「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年6月19日水曜日
アナトー・シキソの「蜘蛛の糸」
昨日と同じように、いや、百年前と同じように、今日も血の池地獄の血の中で浮かんだり沈んだりしていてふと気付いた。血の池のはるか上空から垂れ下がっている細いヒモを誰かが必死に登っている。見ればアイツはカンダタだ。独特のヘアスタイルで分かった。生きてるときは俺の盗賊仲間で、お互いさんざん人を殺して一緒に地獄に堕ちた。アイツが今、必死でヒモを登ってる。
その下に目を移せば、ヒモを登っているのはアイツだけじゃない。千年も二千年も血の池に浸かったせいですっかり体の肉が崩れてしまって、もう男か女かも見分けがつかなくなったような先輩亡者たちが、カンダタを追うように登っている。
これはチャンスで、俺も連中に続くべきなのか?
だが、血の池は広い。池と呼ぶのはオカシイ。海ではないが湖くらいはある。俺は今、血の池の端っこにいて、カンダタたちが登っているヒモは池の中央辺りに垂れている。ちょっと本気でその気にならないと、ここからあそこまで泳ぐのはそうとうに億劫だ。
だから、血の池の番人の赤鬼が口から火をちょろちょろ出しながら「貴様はアレを登らんでいいのか?」と訊いた時にも、面倒だからいいと答えた。「アレを登り切れば、極楽に辿り着けるらしいぞ」と、赤鬼は目玉をギラギラ光らせて俺を焚き付ける。知ってる。しかし、あんな細いヒモにあんなに大勢がしがみついてる。これ以上人数が増えたらヒモが保たないだろう。せっかくアレで極楽に行ける者がいるなら、無事に行ってもらいたい。だから自分は遠慮する、と俺は答えた。赤鬼はゲラゲラ笑い、俺は百年変わらぬ日課に戻って血の池の底にぶくぶく沈んでいった。
血の池に沈むと俺たち亡者は溺れる。水ではなく血をがぶがぶ飲んで、息ができなくなる。溺れる苦しみを散々味わい、それで意識を失うと、その間に体は浮かび上がる。浮かび上がってくると意識を取り戻す。そしてまた沈む。その繰り返し。亡者だから絶対に死なない。溺れる苦しみが延々と続く。それが血の池地獄。
俺はいつも通り血の池の底で溺れて意識を失った。そして、浮かび上がり意識を取り戻したら、そこは血の池ではなく蓮池だった。水面から仰向けに顔だけ出した俺の額の上を小さな蜘蛛が歩いている。額に蜘蛛を乗せて、俺は、百年ぶりに青い空を見て澄んだ空気を吸った。俺は知らなかったが、どうやら生前、俺が逃げるのを急かしたせいで、カンダタはこの蜘蛛を殺し損ねたらしい。