2020年11月10日 火曜日/晴
『帰ってきたウルトラマン』第18話「ウルトラセブン参上!」を、ウルトラマンチャンネルの配信で観た。セブンが新マンに渡すウルトラブレスレットが、まるでセブンのアイスラッガーのような「切り裂く武器」だからこそ、セブンからのプレゼントなんだ、と今日初めて知った(気づいた)。しかしこの回は、「ザ・特撮」だね。マツダコスモスポーツが土台のマット・ヴィークルがたくさん観れるのもいい。甘利レミーのお父さん(団時朗=郷秀樹)が(当たり前だけど)すごく若い! あと、ベムスターがかなり可愛い。
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ITでも家電でも食事でも、古い仕組みや装置や形式から離れられない人間が鬱陶しい。自分が慣れ親しんでいるというだけの理由で受け入れている不便(本来簡単に回避できる不便)に他人を巻き込むなよ、といつも思う。
たとえば、スマホを使っていれば簡単に済むのに、ガラケーを使い続けているばっかりに、「前時代的な余計な手間」がかかるようなことが最近は多い。そういう手間を、アンティークカーの整備や修理のように捉えて楽しんでいるのなら、まあ(マヌケだとは思うけど)仕方がないが、そうではなく、スマホを買い替えたり使い方を新しく覚えることが「煩わしい」とか「面倒」だとかいう理由だけで、スマホが使えないことで日々生じる「煩わしさ」や「面倒」を受け入れているのは、やっぱり本当にアタマが悪いとしか思えないのだ。
というのは、スマホに乗り換える際の「煩わしさ」は所詮一過性のものだが、乗り換えずにいることで直面することになる「煩わしさ」は継続的に増えていく一方だからだ。スマホに限らず、前世代の技術を使い続けるということは、そうした「煩わしさの増殖」を全て受け入れるということ意味する。ガスや電気の使用を頑なに拒否して、七輪や行灯を使い続けた場合に、自分が年を重ねるごとに増していく「煩わしさ」や「面倒」を想像すれば、簡単に理解できるはず。
繰り返すが、そうした「煩わしさ」や「面倒」を、或る種の娯楽として楽しむのなら、それはその人の趣味なのだから好きにすればいいが、そうした「趣味に起因する煩わしさ」を個人の「外」に「漏らされる」と、周囲はものすごく鬱陶しい。
水洗便所が当たり前になった今の人間の殆どは、汲み取り式にこだわる両親の家では暮らしたくないだろう? ガラケーユーザーは、汲み取り式便所ユーザーなのだよ。