「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年6月10日月曜日
「借りといて返さないヤツ」
滝の落ちる岩山の麓。扉に閉店のおしらせが貼られた店で買い物をして外に出ると、緑色の帽子を被った左利きの子供が、店の前のベンチに座ってノートに何かの図を書き込んでいた。
俺はその子供の隣に腰を下ろし、今買った瓶入りの珈琲牛乳を取り出して一気に飲み干した。それを、緑色の帽子を被った左利きの子供が、ノートを書く手を止めてじーっと見ていた。珈琲牛乳が飲みたかったのかと思って訊いたら、なんと空き瓶が欲しいらしい。
オヤスイ御用だ。その代わり煙草を吸っていいかと訊くと、いいと云うので、俺は子供に珈琲牛乳の空き瓶(プラスチックの蓋付き)を渡して、煙草をくわえた。俺はやったつもりだったが、子供は俺の渡した空き瓶を高く掲げて「牛乳瓶をお借りした!」と云った。俺は煙草に火をつけながら、いや、やるよ、と云った。が、子供は「イイエ、冒険が終わりしだい、お返しに上がります」と譲らない。
ならそれでもいいけど、冒険って何さ?
左利きの子供は「三角形を集める冒険です」と云った。三角形が好きなのかと訊くと、子供は牛乳瓶を腰の袋に入れながら(洗わないくて大丈夫かと訊いたら、平気ですという返事)、今まで色々ありすぎてムシロ三角形は好きじゃない方だと真面目な調子で答え、「けど、三角形をすべて集めると世界を救えるので集めています」
俺はすっかり楽しい気分で煙を空に飛ばす。
左利きの子供によると、その、世界を救う三角形は何個かあって、そのすべてが地下にあるらしい。地下というのはもちろん、地下鉄とかデパ地下とか地下街ではない、地下牢や地下洞窟や地下帝国などをいうのだろうと思ってそう訊くと、「デパ地下や地下鉄や地下街も含まれます」という返事。俺は益々楽しくなる。
子供はノートに図を書く作業に戻った。
あれから30年。子供は未だに俺が貸した牛乳瓶を返しに来ていない。もちろん子供のすること、云ったことだ。瓶を返しに来ない理由はいろいろ考えられる。単純に約束を破った。瓶を割ってしまった。最初から返すつもりはなかった。うっかり忘れているだけ。俺を探し出せない。などなど。
だが、本当の理由はこうだと俺は思ってる。つまり、冒険はまだ終わってない。件の三角形はまだ揃わず、当然、世界も救われてないので、だから俺に借りた牛乳瓶も返せない。きっとそうだ。事実、世界が救われた気配はまるでないわけだし。
俺は、牛乳瓶は永久に返って来ないものと諦めている。