「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年6月12日水曜日
「イチヂクの木を枯らすヤツ」
「どうもこうもないよ。連中はただの穀潰しさ」とJは云った。
Jの云う〈連中〉とは律法学者たちのことだ。Jは続ける。
「まるで分かってないんだ。いや、もしかしたら分かっていて敢えてオカシナ解釈をしてるのかも。自分たちの利益のためにね。ボクはそれを正したい」
だが、オマエはただの大工のコセガレだ。そんな大それたことできるのか?
「いや。ボクはあの老大工の子ではないよ。あの老人は無学で憐れな養父にすぎない。ここだけの話、ボクらは血を分けた親子ではないんだ」
Jが自分の父親を〈あの老人〉と呼ぶのは初めてじゃない。しかし、本当の親子ではないと口にしたのは初めてだ。
「ボクの本当の父は……」
Jはそう云って口を噤むと、一旦夜空を見上げ、それから視線を俺に戻し意味ありげに微笑んだ。
……そんなバカバカしい。
「いや、本当だよ。母はあの老人の家に嫁ぐ前に既にボクを身籠っていた。それに、あの老人は、その頃からすでに本当の老人なんだよ。この意味はわかるだろう?」
星空の下、イチジクの木のそばに座っていたJは、俺の肩越しに、しょんぼり建っている自分の家をしばらく眺めた。あの家の中では今、Jの母親と〈あの老人〉が静かに寝息を立てているはずだ。Jは視線を俺に戻すと少し真面目な顔で「本当にただの気の毒な老人なんだ」と云った。
それからJは、Jが云うところの〈律法の正しい理解〉について、俺に滔々と語って聞かせた。その具体的な内容はおおかた忘れてしまったが、ある印象は残った。つまり、Jが律法について話したことは確かに正しい。けどそれは、律法学者たちにとっては〈余計な正しさ〉で、もし本当にJが律法学者たちを相手に持論を展開すれば、連中はJをそのままにしてはおかないだろう。俺は率直にその点を指摘した。だがJは、
「それはその通りだろうね。でも……それでもボカァやるつもりさ。父は律法が正しく実践されることを望んでるからね」
と平気な顔だ。
この無邪気な頑さがこの時代では命取りになる。
俺は、いつの間にそんなに詳しく律法について学んだのか、Jに訊いてみた。Jは、学んではいない、知ってるんだよ、と答えた。
「ボクは父の実の子だからね。学ばなくても最初から知っている。それが連中とは大きく違う点さ。連中は知らないから解釈する。だから間違える。最初から全部を知っているボクが彼らを正すのは義務であり使命なんだ。そしてそれがボクの父の望みでもある」