2021年2月12日金曜日

『A Monster Calls』をPrime Videoで観た。邦題は『怪物はささやく』。素晴らしい。

 2021年2月12日 金曜日/


§º『ジョジョ』の第6部の終盤、プッチ神父のスタンド能力のせいで、承太郎たちの死体が急激に腐っていく場面があるが、あれはおかしい。有機物が腐るという現象は生命活動(主に細菌の活動)だからだ。全ての生き物は、プッチ神父のスタンドの「加速した時間」から「置き去り」にされるのだから、承太郎たちの体を「腐らせる」細菌もまた「置き去り」にされるはずで、つまり、承太郎たちの死体は、加速されていない時間の尺度で「ゆっくりと」=[お通夜ができるくらいの普通の速度]で腐っていくはずなのだ。承太郎たちの死体が「もはや命をもたないもの」だとしても、「死体が腐る」という現象自体が、[生き物が生きて活動している現象そのもの]だから。


この「不都合」に救済手段がないわけじゃない。承太郎たちの死体は「腐った」のではなく、単に物理的に変化したのだとするなら、加速した時間に合わせて急速に遺体が崩れ去る描写もありうる。つまり、鉄が錆びて朽ちるように、あるいは、プラスチックが日光に晒されて砕けるように。


いや、まあ、そんなことより、生き物以外の全ての時間が加速するというのなら、例えば、肺の中や血中に取り込まれた酸素だの窒素だのの分子運動はどうなってしまうのか、という問題も出てくる。少し想像しただけで不穏な雰囲気。


なんにせよ、『ジョジョ』は、「生命」という[特別な何か]が存在することを前提にした、どっぷりと「生命教」に浸かった世界観のお話なので、事あるごとに、そこら中で論理的に破綻をきたすのは、これはもう宿命。



§º映画なんかにもよく出てくる、中学生くらいの主人公をいじめる同級生か少し上の学年のいじめっ子。現実世界にもいるそういう人間がオトナになる前にことごとく生命を落とすわけではないのだから、今、この世界に普通に生きているオトナの何割かは、間違いなく、昔その手のいじめっ子だった連中。そういう連中が、社会の一員として素知らぬ顔で生きていることに気づくとゲンナリする。と同時に「なるほど、だから世の中はいつまで経っても」と合点もいく。



§º『A Monster Calls』をPrime Videoで観た。邦題は『怪物はささやく』。素晴らしい。極たまに、こういうのに当たる。極たまに。きっとまた観るだろう。『Pan’s Labyrinth』に通じるものがある。(と思って、あとで、ネットで調べたら、公式ページに[『パンズ・ラビリンス』のスタッフが映画化]とデカデカと書いてあった。ほら、やっぱり)


あと、本筋とは全く関係ないけど、この映画を観て、イギリスの踏切の「遮断機」は、日本のみたいな「ただの棒」じゃなくて、小学校や中学校の正門にあるような鉄柵だということを知った(あの映画の舞台はイギリスだよね?)。あれなら、「電車が近づいているのに、うっかり線路に侵入する」ことは絶対にないかわりに、先にに入ってしまっていたら、まず脱出できずに轢かれる。