「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年6月5日水曜日
「白いゴム覆面のヤツ」
復讐なんてウソだよ。白いゴム覆面のソイツはしゃがれ声で云った。金持ちの家にうまく潜り込んで、ノコリの人生オモシロオカシクと目論んだだけなのさ。
季節はまだ冬だ。ソイツは、夜明け前の湖の畔に座り込んで、ずぶぬれの体を金バケツの焚火で乾かしていた。俺が「金鵄」を一本やると、ゴム覆面の下半分をずり上げて美味そうに吸った。それから煙草を目の前に持って来て、戦争も終わったし、こいつも元のゴールデンバットに戻るのかね、と呟き、まあ、どっちでもいいけどさ、とまた口にくわえた。煙草を吸い終え、覆面の下半分を下ろして顔を完全に隠すと、ソイツは覆面の穴の奥の光る目玉を俺に向けて云った。
アンタは信用出来る。ちゃんと俺の覆面を見つけて持って来てくれたからね。だから秘密を話すよ。本当の秘密だ。つまり、スケキヨでさえ知らない秘密を。
俺がスケキヨじゃないことはアンタの指摘の通りだし、きっとそのうちあのタマヨって女にもバレる。いや、多分もうバレてるな。恋人と赤の他人が見分けられない女なんているわけがない。
ソレで云えば、スケキヨの母親だって、俺が息子じゃないことに心の底では気付いてるんだ。けど、俺がスケキヨだったほうが何かと都合がいいから、自分をごまかして、俺をスケキヨだと思い込もうとしている。
何より本物のスケキヨが名乗り出て、俺がスケキヨに化けたシズマだとバラしてしまえば、俺のウソもそれでオシマイだ。けど、アイツは名乗り出ない。母親のコトがあって、今、アイツは俺の言いなりなんだけど、ソレ以前に、もっと大きな「借り」があると思い込んでいて、それで俺には逆らえない。
つまりそれは、叔父のシズマに対する負い目だよ。一族から追放され、どん底を体験した叔父のシズマに対する負い目が、あのお人好しの身を縛ってる。
いや、最悪、俺はスケキヨでないことがバレてもいいのさ。なぜなら、スケキヨもタマヨも、とにかく相続人の全員が死ねば、遺産はひとりでに、シズマであるこの俺のモノになるんだから。ただね……
分かってる。俺はソイツの言葉を遮って、白いゴム覆面に成仏湯をかけた。ゴム覆面は溶けて、下からヤケド痕のないきれいな顔が現れた。顔にヤケド痕がないのは、ソイツがもう死んでいるからだ。
その顔は、もちろんスケキヨの顔ではない。だが、シズマの顔でもない。つまりはそういうことだ。
スケキヨでもシズマでもないソイツは、ゆっくり消えて成仏した。