「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年6月28日金曜日
アナトー・シキソの「般若心経」
本名アヴァローキテーシュヴァラという長い名前の、みんなはナゼかカンノンと呼んでる体重150キロの女装家が、ハンバーガー屋の窓際の席で僕に云う。
宇宙空間に1人漂っていると想像してみなさいよ。その宇宙にはたったひとつの星しかないの。そんな宇宙はアリエナイけど、まあ、あると想像しなさい。真っ暗な宇宙空間の遥か彼方にその星が見えている。小さな白い点。さて、この時、その星を眺めながらアンタはほんの少し横にズレる。星は見えなくなるかしら。
ならんね。
そうね。じゃあ、次に、光速宇宙船に乗ってその星から百光年ほど離れたら、今度は星は見えなくなるかしら。
宇宙の年齢にもよるけど普通は見える。
ここで注文していたチキンバーガーが運ばれて来る。僕の奢りだ。カンノンはチキンバーガーをウマそうに食う。肉食上等。カンノンはバーガーを平らげ、バニラシェイクをズコズコと飲み干したあと、あーっと満足してから、静かに手を合わせた。
つまりなに、と僕は催促した。カンノンは、うん、と云ってからさっきの続きだ。
星がたったひとつしかない宇宙空間で、最初の位置でも、少しズレた位置でも、百光年離れた位置でも同じく星が見えてしまうということの意味よ。あと、こういう想像もいいわね。アンタの後ろに、もう1人誰かがいる。その誰かはアンタのすぐ後ろにいる時はアンタがジャマで星が見えない。けど、アンタから百光年も離れた後ろにいれば、やっぱりちゃんと星は見える。この意味を理解するのよ。つまりね、この場合たったひとつの星しか存在しない宇宙の、少なくとも百光年以内の領域に、そのたったひとつの星から発せられた光が満ちているということ。だいたい殆ど隈無く。
へえ。
分かってないわね。それはつまり、その星が見える限り、真っ暗な宇宙空間はその星の外部ではなく内部だということよ。その星が見えるということは、その星の光の海の中にいるってことだからね。
そうなのかな。
そうよ。そしてこのことはひとつの真理を示してる。すなわち物質とは干渉する空間にすぎない。アンタが、存在すると確信してる物質も、本当のことを云えば、アンタが、何もないとみなしている宇宙空間と同じということね。干渉する空間であるアンタが干渉可能な空間だけを限定的に物質とみなす。それだけのことよ。この世界にはただ空間だけが、厳密には時空間だけが存在する。無いだけが有る。これぞ即ち、色即是空、空即是色。