2020年11月3日 火曜日/曇り
√死後の世界や天国などというものは、「大金持ちだったら」とか「絶世の美女だったら」と程度の変わらない「単なる人間の願望」。
*
√「0(ゼロ)」は「方便」。すなわち「桁」は「方便」。原理的に無限種の数字で構わないところを、人間の知能限界に情報するために発明されたのが「0」であり「桁」。
*
是枝裕和監督の『万引き家族』をようやく観た。素晴らしい。これが撮れたんだから、是枝監督はもう死んでもいいんじゃないか、と思うくらい素晴らしい。この監督がこだわり続けている「家族って何さ?」というモチーフで作れる映像作品の一つの到達点。樹木希林演じるばあちゃんに死亡フラグの立つ場面で、元夫が再婚相手と産んだ子供も娘である松岡ナニガシを評して「血の繋がりがないから、余計な期待をしないところがいい」という。これがすべての気もする。
*
√タイは、軍の「上」に王様がいるので、政治が腐敗すると、軍がクーデターを起こして、政治を「清算」する。クーデターは、王様が事後に「承認」すれば「正義」となる。これは日本の天皇と戦国大名の構図にそっくり。だから、日本とタイは、太平洋戦争以来「仲がいい」のか?
*
√小学校であだ名を禁止する案が出ているというハナシをテレビがやっていた。テレビのコメンテイター連中は、あだ名をつけることで連帯感が増すとか、嫌なあだ名をつけられてもくじけないことで社会に出るためのメンタルの強さを獲得できるとか、いろいろ言っていたが、そんな話は全部マトハズレ。
小学校のあだ名禁止は、なんのことはない「社会のバリアフリー化」の一つ。バリアフリー社会とは、言ってしまえば、「自然淘汰」を許さない社会のこと。例えば「あだ名ごときで」自殺してしまうように生まれついたか、育ってしまった子供を、かつては、仕方ないものとして「見殺し」にしていたのが、そういう「自然淘汰」を受け入れることを拒否し、とにかくその手の或る種の「弱者」も生き延びられるようにするという工夫、あるいは理念の実践がバリアフリー社会の実現。「小学校でのあだ名禁止」は「車椅子生活者のために段差をなくす」のと同じ次元の話。
それでいうと、コメンテイターの誰かが言っていた、どうせ禁止にするなら小学校だけじゃなくて、中学以降の社会に至るまでずっと禁止にしないと、あだ名に免疫のない連中はあとで苦労する、は、良く言えたコメント。