「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年6月12日水曜日
アナトー・シキソの「クラリネットこわしちゃった」
クラリネットを壊したのは、僕か、僕の犬か、僕のパパかの誰かだ。
犯人が特定されないのはこういう理由だ。
クラリネットは屋根裏部屋の古いアルバムの山の上に、専用のケースに入れられて置かれていたのだけれど、僕も、僕の犬も、僕のパパも、それぞれ一回以上、うっかりそれを床に落としてしまったことがあるのだ。それは、アルバムを見ようとすると誰でもやってしまう失敗。もちろん僕の犬に関して云えば、アルバムを見ようとしたのではなく、初めて登った屋根裏部屋に興奮して走り回ったせいだけど。しかも、ケースを床に落としたあとで、誰も中身の状態をちゃんとは確かめなかった。サッと見て、大丈夫と判断しただけ。けれど実際は、どれかの落下事故の時、クラリネットは壊れていたのだ。
それが今日アキラカとなった。
キッカケは、家族の歴史に詳しい叔父さんが僕の家に集まった親戚みんなの前で話したクラリネットのイワレ話だ。クラリネットは当時農家だった僕らのご先祖が兵隊百人分の玉ねぎのお礼として将軍から贈られた名誉の品なのだ、と叔父さんは云った。そんな名誉なものを屋根裏部屋にほったらかしにするかな、と誰かが云うと、叔父さんは、価値あるものがいつも必ずそれにふさわしい扱いを受けるとは限らんよ、と云って煙草の煙をフイっと吹いた。ナルホドと一同。で、じゃあ、ちょっとその名誉な音色を聴いてみようじゃないか、ということになり、遂にクラリネットが壊れていることがアキラカになったのだ。
なにしろちゃんと音が出ない。誰がやってもドレミさえ鳴らない。みんなで色々やったあと、叔父さんが、きっと壊れてるね、と云って、また煙草の煙をフイっと吹いた。僕と僕の犬と僕のパパにクラリネット壊しの嫌疑がかかった。それぞれ身に覚えもあった。最初から壊れていたのかも、とパパは一応訴えてみたけど、叔父さんが、いや、記録によると我がご先祖は贈られたクラリネットでちゃんと演奏しているからね、と否定した。パパは黙った。ともかく、と、ばあちゃんが云った。壊れてるのなら直してもらえばいいでしょう。
そのとおりだ。ばあちゃんはイイコトを云う。
楽器の修理人が呼ばれた。修理人はクラリネットを少し調べてから、壊れちゃいませんぜ、と云った。
アンタらが下手なだけさ。
修理人はそう云うと、クラリネットに口を付け、プロプロプローンと、きれいなメロディを奏でた。僕らはみんなで赤い顔を見合わせた。