2020年11月12日木曜日

øo: 妥協としての生命現象


øo: 虎に身を捧げた釈迦の前世の説話を思い出せ。虎は人食の遺伝子を残すが、釈迦の慈悲深さの遺伝子はそこで途絶える。進化によって発達する生命現象は、追い詰められれば「自分が死ぬくらいなら、やつが死ね」となる存在(固体)が栄える仕組みがその根本である。生命現象である限り、「自分の利益のために誰かを殺すこと」は標準装備の仕様であり、新しく個体が生まれてくる度に「その標準装備仕様の活用は原則禁止されているのだ」と、究極的には理由の説明できないルールを教え込まなくてはいけない。これから何億年と経とうとも、科学技術の発展でどれほど「満たされようとも」それは変わらない。少しかが得てみれば分かる、どんな超文明未来人であろうと、それが生命現象である限りは、自分の愛する子供と、他人の子供のどちらか一方を完全に失う状況に置かれた時、次世代へとその自分の資質を繋ぐのは自分の子供を助ける方である。生命現象とは、本来的にそういう存続の仕方をしかできない「不完全な知性現象」である。だからこそ生命現象は「妥協」なのである。