2020年11月25日 水曜日/晴
今日見た「旅するためのイタリア語(8)」の傑作選は、伝説回の「山の上のジェンマ」だった! マッテオの「なぜだろう、涙が止まらない!」の部分はカットされていたけどね。
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ZOOM MRS-8を成仏させて来た(循環コンビニ24)。ナンマンダブナンマンダブ。
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『ガンダム』第1話のおしまいにシャアが呟く「認めなくないものだな、自分自身の、若さゆえの過ちというものを」という有名なセリフの意味は、一般に、シャア自身の失敗(偵察隊が暴走して大騒ぎになったこと)について言っているということになっているが、私の意見は違う。
シャアが「認めたくない」と言っているのは、新兵ジーンの若さゆえの暴走であり、そこから敷衍した、若者一般の「若さゆえの過ち」というものだ。つまり、シャアはあの時、自分(シャア自身)は若さが理由の過ちは犯さないし、たとえ犯したとしてもそれを自分の若さのせいにすることはないという信念の上に立って、だから、今回のジーンの行動が苦々しく思えて、思わず、あれを呟いてしまったのだ。
若者が何か過ちを犯した時、たとえそれが本当に自分自身の若さのせいだったとしても、それ(自分自身の若さ)を都合のいい言い訳にして、当人も周囲も「多めに見て済ます」ようなことを、現に自身も若者である私(シャア)は認めなたくはないと言っているのだ。
そう思う理由は二つある。一つは、新兵ジーンの暴走とそれを止められなかったデニムを偵察隊として派遣したことは、別段、シャアの「若さゆえの(経験不足ゆえの)過ち」ではないからだ。もう一つの理由は、新兵ジーンの言動と行動は、誰がどう見ても、明らかに、功を焦った若者の過ち(若さゆえの過ち)だからだ。第一話で「若さゆえの過ち」を犯しているのはジーンだけ。
いずれにせよ「若さゆえの過ち」は、ザク二機と引き換えに、連邦軍のガンキャン、ガンタンクの他、ガンダム関係の部品(アムロ曰く「まだ、2、3機分はある」)を破壊している。そうでなければ、ホワイトベースには、少なくともガンキャノンが2機、ガンタンクも2機搭載され、さらに、パオロ艦長をはじめとしたプロの軍人も多数乗り込んだ状態で、ジオンの敵になっていた。しかし、逆にそうなると、アムロがガンダムに乗ることはなく、その後のアムロによるジオンの「大被害」も防げたことにもなるから、どっちが「いい」とも言えない。