「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年6月10日月曜日
「長い手紙を書くヤツ」
周りの人間がその男のことを先生と呼ぶので、俺もそう呼んだ。先生と云っても俺よりずっと年下だ。いや、そもそも俺より年上の人間なんていないわけだが。
先生は俺より年下だが人間全体の中では老齢の方に入る。
もうそろそろいいんじゃないでしょうか、と先生が俺に云った。俺が作っていたゆで卵のことを云ってるのではないのは明らかだ。このフレーズを俺はもう何万回も先生から聞かされている。いや。何万回はもちろん誇張だ。
今、先生のこころには先生の親友だったKのことが浮かんでいる筈だ。正確に云えば、Kに対する先生の責任の取り方のことが。昔、学生時代、先生はKという親友に死なれている。自殺だ。先生はKの自殺を自分のせいだと思ってきた。いわゆる男女関係のアレで自分がとった行動が親友のKを自殺に追い込んだと思い込み、以来ずっと責任を感じ悩み続けているのだ。つまり先生の云う、もうそろそろいい、は、もうそろそろ自分はあの責任をとって死ぬべきなんじゃないか、という意味だ。
先生は少し落ち込むと必ずこの話を俺にする。俺はいつもと同じに、自殺は後の始末が面倒だから迷惑だと先生に答える。では、君が殺してくれませんかと先生。君はそれが仕事でしょう、と。勘違いだ。俺にはそんな力も権限もないと突き返す。ここまではいつもの通り。今回はそのあとが違った。
実は、なぜ私が死ななければならないか、その理由を出来る限り正確に、そして正直に手紙に書いてきました。
先生はそう云うと、足下に置いてあった自分の鞄をテーブルの上に上げ、中身を取り出して俺に見せた。分厚い紙の束。手紙の域を超えている。何を持って来たのか気にはなっていたがそういうことか。全く人間というものは分からない。そんな大作が書き上げられるのは生きる気力に満ちてる証拠だろう、バカバカしい。俺は無言で卵の鍋がコトコト鳴るのを聞いていた。俺が黙っているので先生は少し詰め寄った。
君に読んでほしいのです。読んで、過去の私の罪と、その罪を償うために是非とも死なねばならない現在の私の情況とを理解してもらいたいのです。
冗談じゃない。時間の無駄さ。全く同じ出来事を人間は生きる理由にも死ぬ理由にもするんだ。生にも死にも徹頭徹尾理由なんかない。
そんなことより、と俺は云った。はい、と先生。
俺のゆで卵があと1分半茹であがるよ。
その日先生は俺のゆで卵を三個も食った。
先生が自殺したのはその二日後だった。