演習中の兵士が足を滑らせてよろめいた瞬間をガールフレンドが写真に撮った。写真家はソレを自分名義で出版社に売った。写真は「斃れる兵士」というキャプション付きでアメリカの有名雑誌に載った。戦意高揚を狙った雑誌社が嘘をついたのだ。
だがそのオカゲで写真家は有名になった。
写真は「フィクション」になった。ただそれは、画家が想像で描く戦争画も同じだ。だから本当は気にすることなど何もない。画家なら気にしないだろう。だが写真家はそうはいかなかった。ナニカを背負い込んだ写真家は、その後も命知らずの戦場取材を続け、最後はベトナムの戦場で地雷に触って死んだ。
さて、写真家がベトナムで死ぬ十数年前、例の写真が世に出るよりも前のスペインの酒場で、俺は写真に撮られた「斃れる兵士」本人に会っている。話もした。ハンガリー男とドイツ女の若い二人連れが訓練風景をたくさん撮って帰った、と「斃れる兵士」本人は話し、そんな写真どこも買わんだろうに、と笑った。
ところが彼の予想に反して写真は売れた。その後、世界的に有名なアメリカの雑誌にも載った。ただ、先にも云った通り写真には嘘のキャプションがつけられていた。俺はその雑誌を持って、敵の銃弾に斃れたはずの兵士本人に再び会いに行った。
もちろん彼は生きていた。
雑誌を見せて、どうよ、と訊くと、兵士は、あの若いのがそれで有名になってメシが食えるようになったんだからいいことさ、と答え、誰かを傷つけたわけでもないし、と微笑んだ。俺たちは揃って煙草を巻き、一本のマッチでそれぞれの煙草に火をつけた。一服しながら、今では忘れてしまったことを少し話し、それで別れた。
三度目にその兵士に会ったのは実際の戦場だった。俺は人間が死ぬ場所にいることが多い。むこうは俺がいたことには気付かなかっただろう。兵士ではない俺は、少し離れた場所から双眼鏡で戦場の様子を見ていた。
戦場では、撃たれたり吹き飛ばされたりで、兵士がどんどん死んでいく。そういう中に彼を見つけた。銃を構え、勢いよく丘を駆け下りていた彼は、途中で敵の弾に当たった。仰け反り、両腕を広げ、右手の銃を手放す。一瞬、笑ったような顔をした。そして、ばたりと倒れた。
その姿は、かつて撮られたあの写真にそっくりだった。
俺はその話を、戦争が終わったベトナムで例の写真家に話した。写真家は、そうでしたか、と微笑んだ。
写真家の体は、ゆっくり昇って青空の中に消えた。