「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年6月10日月曜日
「見つけるヤツ」
姉妹は大学教授の父親に連れられて都会から引っ越してきた。妹は4歳で、その日、トウモロコシを一本持ったまま姿を消した。妹がいないことに気付いた小学6年生の姉は、心当たりがある、と妹を捜しに出かけ、こちらも姿を消した。
姉妹の失踪に村は騒然となった。
日暮れ前、村の溜め池に幼児用のサンダルが浮かんでいるのが見つかり、行方不明の妹のモノではないかと騒ぎになった。大学教授の父親はそのサンダルを見て、分からないと答えた。
そうかもしれない。違うかもしれない。
〈可能性〉を考えた村人達が総出で溜め池をさらったが何も上がらなかった。〈証拠〉が出なかったことに一同はとりあえずホッとした。
ところで、この村には一人の男が住んでいた。大飯食らいの大男で馬鹿力の持ち主だが、言葉が喋れず、子供に泣かされるような、そんな男だ。村人からはトロと呼ばれていた。頭がトロいのトロだ。
トロに家はなく、大きなオスのトラ猫と一緒に森に住んでいた。年がら年中こうもり傘を差し、昼も夜も何をするでもなく、ただ村や森の中を歩き回っているのだ。役には立たないが害にもならないので、村の世話好きが時々食べものや着るものを与え、村全体で養っていた。
姉妹が失踪した次の日の朝、捜索に出ようと集まっていた村人達の前にこのトロが現れた。雨でもないのにいつものようにこうもりを差し、大きなトラ猫を足下に従えたトロは、どこで手に入れたのか、皮付きの新しいトウモロコシを一本抱えていた。トロが畑のものを勝手に盗んだりしないことを知っている村人達はすぐにピンと来た。失踪した妹が持っていたトウモロコシに違いない。
だが、言葉の通じないトロにそのトウモロコシのワケを訊いたところで答えが返って来るはずもない。そこで村人達は、トロの後について歩いてみることにした。散歩の途中でトウモロコシを見つけて拾った可能性があるからだ。
一緒に歩くと、散歩の行き先を決めているのは、実はトロではなく猫の方だと分かった。
村人達は、塀を乗り越え、路地を横向きに歩き、誰かの家の土間を通り抜け、畑を横切って、最後に村はずれの神社に連れて来られた。猫は賽銭箱の前に座った。もしやと思った村人が賽銭箱の下を覗き込むと、なんと姉妹がいた。母親に会いに行く為のバス代が欲しくて賽銭箱の下に潜り込み出られなくなったらしい。
トロが怪力で賽銭箱を持ち上げ、姉妹は助け出された。猫は褒美にカツブシを貰った。