「仕事が奪われる/なくなる」が問題になるのは、「仕事がなければ食えない=生きていけない」という前提の社会に所属しているからであって、それは、その社会の問題ではなく、そこに所属している個人の問題。「いやいやそうじゃない」と貴方は言うだろう。「そういう[働かなければ食えない社会=仕事がなければ飢え死にする社会]の仕組み自体が問題なんだから、やっぱり社会の問題だろう」と言うだろう。
@だが、そうじゃない。生身の人間たちによって構成されている社会は、「仕事がない=飢え死に」こそが「健全」で、どこにも修正すべき問題はないのだ。生身の人間、すなわち生命としての人間。それは自然淘汰によって「育まれ」「教育されて」今日に至った存在。そんな存在が作り上げている社会は、いわば「自然淘汰仕様社会」あるいは「自然淘汰原理社会」で、平たく言えば「働かざる者食うべからず社会」である。「病根」は社会の仕組みにあるのでない。社会を構成している生身の人間の「性根」にあるのだ。その意味でも、[仕事がない=飢え死に]は「個人の問題(個々人の問題)」なのだが、この領域での「改善」は至難。
@善悪の話をしているのではなく、単なる事実の話をしている。(つづく)